21.もう一人の侯爵夫人
「あ、あの……どの辺が工房なのでしょうか……」
マリエルが呆然としながら呟くと、サイラスが怪訝そうに片眉を上げる。
「確かに工房という印象はないが、ブティックのサロンなんてこんなものじゃないのか?」
「あ、明らかに規模が違いすぎます! こ、これでは王家御用達の――」
「プリエール工房の商品は三年前から正式に王家御用達になっている。パトロンにうちと同じ三大侯爵家のアバローナ家もついているから、資金繰りもいいのだろう?」
「お、王家御用達な上に三大侯爵家のうちの二家がパトロン……」
ここでマリエルは、自分の周囲だけでなく世間も五年間の歳月が流れていたことに、やっと気づく。この五年間で予約が困難だった人気ドレス工房は、信じられないほどの飛躍を遂げていたのだ。
だが、噴水つきの中庭に子爵邸ほどの規模の屋敷が工房兼ブティックサロンになっているなど、誰が予想できただろうか。
マリエルが知っている貴族御用達のブティックサロンとは明らかに規模が違いすぎる。
そのことに圧倒されて動けない母親を尻目にセアラは迷うことなく建物の入口へと走りだす。
「おかしゃま! こっちなのー!」
もはや顔馴染みのドアマンに中に入れてもらい、マリエルたちを手招きする。
「さぁ、私たちも行こうか」
「はい……」
侯爵家との感覚の違いに軽く眩暈を覚えたマリエルは、サイラスに支えられるようにエスコートされる。
まさかここまでプリエール工房の敷居が高すぎるとは思っていなかったのだ。
今さらながら『素直に商会か工房の人間を屋敷に呼んで対応してもらえば良かった』と後悔しはじめていた。
そんな母の心境など知りもしないセアラは、再びマリエルたちのもとへやってきて中に入ることを催促するようにグイグイと手を引っ張る。
「おかしゃま! はやく入ろう!」
「う、うん。でもね、セアラ、他のお客様もいらっしゃるから、ちょっと落ち着きましょうね?」
「シェアラ、おつついてるよ!」
回らない舌で落ち着いていると主張をするセアラだが、先ほどからピョンピョンと飛び跳ね大興奮状態である。
そんな様子を見かねたサイラスは、サッと娘を抱き上げた。
「やーん! シェアラ、じぶんで歩くのー!」
「中に入ったら下ろしてあげるから。それまでは抱っこだ」
「シェアラ、歩けるのにぃ……」
不貞腐れる娘を片腕に乗せるように抱きかかえたサイラスが、マリエルに中へ入るように促す。
流石に三年も父親をやっているだけあって、サイラスの娘への対応はスマートだ。
対してマリエルは、注意すべき状況で母親として咄嗟に対応できなかった自分の不甲斐なさを反省しながら建物の中に入る。
すると、四十代前後の美しい貴婦人がマリエルたちを出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。メディウム卿」
「急な訪問に対応いただき感謝する。彼女は妻のマリエルだ。娘に贈る誕生日の品を探しているので、案内を頼みたい」
すると紹介を受けた貴婦人がマリエルを見て一瞬だけ動きを止めた。
だが、すぐに柔らかい笑みを浮かべる。
「奥様、お初にお目にかかります。わたくし、当工房兼ブティックサロンのオーナーを務めておりますブリジット・プリエールと申します。以後、お見知りおきを」
「わたくしはマリエル・ク……マリエル・メディウムと申します。本日はよろしくお願いいたします」
危うく旧姓を名乗りかけてしまったマリエルが慌てて言い直す。
そもそも妻と紹介されているので家名は名乗らなくてもよかったのだが、旧姓で名乗ろうとしてしまった手前、言い直すしかなかった。
そんなマリエルにブリジットの値踏みするような視線がさらに強まる。
年齢的にこの工房を立ち上げた本人ではなさそうだが、名前からしてブリジットが創業者と血縁関係なのは明らかだ。
上品で穏やかそうな雰囲気の中にやり手そうな雰囲気が見え隠れしている。
顧客を見極める観察眼も優れていそうだ。
先ほど動きを止めたのも、噂とは違う印象の今のマリエルに思うことがあったのだろう。
現状この建物内には顧客と思わしき貴族たちの姿が多い。
その状況から考えると、ここは一種の社交場も兼任しているような場所なのだ。
当然、この五年間で悪妻と囁かれるようになったマリエルのことも話題になっているだろう。
すなわち目の前にいるブリジットは、社交界でのマリエルの悪評を耳にしている可能性が高い。
その悪評だけでなく、これまで娘の身の回り品の購入を夫に丸投げしていたマリエルに対しても、不信感を抱いているはずだ。
どうやらマリエルには悪妻という噂だけでなく、育児放棄の噂もありそうだ。
その可能性に気づいてしまったマリエルは、うなだれるように床に視線を落とす。
すると、いつの間にかサイラスから解放されたセアラと目が合った。
やっと母親に相手をしてもらえると勘違いしたセアラは、マリエルの腕にしがみつく。
「おかしゃま! シェアラ、あれ見たい!」
そういってマリエルを引っ張っていこうとする先には、装飾品が陳列されているガラスケースがあった。
すると、はしゃぎ気味のセアラの様子にブリジットが驚くような反応を見せる。
恐らくセアラがマリエルに懐いている状況が意外すぎたのだろう。
だがブリジットは、すぐに商売向きの柔らかい笑みを浮かべ直した。
「あちらはセミオーダーに対応している一点物のデザインの一例を紹介した展示場になります。もちろん、そのままの状態でも購入できますが、別の宝石に変更することも可能です。よろしければお嬢様と一緒にご覧になってみてはいかがでしょうか」
「セミオーダー……」
「おかしゃま! はやく、はやく!」
「はいはい。ちょっと待ってね。セミオーダーで検討していたので、ぜひ拝見させていただきます」
いつも以上に興奮気味のセアラに連れて行かれた先は、ティアラ風の髪飾りが展示されているコーナーだった。
「きれいね~。おしめさまみたいなの~」
「そうねー。あと『お姫様』ね」
「シェアラ、おしめさまっていったよ?」
言えていないのに言ったと言い張る娘にマリエルが苦笑する。
とりあえず端から順番に見ていこうと思ったマリエルは、興奮気味な娘が迷子にならないようにしっかりと手を繋ぎ、ガラスケースの中を眺めはじめる。
すると、ある髪飾りの前で繋いでいたセアラの手がピクリと反応する。
そこに展示されていたのは、頭に装着する部分にパールが左右交互にほどこされ、羽部分に石をはめ込むことができる蝶のモチーフが目を引くティアラ風の銀のカチューシャだった。
まるでスズランに蝶がとまっているようなデザインのカチューシャに、セアラは目が釘づけになっている。
そういえばセアラは、よくカチューシャを身につけているなと思い出したマリエルは、とりあえずこのデザインを誕生日に送る品の候補の一つにする。
同時に自分の好みを伝えてくるような反応をする娘に思わず笑みがこぼれた。
「セアラ、こっちも見てみましょう」
「うん!」
そう言って別の展示コーナーに向かおうとした瞬間――。
「マリエル様?」
突然、誰かに名を呼ばれ、マリエルは恐る恐るその方向へと振り返った。
すると、美しい銀髪をハーフアップにした妖精のような女性と目が合う。
驚きの表情を浮かべているその女性をマリエルは知っていた。
「ミルドレッド様?」
だが、知っているだけで会話をしたことは一度もない。
彼女は三大侯爵家の一つであるアバローナ家の一人娘で、年齢はマリエルよりも一つ上なので接点は特になかった。
だが容姿も内面も優れている彼女は淑女の鏡と言われ、マリエル世代の令嬢たちの間では憧れの的だった。
豊穣の乙女としての能力も高く、六歳の頃に受ける能力測定では、その年の豊穣の巫女にも選ばれている。
つまり五年前のマリエルにとっては、雲の上の憧れの存在という令嬢だった。
そんな侯爵令嬢が、なぜ自分に声をかけてきたのだろうか。
嫌な予感しかしないマリエルは口元を引きつらせて身構える。
すると、ミルドレッドはスッと目を細め、なにかを企むような笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「マリエル様が、この工房にいらっしゃるなんて驚きましたわ。本日はお嬢様もご一緒なのですね」
「え、ええ……」
「ですが、以前マリエル様は『プリエール工房の品は地味すぎて着る気にもなれない』とおっしゃっていませんでしたか?」
「そ、そのようなことをわたくしは言ったのですか!?」
「あら、覚えていらっしゃらないの? マリエル様は夜会やお茶会などでお会いした際、必ず親の仇のようにわたくしの服装に色々とご意見くださったではありませんか」
挑発するような態度を見せるミルドレッドにマリエルの冷や汗が止まらなくなる。
同時に五年前の自分を心の中で『なんてことをしてくれたんだ!』と罵倒する。
アバローナ侯爵家は三大侯爵家の中でも特に女神リーベの血が濃く受け継がれた一族と言われており、世が世なら王族と同等に扱われていた時代すらある。
ミルドレッドの髪色もその象徴のようなもので、リーベとその娘と同じ美しい銀髪だ。
そんな大物令嬢相手に五年前の自分は、頻繁に喧嘩を売っていたらしい。
しかも今のマリエルはメディウム侯爵家に嫁いでいる身なので、同じ三大侯爵家の夫人として交流する機会は多いだろう。
もし今後、三大侯爵家の集まりなどがあったら考えるだけで恐ろしい状況である。
だが、それ以前に筆頭侯爵家の令嬢に喧嘩を売った時点でマリエルの社交生活は終了している。
改めて自分の置かれている状況にマリエルは顔色を真っ青にさせる。
そんな絶望真っ只中の母の手を娘のセアラがクイクイと引っ張ってきた。
「おかしゃま~、シェアラ、あっち見たいのー」
「あ、あっち?」
「あっちねー、きれいなお洋服いっぱいあったの。シェアラ、あっち行きたーい」
「わ、わかったわ。あ、あのミルドレッド様……大変申し訳ございませんが、娘がこう申しておりますので、し、失礼してもよろしいでしょうか……」
青白い顔で懇願すると、ミルドレッドが真顔でジッとを見つめてきた。
そんなマリエルの今の心境は『一刻も早くここから立ち去りたい!』である。
足先は、すでにセアラが行きたがっている方向にしっかりと向いているので立ち去る準備は万全だ。
すると、重苦しい空気の中でなぜか突然ミルドレッドが噴き出した。
「ふふっ! マリエル様はお嬢様と大変仲がよろしいのですね!」
「えっ……?」
予想もしていなかった侯爵令嬢の様子にマリエルが唖然としていると、ミルドレッドはズイッと顔を近づけ、マリエルの顔を覗き込む。
「これまで感じた嫌な気配も、すっかりなくなっていらっしゃるわ。これが本来のマリエル様なのね」
ミルドレッドのその言葉にマリエルが大きく目を見開く。
「あ、あの! それはどういう――――」
そう言いかけた瞬間、遠くからミルドレッドの名が呼ばれる。
「ごめんなさい……。夫が呼んでいるので、わたくしもこれで失礼するわ」
「えっ! あの、ちょっとお待ちを――」
「おかしゃまー、はやくあっち、行こー?」
「ちょ、ちょっと待ってね! あのミルドレッ――」
今や侯爵夫人となったミルドレッドを慌てて追いかけようとするも、一人の男性がマリエルの前に立ちはだかる。
「どうした? また揉め事か?」
「サ、サイラス様!?」
「先ほど話をしていたのは、君がやたら目の敵にしていたアバローナ侯爵夫人だろう。三カ月前の件で謝罪でも要求されたか?」
「さ、三カ月前の件とは……? 私、一体なにをしたのですか!?」
「なんだ、違うのか……。ならば知らないほうがいい」
「お、教えていただけないほうが恐ろしいのですが……」
「おかしゃまー! あっちー! シェアラ、あっち行くー!」
この後、マリエルはセアラに振り回されながらも会場内でミルドレッドの姿を探してみたが、彼女を見つけることはできなかった。





