18.困惑する夫
「これは……一体どういう状況なんだ?」
「いや、それは俺にもさっぱりで……。朝食にこちらの不手際があって、たまたま俺が謝罪に伺ったんです。その時、急に奥様が部屋を覗く不審者がいるって言い出したんで、別邸周辺を確認して戻ったら、なんかお嬢がここにいて……」
「部屋を覗く不審者だと?」
「まぁ、その不審者ってお嬢のことだったんですけどねー」
「人の娘を不審者呼ばわりするな!」
「俺じゃないですよ! 奥様に言ってください!」
理不尽な責めを受けたクラムが、マリエルたちのほうへとサイラスの視線を誘導する。
二人の様子を目にしたサイラスは、深いため息をついた。
「どうしてセアラがマリエルに懐いているんだ? 少し前まで顔を合わせただけで脱兎のごとく逃げていたじゃないか……」
「そうなんですよね……。しかも奥様、やけに小さい子供の相手がお上手でして。お嬢がすっかり懐いちゃって、ここから動きそうにないんです……」
「本邸ではセアラの姿が見えないと大騒ぎになっていたのに……まさか別邸にいたなんて……」
「申し訳ございません。すぐに報告すべきでした」
再びため息をつく男性二人の苦労をよそに、セアラは満面の笑みで自身が描いたマリエルの似顔絵を掲げ、マリエルとフェニアに披露していた。
「おかしゃま、シェアラ、絵じょうず?」
「すっごく上手! 特にこの髪の毛が!」
「これねー、シェアラ、すぐにおかしゃまの髪の色ってわかったの! すごい?」
「うん! 凄い凄い!」
今度はこげ茶のクレヨンを誇らしげに掲げている娘の姿にサイラスが盛大にうなだれる。
「必死に探し回っていた父親の気も知らないで……」
「子供ってそういうものじゃないですか?」
「そうなんだが……納得がいかない……」
そう愚痴ったサイラスは、ゆっくりと立ち上がる。
「クラム、助かった。もう仕事に戻っていいぞ」
「はい。一応、本邸に戻ったら、今回の経緯をテレーズさんたちに報告しておきますね」
「ああ、頼む」
クラムを下らせたサイラスは妻と娘のもとへと向かう。
そんな父の登場にセアラが身構えた。
同時にフェニアが空気を読んで部屋の隅に下がる。
「セアラ、そろそろお父様と一緒に本邸に戻ろうか」
「シェアラ、まだおかしゃまとあそびたいの……」
「でもみんなが、セアラがいなくなったって心配しているよ?」
「でもシェアラ、まだここにいたい……」
口を尖らせてうつむく娘をサイラスが抱き上げ、そのまま長椅子に腰をおろす。
「お昼を食べた後にもう一度くればいいじゃないか」
「でも……おとしゃま、ここ、きちゃダメっていってた……。戻ったら、もうここ、これなくなるもん……」
「ダメっていったのに、どうしてここに来てしまったんだい?」
「だって……だって! ここ、おかしゃまいるってシェアラ、知ってたんだもん!」
娘の口から出た意外な言葉にサイラスは目を見張る。
どうやらセアラは、マリエルが使用人たちとともに別邸に荷物を移動させる様子を目にしていたようだ。
だが、なぜずっと怖がっていた母親に急に興味を持ったのかが謎である。
「セアラは、お母様に会いたくてここにきたのかい?」
「うん……。おかしゃま、おでかけおわったから……」
「おでかけ?」
娘の言っている意味がわからなかったサイラスは、マリエルに答えを求めた。
だが、マリエルは静かに首を振る。
「私も先ほど『おでかけから帰ってきたから会いに来た』といわれましたが……なんのことを言っているのか、よくわからないんです……」
「もしかしたら階段から転落したあとの君は一週間ほど自室にこもっていたから、そのことを言っているのかもしれないな」
「ですが、『ずっとおでかけしていた』と言われました」
「ずっと? どういう意味だ?」
二人で顔を見合わせた後、不貞腐れ気味な表情でサイラスに抱えられているセアラを見やる。
「セアラ、お母様はどこにずっとおでかけしていたんだい?」
「シェアラもわかんない……。でもおかしゃま、ずっとおでかけしてたの……」
そう言ってサイラスの胸元に顔をうずめてしまう。
「困ったな。まったく意味が分からない……」
「『おでかけ』もそうなのですが、もう一つわからないことを言っていて……サイラス様はセアラの描く絵で『真っ黒で怖い人』ってわかりますか?」
すると、なぜかサイラスが驚くような表情をする。
「もしや、なにか心当たりでも?」
「いや、その、まったく関係ないことなのだが……君が娘の名を口にするのをはじめて聞いたから少し驚いてしまって……」
「あっ……そ、その! 申し訳ございません! つい先ほど会話をしていた流れで!」
「なぜ謝るんだ?」
「あんな酷いことをしていたので、私がこの子の名前を口にする権利などないと思っていたので……」
すると、サイラスが深いため息をついた。
「だからこの前の相談の時に一度もセアラの名を口にしなかったのか……」
「えっ?」
「君は無意識だったかもしれないが、あの時この子の話題になると、ずっと『娘』と言っていたんだ」
「あっ……」
「『アレ』呼ばわりはしなかったが、名前を一度も口にしないので、君が本当に娘のために別邸への移住を希望しているのか、自分の保身のために言い出したのか、どちらか判断がつかなかった……」
「それは……失礼いたしました……」
「今後はちゃんと名前で呼んでやってくれ。なぜかわからないが、セアラは今の君のことを母親として好いているようだから」
「はい……。ありがとうござ――」
そう言いかけたマリエルだが、そこから言葉が続かなかった。
すると、サイラスの胸元に顔をうずめていたセアラが顔を上げ、驚いたあとに父親をキッと睨む。
「おかしゃま、泣いてる! おとしゃま、いじわるしたの!?」
「いや、お父様はなにも……」
「なんで……いじわるするのぉー……」
今度はセアラまで泣きだしてしまった。
「ち、違うのよ!? セアラ! これはお母様が勝手に泣いてしまっただけで……」
「おとしゃまのバカぁぁぁー!」
「バ、バカ!? どこでそんな言葉を覚えたんだ!?」
父親を責めだしたセアラは両手を突っぱねてサイラスの膝上から飛び降り、今度はマリエルの膝上にのってギュッとしがみついた。
「おかしゃま、だいじょぶよ? シェアラが守るから!」
「どうして私が悪者にされるんだ……」
涙目でキッと娘から睨まれたサイラスが、その理不尽な状況にうなだれる。
「セアラ。本当にお父様のせいじゃないの! お母様が泣いたのは、悲しいことを思い出してしまったからなの!」
「ほんと? おとしゃま、いじわるしてない?」
「してない! してない!」
「じゃあ、シェアラ、おとしゃまのことゆるしてあげる……」
「待ってくれ! お父様は、なにもしていないのに、なんで悪いことをしたことになっているんだ!?」
サイラスが抗議の声を上げるもセアラは耳を傾けず、マリエルの体に顔をうずめてしまう。
娘の自由すぎる言動にサイラスは疲れ果てるようにため息をついた。
「とりあえず、セアラの君に対する好感度が急変したことについては様子を見るしかないな……。君が『おでかけしていた』という話も今は幼いせいか上手く説明できないようだし。それと先ほど君が質問してきた『真っ黒で怖い人』? この件に関しても、もう少しセアラが話せるようにならないと上手く聞き出せないと思う……。ちなみに私は、その絵を見たことがない。どんな絵なんだ?」
「ええと……はじめ人型の線を描いた後に、その上から黒でもじゃもじゃと煙のように塗りつぶした絵でした」
「顔の中身や髪型は描かれていなかったのか?」
「はい。まだ幼いので、そこまで細かい部分までは描けないかと……」
「そうだよなー。セアラの描いた絵は辛うじて髪の色で誰を描いたか判別できる程度だもんなー……」
なんともいえない表情で呟くサイラスの様子にマリエルは涙目のまま苦笑する。
自称『お絵描きじょうず』のセアラだが、その絵はお世辞にも上手いとは言えない。
先ほどスケッチブックを見せられたマリエルも髪の色で誰であるか判断していた。
そんな話をしていると、マリエルの腕の中のセアラが不安そうに顔を上げる。
「おかしゃま……シェアラ、もうここ来ちゃダメ?」
「えっ……?」
マリエルでは許可ができないため、答えを求めるようにサイラスに目を向ける。
すると、サイラスが苦笑を返してきた。
「セアラ。これからはお母様に会いに来てもいいよ。ただし、お食事の時間とお勉強の時間とおやすみの時間になったら、いつものお家に帰ること! 守れるかい?」
「おやすみのじかんも……いつものお家じゃないとダメ?」
「お母様は少し前に階段から落ちて大けがをしたんだ。セアラが一緒だと遊んでしまって、お母様はゆっくり休めないよ? セアラも早くお母様には元気になってもらいたいだろう?」
「うん……。シェアラ、はやくおかしゃまに元気になってほしい……。だからお約束まもる……」
「うん。いい子だ」
二人のやり取りを見ていたマリエルだが、サイラスが予想以上に子供への対応が柔和なことに驚く。
普段は侯爵という立場で言い切るような口調が多いため、子供に対しても同じような口調で接するという先入観があった。
だが実際のサイラスは、セアラと話すときは腰を落として目線を合わせ、口調も柔らかい言葉遣いに変えている。
思い返せば、初対面時のマリエルに対しても今ような柔らかい口調だった。
恐らくサイラスはこの五年間で、穏やかな雰囲気をまとう侯爵令息から人の上に立つ侯爵として、すぐに気持ちを切り替えなければならない状況を強いられたのだろう。
そこには早くに両親を亡くしたという経緯もある。
「サイラス様は、すっかり父親になられているのですね……」
思わずこぼしたマリエルの呟きにサイラスが片眉を上げる。
「君だってセアラを生んだ時点で母親になっているじゃないか……」
「事実上は母親でも中身は、まだ親戚のお姉さんという感覚です」
「あれだけ子供の心を掴むのが上手いのに? そういえば君、いつ幼い子供との接し方を覚えたんだ?」
「ええと……」
すると、部屋の隅に控えていたフェニアがマリエルの代わりに答える。
「お嬢……奥様は、八歳の頃に慈善活動で訪れた孤児院で母性に目覚め、それ以降は毎週末孤児院に通っておられました」
「フェニ!」
「そう言えば釣書にもそんなことが書いてあったな……。だがセアラを出産後の君の態度から、好印象を与えるための盛った情報かと思っていた……」
「も、申し訳ありません!」
「まぁ、それならセアラをここに通わせても問題なさそうだな。だが念のためテレーズかレスリーは必ず同行させる。それは理解してくれ」
「はい……」
現状は娘に危害を加えないと信じてもらえたようだが、また以前のように戻るかもしれないとサイラスは警戒もしているようだ。
それはサイラスよりもマリエル自身が一番恐れていることだった。
同時に義姉フリーデの言葉が頭の中によみがえる。
『まるでマリーの皮を被った別人』
その『別人』が自分の中に再びやってきてしまったら、自分は打ち勝つことができるのだろうか……。
そんな不安を抱きはじめたマリエルだったが、腕の中で眠ってしまったセアラの寝顔を眺めていたら、いつの間にか穏やかな気持ちを取り戻していた。





