15.頼もしい義姉
私物をいくつか持ち出したマリエルがナイジェルと共にエントランスに向かうと、そこにはすでに荷物をまとめたフェニアが待っていた。
「フェニ、もう荷造りは終わったの?」
「はい。仕事に復帰してまだ三カ月目だったので荷物が少なかったのです」
「三カ月で退職って……本当にいいの?」
「今後はお嬢様に長く雇っていただくので問題ございません」
「そ、そう……。それならいいのだけれど」
二人がそんなやりとりをしている間にナイジェルが家族の肖像画を侯爵家の馬車に運び入れる。
「フェニア、君の荷物も載せるから、こちらへ」
「ありがとうございます」
「それとこの鞄にはお嬢様の私物が入っているので丁寧に扱ってくれ」
「かしこまりました」
「それと侯爵邸に着いたら、まず――――」
到着後にすることを確認し合う二人のやりとりをマリエルが眺めていると、屋敷前の門が開く音がした。
思わずそちらに視線を向けると、クラージュ伯爵家の紋章が入った馬車が敷地内に入ってくる。
その状況にマリエルの体が強張る。
紋章入りの馬車を使えるのはクラージュ伯爵家の人間だけだ。
乗車しているのは、つい先ほどまで面会していた父と兄でなはい。
そうなると今あの馬車に乗っているのは義姉のフリーデということになる。
兄から妊娠中の義姉に飲酒を勧めた話を聞いたばかりのマリエルは、顔を合わせるのが怖かった。
だが、非情にもクラージュ家の馬車はマリエルたちの馬車の隣に停車する。
そして御者によってその扉が開かれると、マリエルの記憶よりもさらに大人びた義姉が優雅に馬車から降りてきた。
その瞬間、義姉がこちらに気づきバチリと目が合う。
「マリー!?」
「ご無沙汰しております……。フリーデお義姉様」
「あなたが帰ってくる日は今日だったのね……。だから彼は私と子供たちを……」
「お義姉様……その、私は――――」
マリエルが飲酒の件を謝罪しようとすると、義姉はなぜか周囲を警戒しながら片手を上げ、マリエルの発言を遮る。
「マリー、このあと少し時間はある?」
「えっ? ええ。あとは侯爵邸に帰るだけなので」
「昔、よく二人で行ったホーリスにあるカフェサロンを覚えている? 申し訳ないのだけれど、先に行って私を待っていてくれないかしら。あそこはあなたの帰り道の方向だし、私の名前を出せばすぐに個室に通してくれると思うから」
「あの……お義姉様?」
「お願い……。どうしてもあなたと話がしたいの。私も子供たちを部屋に帰したら、すぐに向かうから」
ふと馬車の中に目を向ければ、中から興味深々といった様子の五歳くらいの男の子と二歳くらいの女の子がこちらをジッと見上げていた。
どうやら兄夫妻も、この五年間で二児の親となっていたようだ。
「わかり……ました。では、いつものカフェサロンでお待ちしております」
「いつもの、ね。あなた、本当に記憶が五年前に戻ってしまっているのね……」
「なぜ、それを?」
「詳しいことはカフェで話すわ。今は早く馬車に乗って! もし夫に見つかったら引き止められてしまうから……」
「は、はい! フェニ! 帰りにホーリスの街にあるカフェに立ち寄りたいから、急いで出発しましょう!」
「えっ? 急にどうされ……って、若奥様!?」
「フェニア、お願い。マリーをホーリスの行きつけのカフェまで連れてきて! 今からそこで私と落ち合うことになっているから」
「か、かしこまりました! ええと、御者の方! お嬢……奥様がお帰りに立ち寄りたい場所があるそうです。私が案内いたしますので、すぐに出発をお願いできますか!」
マリエルとフリーデからの指示でフェニアが大慌てでメディウム侯爵家の御者の隣に座り、出発を促す。
マリエルも素早く馬車に乗り込むと、そのことを確認した御者がすぐに走り出してくれた。
よくわからない状況で馬車に揺られること十五分。
目的のカフェに到着しフリーデの名を告げると、いつも通されていた個室へと案内される。
その間、フェニアには馬車で待機してもらい、御者と交代で休憩を取るように指示を出した。
恐らく義姉は内密な話をしたがっている。
フェニアには申し訳ないと思いつつ、マリエルは一人個室で出されたお茶を口にしながら義姉を待った。
すると十五分後くらいにフリーデが到着する。
そしてウエイターになにかを指示したあと、マリエルの向かい側の席に座った。
「急に誘ってごめんなさい。でもこの機会を逃したら、あなたと話ができないと思ったから……」
「それは、どういうことでしょうか?」
「あなたの記憶が五年前に戻っていることをお義父様から聞いて、私も話し合いに参加させてほしいって夫に頼んだの……。だけど会わせたくないと言われてしまって……」
「それは……五年前に私が妊娠中のお義姉様に飲酒を勧めたからですよね? その……自分でもなぜそのようなことをしたのかわからないのですが……その節は大変申し訳ございませんでした……」
「そのことなのだけれど……あなたのそれは、本当に忘れてしまっているだけなの?」
「えっ……?」
もしや記憶喪失のふりをしていると疑われているのでは……。
一瞬、そう解釈しまったマリエルだが、フリーデの表情を見てそれはすぐに違うと考えを改める。
今の義姉は、どう見てもマリエルのことを心配している様子だ。
だが、そうなると何を心配しているのかが、わからない。
そもそも義姉から質問されている内容の意味がマリエルには理解できなかった。
「申し訳ございません……。お義姉様の質問の意味がよくわからないのですが……」
「そうよね……。ええと、私が確認したいのは、今のあなたの症状は記憶を忘れているのではなく、初めからこの五年間の記憶を持っていないんじゃないかってことなんだけれど……」
「記憶を持っていない?」
「たとえば、この五年間のあなたは、なにかに体を乗っ取られて意識がなかったとか……」
「乗っ取りですか!?」
「実はね、五年前にあなたは教会で悪魔祓いを受けているの」
「ええっ!?」
「あと有名な霊媒師にも何人かにみてもらったわ。でも、そういう類のものは一切感じられないと言われたの。むしろ、あなたの心の部分に問題があるかもしれないと言われて……。人って過度なストレスを受けると、自分の中にもう一人の人格を作って現実逃避をすることがあるそうよ」
「もう一人の人格……」
そう呟いたマリエルは、自分の中にいるかもしれないもう一人の人格に恐怖し、両腕をさする。
「でもそれも違うと思う……。だって様子がおかしくなった時のあなたって、ちょうどサイラス様と顔合わせをしたばかりの頃だから、過度なストレスどころか浮かれていたでしょう?」
「うっ……」
さらりと痛い思い出を蒸し返されたマリエルが、胸に手を添え小さく呻く。
サイラスと初対面をした日、マリエルはフリーデにもその喜びを熱く語っていたのだ。
「でもね……突然豹変したあなたは、まるでマリエルの皮を被った別人にしか私には見えなかったの……。教会での悪魔祓いも霊媒師にみてもらうことも提案したのは私よ。だって、性格だけじゃなくて好みや特技も変わっていたから」
「好みはわかりますが……特技もですか?」
「ええ。あなたは昔から乗馬が得意で、よくシオンと遠乗りをしていたでしょう? でも様子がおかしくなってからは、まったく馬に乗らなくなったの。そんなあなたを心配してシオンが遠乗りに誘ったんだけれど、乗馬は苦手だから二度と誘うなってすごく怒っていたことがあって……」
『シオン』というのは兄のレシオンのことだ。
だが、その愛称で呼んでいるのは妻であるフリーデのみである。
「乗馬が苦手……私は本当にそんなことを言っていたのですか?」
「シオンからは、そう聞いたわ。今のあなたは、どう?」
「サイラス様が馬を貸してくだされば、嬉々として乗り回していると思います」
「そうよね……。それが本来のマリエルよね……」
なにやら変な部分で自分の人格を確認されたマリエルが複雑な気持ちに陥る。
だが、好みだけでなく特技まで変わっていたとなれば、完全に別人になっていたとしか思えない。
もしこの五年間、マリエルが別人になっていたとしたら、一番現実味があって可能性が高いのは『自分の中にもう一人の別人格が存在している』という仮説だ。
そのゾッとするような状況にマリエルは、急に自分が恐ろしい存在に思えた。
「も、もし『別人格が私の中にいる』というのが原因だったら、また五年前の人格が表に出てくるということですか!?」
「それは私もわからないけれど……そういう心の病があるのは確かよ。でも流石に五年間も別の人格が表にでているという事例はないみたい。ちなみに心の病気を専門に扱っている医師にもあなたを診てもらおうと思ったのだけれど、その前にあなたは嫁いでしまったから……」
その話に帰ったらすぐに医師のグレードルに相談しなければとマリエルが焦っていると、フリーデがすまなそうに謝罪を口にしてきた。
「ごめんなさい……。私がもっと上手くシオンとお義父様に原因を調べてもらうように動けていたら、あなたの暴走を止められたのに……。飲酒の件がきっかけで、夫があなたを私から遠ざけていたの……」
「そう……なりますよね……」
「でもね、あなたのことをよく知る人間からすると、この五年間のあなたは体の中に別の人間が入り込んでいる状態にしか見えなかったのよ。シオンとお義父様もはじめはそういう感覚だったのだけれど、お母様が亡くなっ――――」
そこでフリーデが慌てて口元を押さえた。
だが、すでにそのことを知っているマリエルはゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫です……。先ほど父と兄より母のことを伺いました……」
「マリー……」
憐れむような表情を浮かべた義姉は、なぜかハンカチを取り出した。
「あなた、全然大丈夫じゃないじゃない……」
「えっ?」
すると、テーブルにポタリとなにかが落ちた。
それが涙であることにマリエルが驚いていると、義姉が憐れむような表情でハンカチで手渡してきた。
「マリー……この五年間の自分の行動を周囲から聞かされるのは……とても辛かったんじゃない?」
その瞬間、マリエルの涙腺がブワリと崩壊する。
突然、溢れはじめた涙をマリエルは必死でハンカチで拭うが、まったく追いつかない。
あっという間に泣きじゃくる状態に陥ってしまったマリエルは、少しずつ胸の内を語りだした。
「わ、私、自分でも信じられないくらい……皆に酷いことをして……大好きな人をたくさん傷つけて……。でもまったくそのことを覚えていないの……。それが悔しくて……腹立たしくて……もう自分なんて消えてしまえばいいって思って……」
この二週間、ずっと自分の中に溜め込んでいたものを吐き出しはじめると、フリーデが隣の席に移動してきた。
「あなたが消えてしまったら私が困るわ……。大好きな妹がいなくなったら悲しく毎日泣いてしまうもの」
「お、お義姉様は……どうしてそんなに私のことを信じてくれるの? この五年間、皆のように私のことを……憎いって思わなかったの……?」
ボロボロと涙をこぼすマリエルをフリーデがそっと抱き寄せる。
「先ほども伝えたけれど……私にはこの五年間のあなたは、なにか禍々しいものに体を乗っ取られているようにしか見えなかったの。だから『これはマリーじゃない』という感覚が強くて、あなたを憎むことはなかったわ。逆にそんな状態になっているあなたが心配でたまらなかった……」
「で、でも私……に、妊娠中のお義姉様にお酒を……」
「それも私には『あなたではない』という感覚だったの……。それに結局は大事にいたらなかったのだから、もう自分を責めるのはやめなさい?」
「わ、私……他にどんな酷いことをしていたの? お義姉様だけでなく、クラージュ家の使用人たちにも……たくさん酷いことをしていたのでしょう?」
「それを今、知る必要がある?」
「だ、だって……じ、自分がやってしまったことなのに覚えていないなんて……あまりにも無責任だわ……」
すると、フリーデは少しマリエルから体を離すと、両手で顔を包み込んできた。
「マリー、一気に全部抱え込もうとするのはやめなさい。あなたはそんなに強くはないの。受け入れるのは少しずつでいいの。そして、もっと周りを頼りなさい。少なくとも私とフェニアは、あなたの味方よ?」
「ふっ……うぅ……お、お義姉様ぁー……」
再びボロボロ泣きはじめたマリエルをフリーデが、そっと抱きしめる。
すると、室内に控えめなノック音が響いた。
「入って」
「失礼いたします。若奥様、そろそろお戻りにならないと若旦那様が……」
「そうね……。マリー、この続きはまた次回ゆっくり話し合いましょう。声をかける時はフェニア宛であなたに手紙を出すから。あなたも、もし困ったことがあったらフェニアに代筆させて彼女の名前で私に手紙を送ってちょうだい。そうすれば、無事に私のもとへ手紙が届くと思うから」
「はい……」
自分の名前では義姉の手元には届かない可能性があるのだろう。
そんな現実にマリエルの心が少しだけ痛んだ。
「少しずつ、少しずつでいいから……あなたの印象を回復させていきましょうね」
優しく頭を撫でながら慰めの言葉をくれた義姉にマリエルは何度もうなずいた。
そんなフリーデは、やや名残惜しそうに侍女とともに部屋を出ていった。
この日、実家に足を運んだことで母の死という受け入れがたい現実を突きつけられ絶望したマリエル。
だが、少なくとも自分には二人も味方がいるということを知ることができた。
それだけで大分心が救われた気持ちになれたマリエルは、フェニアとともに侯爵邸へ戻る。
この日を切っ掛けにマリエルは過去に立ち向かうように前へと進みはじめるのだが、この時はまだその実感があまりなかった。
お待たせしました!
次回やっと娘が出てきます。(^_^;)





