13.唯一の味方
マリエルが過呼吸になりかけたことで騒然となったクラージュ伯爵家だが、執事の機転で大事には至らず、話し合いが再開された。
ちなみに兄レシオンは冷静に話ができないという理由で父が退席させたらしい。
だが、兄がいなくなったくらいでは重苦しい空気は改善されなかった。
「マリエル……その、一度、医者に……」
「もう大分落ち着きましたので大丈夫です……。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。医者は……帰宅後に主治医に診てもらいます」
「そうか……」
青白い顔色をしたマリエルが、泣きはらした目を隠すようにうつむく。
父親のほうも先ほど狼狽えて、まったく動けなかったことを恥じるように視線を落とした。
だが、マリエルの後ろで控えているメイドは、使用人という立場でありながら雇用主であるマリエルの父を睨みつけている。
彼女は『フェニア』といい、マリエルが八歳の頃から五年間、専属メイドとして仕えてくれた子爵家の令嬢である。
マリエルよりも五つ年上の彼女だが、十八歳の頃に父親が事故で亡くなり、跡継ぎの弟が当時まだ十二歳だったので、家業を手伝うため一度クラージュ家を去っている。
最近、その弟が無事に家督を継いだのでフェニアも職場復帰したそうだ。
だが今のマリエルのフェニアとの交流記憶は、サイラスとの婚約を喜ぶ分厚い手紙を送りつけたというところで止まっている。
すると、フェニアが父を睨みつけながらスッと片手を上げた。
「旦那様、発言をお許しいただけますか?」
「あ、ああ……。かまわない」
「ありがとうございます。実はつい先ほどメイド長よりマリエルお嬢様が嫁ぎ先での専属メイドを探されているというお話を伺いました」
フェニアの話に思わずマリエルが父に視線を向ける。
先ほどの話し合いでは「皆には声をかけてみた」と父は言っていたが、どうやら違うらしい。
そんなマリエルの反応に気づいたのか、父親が気まずそうに謝罪してきた。
「すまない……。フェニアはお前を妹のように可愛がっていたから、豹変したお前に会わせたらショックを受けると思い、敢えて声をかけなかった……。お前が記憶を失ったという話も信じられなかったんだ……」
「そう、でしたか……」
父親の言い分を聞いた背後のフェニアが不快そうに咳払いをした。
今の話では、最初から父と兄はマリエルの記憶喪失を信じていなかったということになる。
そのことにもフェニアは腹を立てているのだ。
そんな彼女の今の服装は誰かに引っ張られたように乱れている。
恐らくフェニアは、マリエルが専属メイドを探していることを直前で聞かされ、いざ志願しようと応接室に入ろうとしたら周囲から引き止められたのだろう。
先ほど部屋に飛び込んできた際、彼女の背後にいた数名のメイドが尻もちをついていたのがチラリと見えたことをマリエルは思い出す。
「フェニ、もういいから……」
「よくありません!! もしナイジェルさんが控えていなかったら、お嬢様は呼吸ができずに窒息死していたかもしれないんですよ!?」
フェニアのその訴えで父親がビクリと肩を震わせた。
ちなみにナイジェルと言うのは、先ほどマリエルを過呼吸から救ってくれた執事である。
部屋に案内されている間は目すら合わせてくれなかったが、今は同情めいた視線をマリエルに向けていた。
どうやらナイジェルは、先ほどのやり取りでマリエルが記憶を一部失っていることを信じてくれたらしい。
それは目の前の父も同じようで、先ほどのフェニアの訴えで苦悩するように頭を抱え込んでいる。
「本当にすまない! だが、決してお前を見殺しにしようとしたわけではないんだ! 先ほどは動揺して……まったく動けなかっただけなんだ……」
母の死でマリエルが泣き叫んだ状況は、父たちにとって娘の記憶喪失が演技ではないことが判明した瞬間でもあった。
二人が咄嗟に助ける動きができなかったのは、その直前までマリエルを疑い、酷く拒絶していた罪悪感が判断力を鈍らせたと思われる。
当事者であるマリエルと一部始終を目にしていた執事のナイジェルは、父親たちが動けなかった心境を察することができるが、状況を知らないフェニアには『過呼吸に陥った娘を傍観していた』と見えてしまったのだろう。
だが、フェニアが一番不満に思っていることはそこではなかったらしい。
「旦那様、お嬢様への謝罪は後々ゆっくりしていただくようお願い申し上げます。それよりもまずは、私にお嬢様の専属メイドに志願する許可をしていただきたいのですが?」
「フェニ! いいの!?」
「はい。もともとこちらの職場に復帰した理由が、またマリエルお嬢様にお会いできるかもという思いからだったので。直接お嬢様に雇っていただけるのであれば願ってもない好機です」
「フェニ……ありがとう!」
「お礼を申したいのはこちらのほうです。ですが……まずは現雇用主の旦那様より許可をいただいてからになりますね」
『許可しろ』と言わんばかりの強気な態度のフェニアに、マリエルの父が降参するように片手を上げた。
「わかった、許可しよう。すぐに退職手続きをするので、この後は荷物をまとめてマリエルと共に侯爵邸に向かうといい」
「ありがとうございます!」
「マリエル。フェニアが荷造りをしている間に、もし邸内で廻りたい場所があるのならナイジェルに案内してもらいなさい」
「では、あの……お母様のお部屋を見せていただいてもよろしいでしょうか」
「構わないが……大丈夫なのか? レシオンなど未だに母との思い出が辛すぎて、あの部屋に入れないと言っているが……」
「今日しっかりとお母様との思い出が詰まったお部屋を目に焼きつけておきたいのです」
「わかった。ナイジェル、案内を頼む」
「かしこまりました」
「それと……お前の部屋もそのままにしてあるので必要な物があれば持ち帰っても構わない。その場合はナイジェルに荷造りをして貰いなさい」
「ええと……私の部屋はまだ残っているのですか?」
「レイリシアの遺言でな……。お前が健在のうちは、いつ帰ってきてもいいようにそのままの状態で残しておいてほしいと言っていたんだ」
「お母様……」
すると、マリエルの瞳からポロポロと涙がこぼれはじめた。
先ほどかなり取り乱して泣き切ったマリエルだが、ふとした瞬間に母のことを思い出すと、すぐに涙がこぼれてしまう。
そんなマリエルにナイジェルがハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう……ナイジェル」
「いえ……。事情を知らなかったとはいえ、お出迎え時は大変失礼いたしました……」
「いいの。それよりも……すぐにお母様のお部屋に案内してもらいたいのだけれど」
「かしこまりました。旦那様、お嬢様をお連れしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む。マリエル、フェニアの身支度ができたら声をかけるから、お前も持ち帰りたい物があれば準備しておいてくれ」
「はい。ありがとうございます」
父親から許可をもらったマリエルは、まずは生前母親が使っていた部屋にナイジェルと共に向かった。





