第12回
突き落とされることは分かっていた。
慌てず受け身をとって地面を転がる。
弾力のある巣魂の上に落ちたことで、軽い打撲程度ですんだのはよかった。この弾力がくせもので、鉄の刃を通さない。おそらく初代男爵も、それで駆除をあきらめたのだろう。巣魂を破壊できるのは、退魔師の気を通す<道>が開かれた破魔の剣か魔断だけだ。
あいにく両方とも手元にないセオドアにできるのは、次善の策だった。
壁に背を押しつけ、周囲に目を配る。
幸いにもまだ孵化した巣魂はないようだが、4日前と比べて、どの巣魂も目に見えて内部流動を早めていた。表面の糸の黄土色が強まり灰色がかっている。エドモンの言うとおり、いつ孵化してもおかしくない状態。
ドクドクと鼓動のように波打った光を発する巣魂たちに油断なく視線を配りながら、セオドアはドレスを脱いだ。髪を覆った髪飾りも外して、そこにつけられている滴型の翠玉を急ぎちぎり取る。
縫いつけるための糸通しの部分を折れば、翠玉は真球状態になった。
真球の翠玉は、セオドアの武器、封魔具となる。
この小ささでは1つで妖鬼1匹を封じるのがせいぜいだが、十分だ。
彼女の希望どおりにしてくれたエイラスに内心感謝しつつ、すべての翠玉を外したセオドアは、次にドレスの加工に入る。縫い糸を歯でかみ切り、ふとももの中ほどから裾までの部分をちぎり取って、ほつれた縫い目をさらに両側に引っ張って縦に裂き、スリットを入れる。これで大幅に動きやすくなった。
パンプスは底が薄く、かなり機動力が削がれる。はだしになるべきか考えたが、ゴツゴツとした岩場であることを考え、はだしよりはましだろうと考え直し、ひも状になったレースで縛り、できるだけ足に固定する。
残りのレースで、長い髪をうなじでまとめた。
「これでいい、か」
万全とはほど遠い。が、今手元にあるものでできるのはこれくらいだ。
もう一度巣魂を見て、セオドアは動きだした。
あれらがすべて孵化する前に、出口を見つけなくてはならない。
思ったとおり、穴には幾つもの道が開いていた。
どこにも通じていない穴なら、気だまりに湧く巣魂があんなにできるわけがない。上のドアは閉じられている。きっとどこかが外とつながっているはずだと思っていた。
この穴のどれか、1つあるいは複数が、外と通じている。
問題はあかりだ。
あかりは巣魂のある穴から遠ざかるにつれてなくなっていった。夜目は利くが、それでも完全な暗闇で何かを見通せるほどではない。とても古い、崩れかけたトーチホルダーらしき物がほんの数カ所、壁にあったが、そもそも火をつける物がないのでどうしようもなかった。
暗闇から襲いかかられる可能性を考え、入らないほうがいいと、最初のうちは目の利く範囲内で探した。
通る道はどれも似たようなもので、まるで天然の迷路のようだ。行き止まりに突き当たると戻って、拾った石で壁に×印を付けては別の道へ入る。いくつか外に通じているのではないかと思える穴を見つけたが、どれもセオドアの頭ほどの大きさもなく、かすかに風を感じる程度だった。
まさか、こんな空気穴のようなものしかないのだろうか……。
嫌な予感が胸で渦を巻く。
もしそうなら自分は終わりだ。
気力が萎えるので、あまり考えないようにした。まだすべての道を見たわけじゃない。
行きつ戻りつ、そうしているうちに、自分がどこにいるのか、どれくらい進んでいるのかも分からなくなってきた。
そもそも全体の大きさも分からず、地図もない、うす暗い場所だ。最初の穴からどれほど離れられたのか……。
それほど離れていないと知ったのは、キイィィィイィィィ、と硬く、鋭く、神経質な獣の甲高い声が聞こえてきたときだった。
ついに孵化が始まったのだ。
その声を皮切りに、妖鬼の産声らしき金切り声がいくつも響いてくる。
孵化したばかりの生き物は、孵化にエネルギーを使って腹を空かせている。すぐに獲物の――セオドアの――生気のにおいを嗅ぎ取って、追ってくるに違いない。
セオドアはチッと舌打ちをして、先へ進む足を速めた。
暗いことを気にして道をえり好みしている場合じゃない。手元の翠玉は100に満たない。妖鬼たち全部を封じられるほどもなく、また全部を使い切る前におそらくセオドアの力のほうが尽きるだろう。
だが洞窟のような場では、やはり妖鬼たちに分があった。
足元が悪く、あかりもなく。走ることができないセオドアは、あっという間に妖鬼に追いつかれてしまう。
獲物を見つけた歓喜に奇声を上げ、背後から飛びかかってくる妖鬼たちに向け、セオドアは布の包みを開き、取り出した翠玉を指で弾いてぶつけた。
簡単な口呪をつぶやくと翠玉は宙で止まり、光りながら回転し、妖鬼を吸い込んでその場に落ちる。
回収している暇はない。
最初のうちはちゃんと封魔できているか見ていたが、すぐにその余裕もなくなって、翠玉をつぶてのように指弾しては口呪を繰り返し続けた。
(あんなやつらに喰われてたまるか)
1カ月前はそれを望んで砂漠へ入ったのに。
今は、1度でもそんなことを考えたのが不思議なほど、そのことに嫌悪を感じた。
10年以上の訓練のたまものか、横穴から飛び出してくる妖鬼たちの気配を察知して、考えるよりも早く体が反応してくれる。
体に染みつくくらい、厳しく何度も教え込んでくれた教え長たちに感謝しつつ、前へ進む。
やがて、前方がほのかに明るくなった。
ついに出口を見つけられたと歓喜しながら疲れた足をむち打つように走る速度を速めて角を曲がる。
そうして飛び込んだ先が、元の穴だと知ったとき。
セオドアは愕然となった。
いつの間にか1周してきていたのだ。
「……はは……」
絶望の自嘲が無意識に口をつく。
だがそうしてわずかな時間、絶望に浸ることすら彼女には許されなかった。
「!」
自分に向けて振り下ろされる腕を見た、というより、気配を感じて右へ跳ぶ。
衝撃に囚われていた分わずかに遅く、袖を裂かれ、その下の肌を傷つけられたが、それだけですんだのは幸いだった。
グルルとのどを鳴らす野太い声の主をにらみ据える。
「魎鬼か」
巣魂からかえるのは妖鬼ばかりではない。条件が合えば、一足飛びに魎鬼が生まれることもある。
あるいは、ここで孵化した大量の妖鬼同士が共食いをして、魎鬼になったのかもしれない。
どちらにしてもここは異常な力場であることは間違いなく、絶対に人が住んではいけない場所だとセオドアはあらためて思った。
(しかし……あれだけ探したのに、どこにも外へ通じる穴はなかった)
ちら、と背後を一瞥し、上の踊り場へ通じる階段が途中で壊れているのを確認する。
しかも岩壁は上に向かうにつれて前傾しており、場所によってはかなり鋭角にせり出している所もある。湿気で濡れてつるつるして、崩壊している所もあり、あれでは登って逃げるのは無理だ。
たとえ妖鬼や魎鬼のかぎ爪や膂力をもってしても、上へ上がるのは無理だろう――そう考えた瞬間、ふと、何かが引っかかった。
(やつらでも、上がれない……?)
定期的に巣魂が沸きやすい場所、妖鬼、魎鬼。
そして彼らを崇め、生け贄を捧げていたという邪教徒たち。
妻たちをエサとしてきた代々の男爵のしてきたことは、まさにそれではないか?
(……まさか)
あるおそろしい考えが脳裏に閃く。
邪教徒討伐にやってきた初代男爵。それを迎え討つ司祭。
はたして勝ったのは、本当に初代男爵だったのか?
投げ込まれた妻は、本当に夫を諫めようとしたからか……?
グアァアアアァオゥウウウ――
咆哮を上げて襲いかかってきた魎鬼の攻撃に、考えは中断された。
振り回される長い腕と鉄のような爪を避ける。
うす暗がりで足場が悪く、そこら中に孵化して割れた巣魂や孵化直前の巣魂があって、思うように動けない中で逃げるのは、何かの片手間にできることではない。
それに、数百年前の事件についてなど、考えてもしかたのないことだ。
「……ッ!」
ぶうんと横薙ぎされた腕をしゃがんでかわす。だが髪をつかまれた。吊り上げられ、壁に向かって投げつけられる。
「っあっ……!」
ぶつかった背中を中心に激痛が走り、その場にくず折れた。
翠玉がばらばらとその場に散る。
残った数は10もない。
もとより、こんな小さな球では魎鬼を封じることはできない。
詰みだ。
泥の中に横倒しになって、荒い息を吐き出しながら、セオドアはさとった。
今、痛みをおして立ち上がり、逃げ回ったところで魎鬼を倒すだけの武器がない以上、いずれ力尽きる。
もし運良く倒せたとしても、待っているのは妖鬼たちだ。
今は魎鬼を恐れて手出しを控えて壁際に退いているが、その魎鬼が斃れれば、われ先にセオドアに飛びかかってくるに違いない。
10匹どころではない。やつらを全部封じるのは不可能だ。
このまま倒れていればいい。これ以上抗って、痛い思いをして、逃げ回ったところで、魎鬼を倒したところで、意味はない。
早いか遅いかの違いだけだ。
「…………」
ああ、それなのに。
いや、それでも。
「何ひとつ、まともにできなかったわたしにだって、自尊心はあるんだ……。
退魔師が、魅魎を前に気持ちで負けて、何もせず終わるなんて。一番恥ずべきことじゃないか」
死んで、向こうの世界に渡ったあとまでだれにも顔向けできなくなるなんて、絶対にいやだ。
目の前に転がった翠玉を土ごとにぎり、ぐっと肘に力をこめて身を起こす。
わななく膝をしかりつけて、立ち上がった、そのときだ。
「セオドア! これを使え!!」
そんな声とともに投げ込まれたそれが剣であると知った次の瞬間セオドアは跳躍し、剣をつかむと同時に鞘から抜き放ち、その刃を魎鬼にたたきつけた。
刀身に開かれた<道>にセオドアの気を流し込まれた刃は切れ味鋭く、まるで溶けたバターのように魎鬼を頭から真っ二つに切断する。
それが、リィアに置いてきたはずの蒼駕の剣であると気付いたのは、着地してからだった。
赤い炎が地を走り、壁際にいた妖鬼たちや不浄の巣魂を一掃する。
踊り場から軽々と飛び降りて、紅蓮に燃えさかる炎の中を自分のもとへ歩いてくる男の姿を、セオドアはまばたきもできず見つめ。
そうして。
「……エセル……」
決して喚んだりしない、もう二度と会わないと決めた男の名を、セオドアは口にしたのだった。
ここまで読了いただきまして、ありがとうございます。
これまで何度も書いてきましたが、下級魅魎は、生気を得られないと崩壊する存在です。
たとえ湧いたとしても、エサを与えなければいいだけなんです。特に、外へ通じていない穴の場合は。
それをしなかったことから、セオドアは、埋められるているか板打ちされている可能性があるが、外へ通じる出口があるのではと考えていました。
けれどそれがなかった。
しかも上に上がることもできない穴で、エサを与えていたのはどういうことかと思い至ったわけです。




