第11回
●悪夢の結婚式
運命の朝。
これから起きることを思えば皮肉など晴れやかな朝が来て、セオドアは使用人の手を借りて身支度をすませた。
「それでは、時間がきたら、お知らせに参ります」
セオドアを見て、自分たちの施した出来に満足そうにうなずき合った使用人たちは戸口で一礼し、部屋を出ていく。
ようやく1人になれたと椅子に腰かけたのもつかの間。すぐにこちらへやって来る聞き慣れた足音がして、ノックもなしにドアが大きく開かれる。
「準備ができたそうだな! セオドア!
愛しい夫が、美しいおまえを見に来てやったぞ!」
開口一番恩着せがましい言葉を発したエドモンに、セオドアは冷めた侮蔑の目を向けた。
一方で、エドモンはセオドアの装いを観察する。
首から足先まで覆った最上級の白いキサラの上からまるで流れる滝のようにふんだんに使用されたアルマンレースは窓から入る日の光を浴びて光り輝き、セオドアの桃色の肌の美しさを際立たせていた。
時間をかけて何十回と梳かされた白金色の髪はまろやかな艶を放ち、肌は擦り込まれた薔薇水が体温で温められて甘やかな芳香をほのかに漂わせていたりと、いかにも美しい、花婿の腕に抱かれ、愛されることを期待する初々しい花嫁そのものといった姿だ。
しかし長いまつげに縁取られた碧翠の瞳は強い意志の力でこの4日間変わらず目の前にいる彼を拒絶している。
そして一文字に引き結ばれた桃色の唇が放った言葉は、甘やかさとはほど遠いものだった。
「戯れ言を言うな」
そんな彼女にエドモンはますます笑みを深くし、歩み寄るとあごを取って上を向かせる。
「まあそう言うな。結婚するのはこれが初めてなのだ。浮き足立ってもおかしくはないだろう?
それに、今日のきみは本当に美しい。わが男爵家にふさわしい格式高いデザインと翠玉がちりばめられたそのドレスは、気位の高いきみに実によく似合っている。さながら誇り高き女王のようだ」
そして唐突に彼女の桃色の唇に自分の唇を強く押しつけた。
引き結ばれた唇を強引にこじ開け、中へ押し入る。
抵抗されたときの用心に腕をつかんでいたが、意外にもセオドアは彼を突き放そうとするといった抵抗を見せなかった。
そのことから彼女もこれを気に入っているのだと思い、キスを深めようとした、そのときだ。
「!」
舌をかまれた痛みに、エドモンは身を退く。
口元に手をあて、次の瞬間セオドアを左の手の甲で平手した。
セオドアは軽く吹っ飛んで、寝台の上に倒れ込みかける。しかしすぐにすっくと立ち上がり、堂々と彼をにらみつけた。
「どこまでもかわいげのない女だ。少しはわたしに媚びようとは思えないのか。美しいその姿でわたしを誘惑してみろ。そうすれば――」
「あの妖鬼の穴にわたしを落とすことはやめるとでも?」
「そうだな。そうしてやってもいい。
その場合、落ちるのはあの娘になるが」
「なら、このままでいい」
口を開くたび、たたかれた頬が痛んだ。
利き手ではない左で、しかも手の甲で。エドモンの体格を思えばずいぶんと力加減をした平手だったのだろうが、それでも頬はズクズクと痛みに脈打っている。
指をあて、傷の加減を量りたい思いを押し殺して、セオドアはエドモンから目をそらさなかった。
「わたしを落とせ。わたしは逃げも隠れもしない」
「すばらしい。あの穴に落とされた歴代男爵夫人の中に、きみほどの胆力の持ち主はいなかったに違いない。それを惜しいとわたしが思える人間ならばよかったのだろうが……わたしは、もっと従順な女性が好みなのだよ。
女性とは、わたしのために美しくあり、わたしにほほ笑みかけ、わたしの言葉に従っていればいい」
「なるほど。わたしには縁のないものばかりだな。
だがそんなわたしでも、こうしておまえの言葉に従っている。その褒美をくれないか」
「何かね?」
「5分でいい、ライラに会わせてほしい。……お願いだ」
最後に付け足された言葉にエドモンは気を良くし、「分かった」と答えた。
「ただし、ドアの前に人を置いていることを忘れないことだ」
「逃げないと言っただろう。信じないのか」
エドモンは、声を荒げたのはあのときだけで、この4日間、ずっと彼の言いつけを守り部屋で過ごしていた自制心の強いセオドアについて考え、あごをなでた。
「不思議と、きみのことは信じられると思いだしている」
「5分だけだ」と言って、エドモンは部屋を出て行った。
「セオドア! よかった、無事ね?」
部屋に入る早々ライラはセオドアの元へ駆け寄って抱きついてきた。そして目に飛び込んできた頬の赤い腫れに目を丸め、彼女がたたかれたことを知って驚き、そっと指で触れようとする。
「大丈夫だ。もうほとんど痛みはない」
「十分ひどいわよ、女の子を殴るなんて、あの男!」
憤慨し、きょろきょろと部屋の中を見渡して、サイドテーブルの上の水差しを使って濡らしたハンカチをセオドアの頬にあてた。
「そのままでいいから聞いて、ライラ。
式が始まったらエイラスを見つけて、彼と一緒にここを抜け出すんだ。式が始まってしまえばあなたたちは彼らにとって重要じゃなくなる。見張りは手薄になるはずだ。
できる?」
「ええ、できると思うわ。この3日間、館の中をいろいろ見て回ってたの。見張りの交代時間や順路も把握済みよ」
「さすがだ」
感心するセオドアに、ライラは「あなたと一緒に逃げようと探っていたの」と残念そうに付け足した。
「エドモンにも何度もお願いしたんだけど、どうしてもあなたに会わせてもらえなくて……」
「わたしもだ。だけどこうして会えた。
隊へ戻ったら、できるだけ目立たないように町を出るんだ。エドモンはきみたちを侮っている。商隊の者が何を言っても信用されるはずがないと。だからきっと追っ手はかからないと思うけど、念のため、彼の領地には近寄らないようにして」
「分かったわ。そうするようにエイラスに言って、絶対守らせる。
でも……でも、あなたは!?」
「わたしは……できるだけ時間を稼ぐ」
穴に落ちて、という言葉は飲み込んだ。この4日間、ライラはいろいろなことに心配しどおしで、神経をまいらせている。これ以上彼女を心配させることはない。
「まさかあなた!?」
「いや、もう死ぬ気はないよ。ちゃんと逃げる方法は考えてある」
ただ、それができるかどうかは別問題だったが。
かなり確率の低い賭けだ。
だからもしものときのために、これまでのことで彼女に感謝の言葉を伝えたかった。
死にたいと思って砂漠をさまよい、エイラスに拾われたときも絶望しかなかった。ライラが面倒をみてくれた最初のうち、彼女がうっとうしくて、なぜこんな自分などほうっておいてくれないのかと腹を立ててもいた。でも今は、彼女には感謝しかない。
愚かなわたしを見捨てないで、そばにいてくれてありがとう、と。
だがそれを今ここで口にしたら、彼女はますます心配して、離れないと言いだすに決まっている。
(わたしは、口下手だからな)
だから伸ばされた手を両手で包んで、セオドアは、どうかこの思いが伝わりますようにと念じて、指先にそっとキスをした。
「ライラは自分たちが逃げることだけ考えて。そうしたら、わたしはわたしが逃げることだけ考えられるから」
「……絶対逃げてきてよ。サミンの町で、あなたを待ってるから……!」
しがみついてきたライラの背中をぽんぽんとたたいて、セオドアは「分かった」と応じた。
セオドアが逃げたことがエドモンに知れたなら、ライラたちとは違い、必ず追っ手がかかるに違いない。そこにライラたちを巻き込むことはできない。
もう二度と彼女と会うことはないだろう。
どうかこのうそがばれたとき、彼女が腹を立てませんように……。
◆◆◆
結婚式は、つつがなく進行した。
祈りの場などそれらしい場所は館のどこにもなく、別棟もない。まさか町の平凡な教会でするのかと思ったが、意外にも、導かれた先はあの地下の踊り場だった。
明かりは焚かれていたが、天井が高いせいでやはりうす暗く湿っぽい。しかし、厳かといえばそれらしくも見える雰囲気だ。
式に参列していたのは館の者ばかりで、隊から出席したのはエイラスとドレスを扱った商人たちだけだった。
その彼らも、式の途中でライラに導かれて、そっと姿を消した。
抜け出す彼らの気配を感じられたことに、セオドアはほっとする。
「――病めるときも健やかなるときも。富めるときも貧しきときも。喜びのときも悲しみのときも。死が2人を分かつまで、これからの人生をともに歩み、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
との神父役のアルフォンソの問いかけには、なかなか皮肉が効いていると思った。『死が2人を分かつまでのこれから』など、あと数分しかない。
しかし困った。たとえ偽りでも誓うことはできないと思って口を閉ざしていたが、長引く沈黙に困ったアルフォンソが「沈黙は異議なき同意とみなす」と機転をきかせたため、式は続行され、そして終わった。
婚姻書への署名はなかった。当然だ、これは正規の結婚ではない。
「では、わが愛しき新妻よ。これでさようならだ」
柵前に立つセオドアを、笑顔でエドモンが突き落とした。




