第7回
急ぎエイラスの元へ行き、肩を抱くようにしてのぞき込む。
「大丈夫!?」
「……うん。ちょっと、飲み過ぎた、みたいだ……」
セオドアも少し遅れてエイラスの反対側につくと、いたわるように肩に手をかけた。
2人の気遣いを感じたエイラスが、みっともないな、と手の下で小さく笑う。
笑う余裕があることに、ライラがほっと安堵の息を吐いた。
「帰りましょ、エイラス」
「……うん。そうだね……」
「セオドア、そっちを支えて」
「分かった」
エイラスを両側から支えて立ち上がらせようとしたときだ。
「大丈夫かね、エイラスくん」
エドモンが心配するように声をかけてきた。彼もまた、テーブルを回って、ゆっくりとした歩みでエイラスの元へ近寄る。
「あ、はい……。平気、です、男爵」
急ぎ立ち上がろうとしたエイラスが、次の瞬間がくりと膝を折るのを見て、エドモンは顔をしかめた。
「あ、あのっ。今日は、町へ着いたばかりで、店の準備もあって……。あの……、その前にも、彼、最近隊を立ち上げたばかりで、いろいろ忙しくて……精神的にも疲労していて、それで、つい飲み過ぎちゃって……」
ライラが必死に言い訳をして、エイラスをかばおうとする。
彼の失態をエドモンが見苦しいと思ったのかもしれないと気にしているのだとエドモンも察して、すぐ打ち消した。
「ああ、いや。気にしなくていい。分かるとも。
むしろ、すまなかった。わたしのほうこそ、考えが至らなかった。そういった事情を汲んで、きみたちを招くのは明日以降にするべきだった。なのに、つい気が急いてしまって」
「領主さま、どうかなさいましたか」
騒ぎを聞きつけたのか、執事のアルフォンソがやってきたのを見て、エドモンは彼に隣室を開けるように命じた。
「向こうのカウチで、少し休むといい」
「……そんな。これ以上、ご迷惑をおかけするわけには……」
「迷惑などであるものか。先ほど言ったように、これはわたしの失態だ。
休んで、少し気を落ち着けてから帰るといい」
「そうよ。そうさせてもらいましょう? あなた、本当に顔色が悪いわ」
エドモンの手を借りてどうにか立ち上がったものの、足がぐにゃぐにゃで、一歩歩くのにもふらついているのを見たライラが説得に入る。
「……うん。実は、ちょっと吐き気もあるんだ」
こそっと、そばにいるライラとセオドアにだけ聞こえる小さな声で言う。
「馬車の中で、吐くかも」
「ほら。無理をしないで、少し休みましょう。
男爵さま、お願いします」
「いいとも」
エドモンにほとんど抱きかかえられるようにして運ばれたエイラスは、隣室のカウチに仰向けになったところでほっと息をつくと手で目許を覆った。
「……おかしいな。そんなに飲んだつもりはなかったんだけど……」
「疲れてるから、いつも以上にアルコールが効いたんじゃない?」
「ああ……なるほど。そうかも……」
カウチの横に膝をつき、エイラスを気遣ってなんでもないことのように口にしながらも心配を隠せないでいるライラの手を、エイラスは「心配ないよ」と言うようにぽんぽんとたたく。
「ここで軽くひと眠りするといい。30分もすれば、めまいも治まる。アルフォンソに薬も用意させよう。よく効く薬湯だ。何度も飲んだことのある、わたしの保証つきだよ」
「ありがとうございます、男爵さま」
感謝の言葉にエドモンは大きくうなずき。そしてライラの手をとり立ち上がらせた。
「さあ、わたしたちは出よう。彼を休ませてあげなくてはね」
「でも……」
彼が心配で、ここにいたいと言いたいのだが、男爵に逆らっていいものか分からない。
ちらちらと肩越しに見てくるライラに、エイラスが「行って。僕は大丈夫だよ」と言った。
「酒に酔っただけだよ。死ぬわけじゃないから」
「まさしく。そのとおりだな」
はははと笑うエドモンから、悪意は感じられない。
ライラも踏ん切りをつけて、エドモンに手をとられたまま、部屋を出て行く。
セオドアはエイラスとライラを見比べた。
ここにエイラスを残していくことも心配だが、あの男とライラを2人きりにもさせたくない。
エイラスは、周囲から自分を心配するライラの気配が消えて、気を張る必要がなくなったと思ったのか、ふーっと長い息を吐いた。
「本当に大丈夫か? エイラス」
「うん。なんか、眠い……。ちょっと寝る……」
セオドアへの返答も終わらないうちにうつらうつらし始めるのを見て、セオドアも意を決めると静かに部屋を出た。
元の食堂室では、エドモンがライラを気遣って、ことさら明るく何か提案しているようだった。
「あ、セオドア」
「どうかしたのか」
「男爵さまが――」
「エドモン。どうぞエドモンと呼んでください、レディ」
「まあ。では私のことも、どうぞライラとお呼びください。
エドモンが、館の中を案内してくれるそうなの」
「案内?」
セオドアは探るような目をエドモンに向ける。
「そう。そんなに広い館ではないからね、ちょうど1周するくらいに彼も目が覚めて、元に戻ってるんじゃないかと、ライラに話していたんだよ」
エドモンは得意げだった。
自慢の館なのだろう。
「さっき話していた、初代男爵の部屋やシャイア夫人にまつわる場所などもある。
とっておきの場所だよ。普段は人を入れたりはしないのだが、きみたちは特別だ。今回の失態へのわたしからの謝罪ととってくれてもいい」
「謝罪だなんて、そんな」
「いやいや。ぜひ償わせてくれたまえ。レディにあのような表情をさせるなど、まさしくわたしの不徳の致すところだ。
隊の仲間たちにも、いい土産話になるのではないかね」
エドモンはライラの手をとり、目線を合わせたまま、そっと口づけた。
それは彼女を誘惑しているようにも見えて、セオドアは内心で眉をひそめる。
ライラも手を引っ込めたりせず、むしろうれしそうにほほ笑みを返していたが、ライラがエイラスから心を移すとは思えないから、これは演技だろう。
「それでは、レディたち」
エドモンが肘を曲げた両手を突き出す。
手をかけろという無言の催促に、内心ため息をつきつつ応じる。
「いざ行かん。初代モンティエール男爵ゆかりの地へ」
妙に芝居がかった――というより、この男の言うことすることはすべて芝居がかって見えるのだが――言動のエドモンに従って食堂室を出る。
エドモンが向かったのは、先の言葉どおり初代男爵の部屋、というより、その持ち物が収蔵された部屋だった。
書斎、私室、寝室。剣、鎧が飾られたガラスのボックスや、彼が愛用していたという羽根ペンや時計、王都とのやりとりの手紙などが収まったコレクションボックス、そして妻や子どもたちと一緒に描かれた肖像画などがずらりと飾られている。
先ほどエドモンは「普段は人を入れたりしない」と言っていたが、どう見てもそこは、人に見せるための部屋だった。
「まるで記念館の展示室だな」
その1つ1つをエドモンがライラに説明しているのを横目に、独り言のつもりだったのだが。
「そうとも」
しっかり聞かれていたことに、セオドアは内心でチッと舌を打つ。
「ここまでは訪問客にも見せてきた場所だ。彼らには見せない、とっておきの場所というのは別にある」
「そうなんですね。わたしは、てっきりここもそうだと」
「いや、勘違いをさせるような話し方をしたわたしも悪い。
では、いよいよこのツアーのクライマックスだ。めったに人に見せない、とっておきの場所へ案内してあげよう」
ドアを開き、招くように手を差し伸べる。
そのときエドモンが浮かべた笑みを、どう表したらいいだろう。
自分たちを見る視線に、狂気の片鱗のようなものを感じとったセオドアは、エドモンに気付かれないようそっとライラに言う。
「わたしから離れるな。わたしに何かあったら、即座に逃げろ。悲鳴は上げるな、この館の者は全員敵だと思え」
えっ? と驚きに目を瞠るライラに、セオドアはそれ以上何も言えなかった。
これまでライラが何も感じていなかったのは知っているし、セオドア自身、何をもってどう危険を感じるのか、説明できない。ただ、感じるのだ。
ここはやばい。
この男は危険だ。
そして、ここは危地であると認知することで、セオドアは、ここ1カ月の間、自分の中で慢性的に広がっていた、うすぼんやりとした霧が急速に剥ぎ取られて、緊迫感に心が研ぎ澄まされていっていることに気付いていた。




