第6回
領主館は谷の上にあった。
町の大通りをまっすぐ郊外へ抜けて、なだらかな坂道を蛇行しながら上っていった先、まるで鳥が巨大な両翼で町を覆うかのように左右の岩壁が収束して閉じた場所に建っており、砂漠の小さな町には少々不釣り合いな、3階建ての邸宅だった。
「見えてきたわよ、セオドア」
ライラに促されて彼女の肩越しに窓から見たセオドアは、月に照らされた館の様子に不吉なものを感じて眉を寄せる。
どこがどう、というわけではない。月が後ろにあるためほとんどが影になった、その陰影にそう感じているだけなのかもしれない。
胸に手をあて、ただの思い過ごしだと考え直しているうちに、馬車は柵門をくぐり、領主館の敷地内へ入った。
玄関前の階段下で馬車は止まる。玄関は開いており、降車した3人を出迎えるように出てきた若い男が、さっと両手を広げて歓迎の意を告げた。
「やあ、よく来てくれたね! うれしいよ」
その堂々とした態度、服装から、彼がこの館の主のエドモン・ド・モンティエール男爵であるのは間違いない。
ほどよく日に焼けた健康的な肌とふさふさした黒髪、彫りの深い顔立ち。そして2メートル近い上背の持ち主だった。
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます、男爵」
一礼するエイラスに、エドモンはにこりと笑い、手を差し出して握手した。
親しみやすい笑顔にはきはきとした話し方から、相手が平民であっても尊大な態度をとらない、むしろ飾らない自然体な人物だとの好印象を受けて、エイラスがほっと緊張を緩めたのがその背中からも感じ取れた。
「道中、何かご不便はありませんでしたか? レディ」
男爵は後ろのライラとセオドアにそう言葉をかけ、手を取って軽く口づける。
最初にライラに、次にセオドアに。
「全然快適でしたわ、男爵さま。迎えの馬車をありがとうございます」
レディとして扱われることに、ライラはうれしそうににこにこ笑っている。
しかしセオドアは、手に口づけられたときの下からの視線が、なにやらこちらを値踏みするようなものであった気がして、一瞬背筋がひんやりとした気分になった。
ライラは何とも思っていないようだし、ほんの一瞬だったから、自分の気のせいだったのかもしれないが……。
(いやな感じだ)
どこがどう、というわけではない。むしろ、親しみやすそうな笑顔で自分たちの訪問を歓迎してくれている――しかもわざわざ玄関から出てきてまで――その対応に、エイラスのように好印象を持つのが普通だろう。なのに、いやな感じを払拭できないのだ。
それにはこの場所のせいもある気がした。
だがそれを館の主に言ったり態度に示すのはさすがに失礼がすぎる。
セオドアは沈黙し、エドモンに続いて中へ入る2人の後ろについて、玄関をくぐった。
広い玄関ロビーの真正面に、ゆうに大人の男4人が並んで上がれる階段があり、中2階の踊り場から左右に階段が分かれて伸びていた。
その踊り場、つまり玄関をくぐった者が真っ先に目に入る場所に、大きな肖像画がかかっている。
3人が肖像画を見上げているのを見て、エドモンは階段を上がると肖像画の横に並んだ。
「彼はノア・ド・モンティエール。わたしの先祖で、初代男爵だ」
誇らしげに言う。
そうして並ぶと、豊かな黒髪、まなじりのつり上がった目許や両目の間で少しふくらんだ鼻筋、厚めの唇など似通った特徴が見てとれて、何代前かは不明だがたしかに血のつながりを感じさせた。
もしかすると代々の男爵たち全員がそうなのかもしれない。だからあそこに肖像画を飾っているのではないだろうか。
少なくとも、エドモンがそれを誇りに思っているのは間違いない、とセオドアは思う。
そしてエイラスもそれと察したのだろう。
「シャイアの町を開かれた方ですね」
すかさず言葉を返す。
「おや。知っているのか」
「もちろんです。有名ですから。
実は、邪教徒を根絶やしにして王国に勝利をもたらされたその胸躍る物語を、今日は男爵さまご本人からお聞かせいただけるのではないかと期待して参りました」
その言葉に、見るからにエドモンは気を良くしていた。
「そうか!」と輝く笑顔で応え、初代男爵の武勇伝を話そうとしたところで、いかにも執事然といった初老の男性が現れて全員に一礼する。
「ご領主さま。お話の最中に申し訳ありません。
お夕食の席のご用意ができてございます」
「ああ、ありがとう、アルフォンソ。
さあエイラス、来たまえ。続きは食事の席でだ」
エドモンは階段を下りるとエイラスの肩を気軽にぽんとたたいて抱き、彼を食堂室へ案内していく。
「はいっ」と答えるエイラスの横顔に、ライラはセオドアと視線を合わせ、両肩を上げ下げすると、くすくす笑いながらセオドアの腕に自分の腕を絡めて2人のあとについて歩いた。
食事の席は、エドモンとエイラスが向かい合わせに腰掛け、その両左右にライラとセオドアがついた。
話題はやはり初代男爵の話だ。
農奴の息子に生まれた彼は、少年時代に一念発起して軍に入り、騎士を目指す。少ない給金をやりくりし、そろえた鎧や馬で下級騎士となり、戦場に赴き武勲を立てたことで、1代貴族の騎士号(騎士爵)を得た。そして新妻を連れてこの地の邪教徒討伐にやって来たのだった。
邪教徒たちを殲滅するまでの出来事を、エドモンは情緒的かつ詩的に語った。その内容の、どこまでが真実でどこが作り話か。もし全部が全部本当なら、たいした英雄である。
おそらく代々の男爵はこの話を幾度となく聞かされて育ち、そして自身も他者に語り聞かせてきたのだろう。
エドモンはよどみなく滔々と語り続け、しかも聞き手を飽きさせない。エイラスからの質問にも機知に富んだ返答を返し、さらにはそこから面白おかしく話を続けるという腕前の持ち主だった。
そのように、食事中の会話はエドモンが主導し、エイラスが都度感想を述べるというものだった。合間にライラが「まあ」とか「すごいわ」とかを口にして、興味深げな表情をエドモンに向けては感心の眼差しで彼を見つめる。
そんな2人の態度にエドモンの舌のすべりもますます良くなり、ワインで舌を潤しては、上機嫌で話し続けている。
すっかり2人を相手に弁舌をふるうことに意識が集中していて、セオドアのことは完全に意識外となってしまっているようだった。
彼女をちらとも見ないし、話に加わるように話題を振ってきたりもしない。
おかげでセオドアは特に何もする必要を感じずに、黙々と食事をすることができた。
やがて夕食会も終盤にさしかかり、食後酒が配られたころ。
邪教徒討伐が終わって話も一区切りがついたためか、ようやくエドモンがセオドアのほうを向いた。
「きみはずいぶんともの静かだね」
「……そうでしょうか」
「うん。ここに来てから、きみの声を聞いたのは、今が初めての気がするよ」
「……特にお話しするようなことも、思いつきませんでしたので」
エドモンの視線に、困ったな、と内心思いつつ、グラスに口をつける。
飲みはしない。飲めないわけじゃないが、今、ここでは飲む気になれなかった。
唇を湿らせる程度で、グラスをテーブルへ戻す。
「楽しめなかった? もしそうなら、わたしはホストとして失格だな」
そう口にしながらも、エドモンの自信に満ちた微笑は崩れない。
本心で思っているわけではなく、ただ、セオドアをからかっているにすぎないのだ。
ふと、ある人物が胸に浮かび上がってきそうになったことに、セオドアはあわててその面影をかき消し、再び胸の底へと埋める。
そして熟考し、俯いて、小さく告げた。
「いいえ、そういうわけでは……。
わたしはこのとおり口下手な不作法者で、気の利いたことを口にできません。せっかく男爵さまが気持ちよくなさっておいでなのに、わたしなどがそれを台なしにしてはいけないと思っておりました」
このセオドアのしおらしい返しに、エドモンは「なるほど」と身を退き、悠然と椅子に背を預けて両手の指を組んだ。そして無言でセオドアをじっと見つめている。
それは、セオドアの芝居を見抜き、本心を読みながら「その返答に納得しておいてあげよう」と言っているように思えて、セオドアは落ち着かない気分になった。
(わたしなどほうっておいて、エイラスやライラと話していたらいいのに……)
そっちのほうがよっぽど楽しいだろうと思うのだが……先ほど彼は「ホスト」と言った。つまりこれは単にホストとして、話の輪に入れずにいる様子のひかえめな女性を楽しませようとしているだけなのかもしれない。
それならそれで、さっきの会話で十分だろう。
いいからわたしのことはほうっておいてくれ。
セオドアは見えないテーブルの下で、きゅっと両手をにぎり締めた。
ここはきらいだ。
この男も好きになれない。
ああ早く帰りたい、そう思ったときだ。
カタン、とグラスが倒れるような小さな音が左手のほうからして、そちらを向くと、エイラスがテーブルに肘をついた手で顔を覆って俯いていた。
崩れた体を支えるようにテーブルについた右手のそばで、食後酒のグラスが転がっている。
「エイラス!?」
ライラが驚き、立ち上がった。




