【ep.2】出会う先生 2.住まいと出会う
ユイが落ち着いたころ、あぜ道の向こうから聞きなれない生き物のいななきと、ガラガラと何か引きずる音が近づいてきた。
立ち上がり右手を額に当てて目を凝らした。
「あれは……荷馬車……いや牛車か?」
遠目に牛に見えたそれは、近づくにつれ牛ではない、牛のような動物?だった。
後ろには荷車を引き、その上で老人が手綱を引いていた。
「これはもう異世界……。いやそれより、何か聞けるがチャンスかもしれない――」
ポジティブな彼の独り言にユイが、「?」と反応して見上げる。
頭を切り替えた長谷川は、チャンスを逃すまいと近づいてきた牛車の前に飛び出た。
ブゥォォオォーー
「うおぉ!」
牛?は突然現れた人に驚いたのか、大きくいななき、重そうな見た目に反して馬のように前足を上げ、ドスンと脚を止めた。
乗っていた老人は危うく荷車から落ちそうだった。
「すみません! 驚かすつもりはなかったんです……!」
頭を掻きながら近寄る長谷川だが、老人の目は怯えていた。長谷川と、恐らく奥に認めたであろうユイを交互にキョロキョロと見やった。
「い、命だけは助けてくれ!!」
「え?」
荷車の上で縮こまり、老人は両手を前に頭を伏せていた。何か勘違いされている……。
「いやいやいや、誤解だ。俺は……いや、私は長谷川……です?」
と、途中で自身も現状を理解していないことを思い出し、急に自信が無くなった。
「……ハセカー?」
恐る恐る顔を上げた老人は微妙に違うイントネーションで名前を復唱した。
長谷川は精一杯の笑顔を作り、余計な警戒をされぬよう、ひとまずはとても遠くから来たと伝えた。
(まあ、言っても伝わらないよな)
「なるほどのぉ、旅の者か。それならば安心したわい。儂はてっきり……」
すっかり調子が戻ったらしい老人は、この近くの村の村長だと名乗った。
そして腰をさすりながらユイの方を向いた。聞けばユイの恰好や様子と、加えて身長一八〇センチはある長谷川の体格が合わさり、野盗か人攫いだと勘違いしたようだった。
それにしても見慣れない服装だと疑われたが、営業スマイルでどうにか誤魔化した。
「それであの子……その……奴隷だったらしくて……」
「……やはりな」
かいつまんで少女の事情を話すと、安堵し始めていた村長は再び表情を強張らせた。
「そうか……事情はわかった。それでお主、これからどこへ向かうんじゃ」
「それが正直困っていて……ひとまずどこかで落ち着きたいとは思って……」
「ふむ……ならばこの先に古い家がある。そこだったら自由に使って良いぞ。今は誰も住んでおらんでな」
「本当ですか!?」
思わぬ申し出に声が大きくなった。
「ああ。我が村はもともと開拓村、来るものは拒まず、助け合うてるんじゃ。じゃから遠慮はいらん。ただし、あの子はお主が面倒見ておくれ――それが条件じゃ」
「え、俺が!?」
思わず地が出てしまった。
ユイを見ると、不安そうにこちらの様子を伺っていた。
村長は何やら厄介ごとを避けるような様子で断れそうな隙もない。
しかしひとまずのねぐらを手に入れられるのは大きかった。
「わかりました、本当に助かります! この辺りにも不慣れなもんで……遠からず村にお邪魔して色々お聞きするかもしれませんが」
長谷川がそう返すと、この辺りも村の範囲らしく、村長は何かあったら訪ねてくるといい……と、今度こそ安心したのか、手持ちの食料まで分けてくれた。
(先ほどの態度は気になったが、得体のしれない人間、それに奴隷を扱うとなれば、きっと立場上考えることもあるのだろう。それでも家や食料まで与えてくれるのだから、きっと根はやさしい人なんだろうな)
彼は去ってゆく牛車を見送りながら頭を下げた。
村長と別れた長谷川は、ユイを連れてあのログハウス風の家に向かった。
途中、彼女に行くあてがあるかなんて聞くのも野暮だったので、しばらくだが一緒に居るかと尋ねると、彼女はこくりと頷き、黒い瞳はどこかすがるようで、まだ揺れていた。
「そう言えばユイちゃんは……」
後ろからついてきているはずの彼女を見やると、まだ歩き始めにもかかわらず、すでにヨロヨロだった。
(それはそうだよな……)
「よし!」
そう言うと長谷川は彼女の前にしゃがみ、その背を差し出し振り向いた。
「ほら」
「……あ」
ユイは足を止め、何か言いたげに彼をじっと見る。
「遠慮すんな!」
右手で何度か、ここに乗っかれ、と分かるように肩のあたりをはたき、笑顔で促した。
最初は警戒したのか、不安そうに見つめていたユイが、ゆっくりと近づき、長谷川の肩と背に恐る恐る手を置いた。
「いいね! よいっしょと」
「わあぁ」
彼女を背負ってすくっと立ち上がった長谷川は、初めてはっきりと、これまで聞いた声色とは違う彼女の音を聞いた。
「どうだ、楽チンだろ?」
楽チンってわかるのか? そう思いながらも、次第に彼女の手のひらから伝わる緊張がほぐれた感触と、背中に預ける重みが増すのを感じると、長谷川は何故か嬉しくなった。
すぐに彼女の寝息が聞こえてきた。
「本当に大変だったんだよな……」
先ほどのログハウス風の建物に到着した長谷川は、ユイを背負ったまま中に入ると、左手にあった大部屋まで進む。
そこには傷んではいるが革張りのソファに似た腰掛けがあったのを覚えていた。
彼はその上に積もった埃を簡単に払うと、大きな寝息を立てる彼女をそっと寝かせた。
そうして、くまなく間取りを見ておこうと、一階だけでなく二階にも足を向けた。
「我が家と思うと、割と良いかもな。二人なら広すぎて持て余すくらいだ」
二階には部屋が四つ、建物全体でも使い勝手の良さそうな位置に倉庫や収納もあり、かなり充実していた。思いのほか満足した長谷川はユイのいる部屋に戻る――
「うわぁっ」
思わず声を上げた。
我ながら少々のことでは驚かない自信はあったが、十年振りくらいには大きな声を出してしまった。
部屋には女性がいた。
彼女は寝息を立てるユイの頭を優しく撫でていた。
「あらあら」
そう言った彼女は「しー」と、笑顔で人差し指を立てた。
わずかに青みを帯びたパールグレーのロングヘア―、小顔で鼻筋の通った端正な顔立ちと琥珀色の瞳はどこか人間離れしていた。
聖職者のような純白のローブに長い髪がぱらぱらと流れた。
長谷川よりは低いが女性にしては高い身長。
プロポーションも相まって、美術館で目にする彫像のような神々しさを醸し出していたが、満面の笑顔の中に湛えられたその瞳は、ちゃんと生物であることを主張していた。
(あれ? この瞳の色、雰囲気……どこかで……)
「あらあらお忘れですかぁ? ふふっ」
小さな唇から発せられた声音はやわらかく、どちらかと言えばおっとりもしているが、淀みがなく心地よささえ感じる――が、それで思い出した。
「あ! あの時の女神ぃーーー!? 様?」
また声を上げてしまった。




