【ep.9-1】認める先生 4.生徒が対峙する-2
(このやり取りで交渉の成否が決まる……!)
「承知しました。しかし恐れながら。このチェス、ルールは単純なれど、深い洞察力が求められます。王の最も得意とされるところと存じますが、初めてとなればいささか……」
「構わん。わかっておろうが、手加減も一切無用だ」
そうしてふたりは用意された即席のテーブルに向き合い、レグはルールの説明を始めた。
レオナート王はソファに腰かけ直し、用意された台座に片肘を付き、その拳を頬骨に当てながら、黙って彼の説明を聞いていた。
その目は徐々に嬉々としてきた。
「では」
王はレグに先攻を譲り、レグが白いポーンを二歩進め、ゲームは開始された。ルールは王が初めてなことも考慮し、持ち時間を三十分とした。
「なるほど……」
王はそう呟くと、自身の持ち時間を十分近く消費し、ようやく初手を指した。
「……!」
その一手にレグは驚かされた。
初心者には思えなかったからだ。
かつてレグが長谷川と初めて対戦した際の自分の初手とは明らかに違っていた。
レグが数分の思考を経て二手目を指すと、
「そうくるか」
と、レオナート王は今度は迷いなく二手目を指した。
(これは……)
当初は交渉を意識していたレグだったが、王の力量を察し、最早余計なことを考える必要はないと考え、真剣に向き合った。
それからはもう早指しだった。
お互いに十秒と待たずに指し合いが続いた。
ルールを知っている長谷川とアルが固唾を呑んで見守っていた。
そして――
「レオナート王、チェックメイトです」
白いナイトがレオナート王のキングを捉えていた。
しかし宣言したレグは額に汗を流し、その表情にも一切の余裕が無かった。
「これがチェスか……我の負けだな」
王はその表情を一切変えずに答え、沈黙した。
不気味な沈黙はアウレリオンの取り巻き達を緊張させた。
「ふん。存外楽しめたわ。 ……して、話はわかった。しかし最後に問おう。これまでの話をどう証明すると言うのだ。返答次第では貴重な我の時間を奪ったことになるが……」
(さすがレオナート王……口先だけでは説得できないか……)
レグはそう考え、ほんの一瞬ためらった。
しかしあの夜、長谷川にチェスで五連勝した時のことを思い出し、同じ気持ち、同じ表情で笑って答えた。
「レオナート王よ、その問いに対する答えは簡単でございます……」
レグは少しだけ間をおいた。
王の眉根が動く。
「それは……、いずれ私が王になるからです!!」
啖呵を切ったレグはレオナート王に恭しく礼をした。
広間全体の音が一瞬書き消えたように静まりかえった。
長谷川だけは違った意味で驚愕しているようだった。
「さらにほざくか!」
止め、王が立ち上がり一喝した。
そして――
「しかし気に入った!! レグナス殿よ、貴公のようなものが増えれば確かに国も豊かになろう。そのことが我がアウレリオンをも潤すと。そして教室長ハセカーよ、貴殿がその彼らを導くと言うのなら、このチェスとやらのように何やら楽しい世界が訪れそうではないか。貴殿にはその力があるのであろう?」
レオナート王の目線が長谷川の発言を促した。
レグも期待の目を長谷川に向けた。
一瞬下を向き、少しだけ押し黙った長谷川は答えた。
「……いえ」
レオナート王の眉が再び動いた。
「陛下、私は塾をやっている長谷川と申します。まずは無作法なこと、お許しください」
ゆっくり、そして丁寧に彼は頭を下げた。王はその彼を値踏みするように見ている。
「私はこどもは宝の原石だと考えています。しかし磨かねばどんな宝かわかりません。磨き方を間違えれば傷も付きます。だから我々大人が、正しく光るようになるまで磨き上げるものだと考えていました……」
長谷川は一瞬、レグと目を合わせた。
「しかしそれは少し違っていました。彼らは石でなく、やはり人なのです。それぞれに意志と想いを持った人なのです。だからその個性と言う名の“石”を、大人が思うように磨くのではなく、彼らが自らを正しく磨くことができるよう、その意志や想いを自らの力で成就できるようにほんの少し磨き方を教える……それだけなのです」
レグは込み上げるものを堪えながら聞いていた。
アルの拳が僅かに震えるのも見えた。
「それに……結局のところ、私はただ教え子やこどもたちと笑って過ごしていたいだけなのです。けれど、先ほどレグが申し上げたこと、彼自身がそう言うのであれば、きっとそうなるし、そうできることでしょう。それだけは信じています」
彼は頭を掻きながら答えた。
再び場が沈黙した。
しかしすぐにレオナート王の高笑いが静寂を破った。
「生徒が生徒なら、先生も先生よ! 豪胆と言うか純粋と言うか……面白い! そなたも気に入ったわ!」
長谷川はこの宮殿で何度驚いただろうか、開いた口が塞がらず王を見た。
「うむ、妙案を思いついたわ! ならば貴殿が我が国で塾を開けば良いのではないか?」
レオナート王は意地悪く言い放つと、今度はレグが驚き焦った。
しかし、
「陛下、それはご勘弁ください。塾には私でも頭の上がらない家族……と言いますか……とにかくご勘弁を!」
長谷川はたまらずひれ伏した。
するとレオナート王は更に大笑いし、その様子を見た文官や武官たちまでもが一緒に笑った。
それで広間全体の空気が一気に和らいだ。
王はレグにチェスの再戦を楽しみにしていると告げ、退室を促した。
そのあと、気を良くした王からレグは書状を受け取った。
王がその書状の準備をしている間、長谷川は使用人の男性にチェスのルールを細かく教えていた。
帰り際その男性にまで、貴殿にはいつでもこの国の門が開かれていると言われ、長谷川はただただ恐縮していた。
レグはその様子を微笑ましく眺めながら、あの場を切り抜けた胆力に、そして彼が述べた想いにも感銘し、長谷川への信頼をゆるぎなくしたのだった。




