【ep.9-1】認める先生 2.少年は生徒である
それから出発までは慌ただしく、不安を隠さないユイと森での散歩から戻ったリヴァが見守る中、準備を整えた。
ソフィアも黙って長谷川の出発を手伝った。
アルのアドバイスと指定のあった荷物を詰め込んだ麻布のバックパックはぱんぱんになっていた。
そして念のためレザープレートを纏い、腰にはショートソードも下げた。
「それじゃぁ、行ってくる」
見送る彼女たちにそう告げた。
ユイはソフィアにしがみつき、黒い瞳に涙を滲ませた。
リヴァは両手を握りしめ、祈りを捧げ始めた。
最後にソフィアと目を合わせると、
「決して無理はしないでくださいね……、貴之さんの帰るべき家はここなのです」
いつになく神妙な表情で、その琥珀色の瞳を揺らしていた。
長谷川は深く頷き、玄関を出た先で待機していたレグとアルの待つ馬車に乗り込んだ。
町への道中、あの一件以来レグとはろくに会話していなかったせいで、やはり重苦しさがあった。
その空気を読んでか、手綱を握るアルが口を開いた。
「目的地は都市連合アウレリオンの港町、ポルトゥーンです。我が国の港町、ガルドリアから船で約十日ほどです」
そう切り出されたものの、馬車の上の空気は少し重たく残っていた。
それぞれに思う所があり、それきりみな沈黙してしまった。
結局ふたりに説明を聞けず、気が付けば馬車はフォルナを視界に収めた。
町に入るとすぐに港町行きの馬車に乗り換えたが、相乗りだったこともありその機会は失われた。
* * *
ガルドリアは港町と言うよりは、海に面した砦のように見えた。フォルナほどの町の広さもあるようだが、港の船着き場は石造りで、その広い範囲を囲うように設けられた石の壁が、外敵からの守りを強く意識していることが一目瞭然だったからだ。
軍艦だろうか、実際に見たことがある訳ではないが、元の世界で言うところのガレオン船よりは小さく見えた。
この国の紋章をあしらった船が数隻並んでいた。
それらとは少し離れた場所には大小様々な船も浮かび、行き来していた。
到着した長谷川は、ここでもレグたちに言われるがまま行動した。
港に近い市場のようなところで買い物を済ませ、軍艦ほどではないが、それなりに立派な船に乗り込んだ。
乗船の際、船員がこちらに敬礼のようなしぐさを見せた。
「なぁ、この船って無料なのか? それに船員が敬礼までしてたぞ」
長谷川が思わずレグに尋ねた。
「代金はもう支払ってあります。この船はヴァレリアとアウレリオンを結ぶ交易船です。お金さえ払えばきっと誰にでも親切なんですよ」
レグはそうほほ笑んだ。彼はもう冷静なように見えた。
そうしてしばらくすると、出航の合図だろうか、船上の鐘が打ち鳴らされると、船は静かに岸壁との距離を開き、ゆっくりとまだ見ぬ世界へ進み出した。
* * *
「彼の港町はアウレリオン最大の貿易都市であり、その大きさや賑やかさにきっと驚かれるでしょう。我が国と決して親密な状態とは言えませんが、様々な国との盛んな取引きの成果でもあるその町を見れば、争いなんかよりもよっぽど、経済や文化に力を入れた方が良いのだと気付かされます……先生の仰っていた通りです。よろしければこちらを……」
まだ少しだけ遠慮している様子もあるが、レグは使い込まれたノートを彼の荷物から取り出した。
それは塾でみんなに渡していたものだった。
開いてみれば、様々な国や町の風土、特徴、特産品など、彼が工夫して整理したのであろう内容が細かく書き込まれていた。
中には長谷川の知らない情報も大量に記されていた。
(……! きっと授業以外でもこのノートを使って自習もしてたんだろうな……)
「流石だな、レグ! 君がまだ入塾した頃に教えたメモの取り方なんかも活用されていて本当に良くまとまっている。いつかレグに【社会】の授業を任せられる日がくるな」
そう言って長谷川はニカッと笑って見せた。
子どもにいつまでも気を遣わせてなんかいられなかった。
「あ、ありがとうございます!」
レグの表情が明るく広がった。
「これ、じっくり読ませて貰えるかい? 先生にとって凄く勉強になるし、助かるんだ」
「もちろんです!」
そう答えた彼だが、表情が真剣になる。
「……しかし、今は先生にお話ししなければならないことを……この場所であれば」
「……そうだな、説明頼むよ」
長谷川も切り替え、真剣に耳を傾けた。
レグも頷き、一度アルを見てから切り出す。
「ことの発端、いや、敢えて首謀者と言わせて頂きますが、それは王国最大の保守派勢力、ドラウス公爵です」
「ドラウス公爵!? それってリグナの村を含めたあの一帯のあの領主だよな?」
(そして確証は無いが、ユイ誘拐事件の黒幕……)
因縁の名前を聞いて驚きもしたが、彼は同時に理解もしてしまった。
「はい……。侯爵は自らの既得権益を守るため……或いはそれ以上の目論見に、“塾”を利用したんです」
「それ以上の……国家転覆とかか?」
レグは驚いたが、すぐに深く頷いた。
アルもチラリとこちらを見たようだった。
(自分の保身か気に入らない相手は排除する……権力者なんてどこの世界でもそこは同じってわけか……!)
この国を想う気持ちがあるかと問われれば長谷川にはまだそんなものは無かった。しかし、巡り巡って目の前の大切な人や場所が傷つけられるのだとすれば、その行為を甘んじて受け入れることなど彼にはできなかった。
「今この国には、王を筆頭とする改革派と、ドラウス公爵を筆頭とする保守派との間で対立があります。もちろん表立った衝突などはありませんが、王を中心として開かれる議会では、ドラウス公爵が公然と王の政策や考えを批判する場面もあるようです」
長谷川はどうしてそんなことまでレグが知っているのかと、流石の麒麟児ぶりを疑いかけたが、今の問題はそこではないと、黙って話を聞き続けた。
レグは少し表情を強張らせながら続けた。
「先生も以前アルからお聞きのように、あの事件の……ユイちゃんの誘拐事件にドラウス公爵が関わっていました。恐らく公爵はあれをきっかけに、今回の“塾取り壊し令”を画策したのだと考えています」
「“教育の持つ二面性”……だな?」
「はい。そこを利用し、恐らくは王の権威失墜、あわよくば失脚までも狙って……」
(あの時ユイを襲っていた奴らが塾でどんなことを教わっていたかを聞いていた……あの状況では気にも留めなかったが、そう言うことか……)
長谷川は奥歯を噛みしめた。
「王は確かに最高権力者ではありますが、議会の意見も尊重されるのがこの国の習わしです。戦争など危機的状況となれば王の発言権は強くなりますが、今のような平時では議会を蔑ろにできません。恐らく、悪しき慣習を断ち切りたい王の考えを逆手に、王の独断や見逃しがあったと糾弾し、足元をすくう狙いなのでしょう……そこで王は議会を無下にできず、このような手段を取ったのだと私は考えています……」
「だとしても、塾はドラウス公爵自身の領地内だろ? それこそ見逃していたと、彼が責められる可能性はないのか?」
「そうですね、そこを指摘するにも改革派には証拠も時間もない。そもそも保守派の彼が塾の存在を放置しないでしょうから、改革派からしても無理がある指摘になるでしょう」
「公爵にしてみれば奴隷を不当に扱った嫌疑をかけられる可能性もありますから、自ら触れるようなことも避ける狙いでしょう」
アルが冷静に補足した。
「つまりはすべて上手く利用されてるってことか……」
くそっ、と長谷川は眉間に皺を寄せて下を向く。そこに人差し指の関節をぐりぐりと押し当てた。
推測でもここまで内情を語れる彼に、その理由を尋ねずにはいられなかった。
「……それはことを成した時、アウレリオンからの帰り道に……約束します」
答えたレグに、アルも同意した。長谷川はゆっくり頷き返した。
(しかしドラウス……、どんな奴だか知らんが思えばユイの人生を狂わせた張本人じゃないか? こうして三度、彼女を苦しめるとは……しかし俺に何ができる? 今も話を聞いただけで、状況は何も変わっちゃいない……結局はまた無力のままなのか……)
公爵への怒りがそのまま自分の無力さへと置き換えられると、彼の中に再び黒いモヤが立ち込めた。
航海の途中、激しい時化の夜もあった。
船はその都度大きく揺れ、この世界で初めての船上にあった長谷川は、船旅の不安、この先に何が待ち受けるか分からない不安、そして“塾”が守れるのかが見通せないでいる今に重ねたりした。
しかし合間にレグのノートを読みつつ、長谷川はふたりの解説も聞きながら、この世界のことをまた少し知る機会となった。
魔物の存在もあり、まだまだ未知の領域が多いこの世界では、レグの言う通りヒト同士で争うことなど本当に非生産的だと思えた。
いつかセリフィエルが“愚か”と言っていたのを思い出した。
長いようであっと言う間に密度濃い十日が過ぎた。
どうにかアウレリオンの貿易都市ポルトゥーンに辿り着き、視界に港の全容が見え始めた。
塾を出て二十日が経っていた――




