【ep.8】確信するソフィア 2.家族
ユイが落ち着いたあと、ふたりは湯船の奥の方に設けられていた、半身浴ができそうな場所に移動していた。少し火照った体を夜風が心地よく鎮めた。
「わたし、いつか自分の生まれた東の国に行ってみたいなぁ」
ソフィアはいつものにこにこ顔で聞いている。
「そこで死んでしまったパパとママのこととか、そこにどんな世界があったのかなって、知りたくなったんだ。いつかセリフィエルが話してくれた東の国のお話は、真面目で、ヒトとヒトの繋がりを大切にする国なんだって聞いて、それからすごく気になってたんだ」
ユイは楽しそうに夢を語った。
「あ、でも、もっと勉強して、ハセのようにわたしも何か伝えたり、教えたりできるようにもなりたいんだ! わたし欲張りになったのかも……!」
と、少し乾いてきた黒髪を背中にまとめながら目を輝かせて言った。
「きっとユイちゃんならできますよ。貴之さんの娘ですからね」
そう聞いたユイは子どもらしく表情を弾ませ、何故かまたその瞳を潤ませた。
「自分にはパパとママ、お父さんとお母さんもいるから本当に幸せだね……」
(幸せ……!)
三度、ユイの変化を目の当たりにしたソフィアは、彼女のそのことば、捉え方に絶句した。
ヒトならば簡単に名状できる、この熱く込み上げる感情を言語化できないでいた。
(私は“言語”を司るはずなのに……案外うまくないのかもしれません)
ユイの変化と自身のざわつく心が入り交じり、自分の瞳が少し滲みだしていたことに気付いた。
そうしてユイの黒い髪を見た時、ふと、長谷川を重ねた。
(そう……ふたりは性格こそ違いますが、自分よりも他人を思い遣る……そして強い意志で何かを成そうとする……きっと、心のタネのようなものが同じなんです)
だから、ソフィアはユイの中に長谷川の想いがすでに紡がれているのだと確信した。
「ユイちゃんが幸せなら私も幸せです!」
そう言って彼女は自分の体をユイに摺り寄せた。
へへっ、とユイも無邪気に擦り寄った。
(この表情が幸せ……なんですね)
遠くから見守っていたのではわからない、ヒトの性根にある純粋さを見た気がした。
“神”などとはいつの間にかヒトがそう呼ぶようになっただけで、自身がその存在を自覚したその時から、ただ役割に従い、力を振るってきたに過ぎなかった。
思えば彼を転生させた時、彼女にとっての異世界を認識したあの瞬間、そこで彼が力尽きかけていた。
きっかけなど分からないが、彼女の直感が、未知が、彼をこちらの世界に手繰り寄せた。“願い”を司る自分自身が初めて、自ら願ったのだと気付いた。
欲望に従い、彼を通じて心に湧き出したこの“感情”を解き明かしたかったのだと。
「ねぇ、ソフィ。どうしてソフィはハセと一緒にいるの?」
心が軽くなれたのか、ユイが出し抜けに尋ねてきた。
その表情は新しい感情に突き動かされているようでもあった。
「……! そうですねぇ……」
胸のうちを見透かしたような鋭い問いかけに、再びソフィアは答えに窮した。
「なんででしょう~」
と、にこにこ顔ですぐにごまかした。
「あ~、ずるいよ~」
ユイが大きな声ではしゃぎだす。
ソフィアは珍しく喚いているユイに、うふふとだけ返した。
しかしそんな反応にすら自ら違和感を覚えた。
(これが本当の感情……“心”なのかもしれません)
そう思うと何だか胸の奥が満たされるようだった。
* * *
ソフィアとユイ、ふたりはあらためて濃密な湯の香に体を沈めた。
さきほどのやり取りはまるで無かったかのように、全身にまとわりつく湯を今度こそ静かに楽しもうとした。
しかし、その静けさは唐突に破られ――
「うぉぉーーー」
「すごぉ~い」
突然浴場の入口から声が上がり、テッサにヴェラ、ブリュナとリヴァ、そしてセリフィエルが露天風呂に現れた。
先に入ってずるいとか、ふたりで内緒話をしていたとか、めいめいの声を上げた。
「ちょっとあんたたち! 先に体を洗うのよ!」
体も洗わず浴槽に飛び込むヴェラとテッサをリヴァが注意したが、ふたりは早々に湯船に飛び込んでいた。
「まったく……あのふたりはいつまでもお子ちゃまだわ。あたしたちはちゃんとマナーを守りましょ。今日は遅くまで森にいたからたくさん汗をかいてしまったの」
そう言ってリヴァはブリュナを誘って、洗い場に向かった。
セリフィエルはこっそり体の方向を変え、洗い場に向かった。
「いや~、やっぱりこれだわ~~」
髪を頭の上で軽く結い上げていたセリフィエルは、湯船に浸かった瞬間に漏らした。
「先生は温泉初めてじゃないんですか?」
ブリュナはすぐに頬を赤くして尋ねた。
リヴァがその横で、湯に浮かんだ黄金色の髪をまとめて、セリフィエルに倣って頭上で軽く結ぶ。
「そうね~まだ旅をはじめたころかなぁ。ヒト里離れたところで見つけて入ったわ。火山も近かったし、ヒトの手も入ってなかったから、こんなに快適ではなかったけれど」
そう言って精霊語を唱えた。
脱衣所から瓶とコップがぷかぷか浮いてやってきた。
「これこれ」と、長谷川に持たされたとっておきの一品、透明に輝くその液体をコップに注ぎ、一杯煽った。
「ぷはぁ~、さすが長谷川、分かってるわ」
その様子を見ていたソフィアたちもお互いの顔を見合わせ、合流した。
二人だったら広い湯船も、七人では途端に狭く感じられた。
セリフィエルは少し緊張した様子でソフィアにも酒を勧めた。
「たまには良いのでしょうか、頂きますね、セフィ」
と、ソフィアはあっさり笑顔で酌を受けた。
しかも愛称で呼ばれたからか、セリフィエルは意表を突かれたように目を見開いた。しかしすぐに陽気になり、長い耳を赤くした。
大人はずるいと誰かが言うと、
「あたしも百歳を超えているわ」と、リヴァが酒の入った瓶を手にしたが、セリフィエルに取り上げられ、それで場は一気に賑やかになった。
「あ、そうだ! みんなあっちを見てみなさいな。長谷川が言ってた通り、ここからとっても月がよく見えるわ……」
瓶を手にした彼女がそう言うと、それでみんなが振り返った。
木々の合間から見える山脈の上、おぼろげな淡い光で世界を照らす大きな月が、夜空に悠然と浮かんでいた――
ある者は感嘆し、ある者は静かに見入り、ある者は祈りを捧げていた。
その時だけは、しばらくみんなが静かな夜を楽しんだ。
(いつのまにか子どもがたくさんできました。これは“嬉しい”なのでしょうか……!)
ソフィアはこれまでにないほどのにこにこ顔で月を見上げた。
* * *
数日後、体の傷は完治しても、ユイの事件で突きつけられた自身の考えの甘さ、力不足、そしてこれまでの教育方針の是非を自問自答して苛む長谷川のもとに、額にたっぷり汗をかいた村長が慌ただしくやってきたのだった。




