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異世界先生 ~転生して塾を開いたら、世界を変えてしまう!?~  作者: きりたちのぼる


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【ep.8】確信するソフィア 1.心

 ちょっとした旅だったと言える期間、約一ヶ月を経てセリフィエルが塾に帰ってきた。


「あたしのいない間に……!」


 彼女に事情を話した長谷川は、少し出かけてくると、練習用の木剣を持って出て行ってしまった。


 セリフィエルは彼を責めた。

 なぜ生徒たちだけにしたのか、なぜユイのそばにいてやれなかったのかと。


 何も言い返さず出ていった彼の背中と、苦渋の表情でそれを見送ったセリフィエルを、ソフィアはただじっと見守っていた。


「それで……ユイもうは大丈夫なの?」


 ソフィアの視線に気付いたセリフィエルは、彼女の表情を見返して少し驚いていた。


「はい……今は落ち着いて見えますが……貴之さんとアルさんのお話だと、また心に傷を負ってしまったかもしれません……」


「あの人が悪いなんてあたしも思っていないわ……ただ、ヒト族のやりそうなことだと考えると腹が立ってしまったの……」


 彼女はすでに切り替えていたようで、ソフィアは目を細めて優しく微笑んだ。


(ヒト……)


 他種族にだって悪しきものは存在する。

 もちろん神であっても例外ではないと、ソフィアは考えた。


(以前の私ならこんなことを考えもしなかったでしょう……)


「…………」

「…………」

 ふたりはそれぞれの理由で沈黙した。


 少し前まで笑顔と笑い声で満たされていたはずの教室は、もともとそこには何も無かったと思い出させるように、静かだった。


 それはヒト族とは異なる時間の感覚をふたりが所有しているからこそ、成し得た長い沈黙だった。



 コン、コン、コン。


 玄関をノックする音が、ふたりの沈黙を破った。


「お邪魔するぞい」

 いつもと変わらぬブロムが塾を訪ねてきた。


「これはこれはお前さん方、いくら今日は塾が休みとは言え、そんな顔は生徒たちには見せられまいて」

 とふたりをたしなめ、あご下の髭をゆっくり上下させた。


 ふたりはお互いの顔を見て苦笑いした。


「ところでハセカーはおらんのか?」

「……」


「はい。先ほど少し出てくると……多分いつも稽古場にしている湖畔の方にいると思います~。でも、戻るまで時間が掛かるかもしれません」


 ばつの悪そうなセリフィエルに代わってソフィアが答えた。


「そうかそうか、ならし方あるまい。以前からハセカーに頼まれていたアレが完成したんじゃが……。そうじゃ! 先にお主たちを案内してやるとするかの。いろいろあったからの、彼に頼まれて急いで作ったわい。しかし一切、手は抜いておらんぞ」


「……あれって何よ?」


 誇らしげにするブロムに、セリフィエルが取り付く島を見つけたように尋ねると、

「それは温泉です~」


 今度はソフィアが嬉しそうに代弁し、ブロムがうんうんと大きく二度頷いた。


「え? 温泉ですって!?」

 彼女の尖った耳がピンと伸びた。


「儂もなんでわざわざあんな所にと思いもしたが、試してみればなるほど、ハセカーがみなを喜ばせたいと急かしたのも納得じゃて」


「あんな所? まさか本当に作ったの!?」


 滅多に驚かないセリフィエルが立ち上がってブロムに迫っていた。


 それではみんなで見に行きましょう~と、ソフィアは二階で寝ているユイに声を掛けに上がった。



 三人はブロムに連れられ、小川の先、湖とは反対方向に向かって進んだ。



「本当に……これって温泉なの!?」


 その場所は少しだけ小山になったところに位置していた。


 湯船は塾のある家に備えられた何倍もの広さで、ちょっとした生垣や、柵状に並べられた大小の岩に囲まれ、その一帯は視界を遮るような湯気に包まれていた。

 コンパクトだが脱衣所や洗い場もあった。


 最初に驚いたセリフィエルはもちろん、ユイもソフィアを掴んだまま見とれていた。


「どうじゃ? これが温泉、露天風呂と言うそうじゃ。残念ながら天然ではないがの。なんなら今晩からさっそく入れるぞ。湯船の奥のくぼみにある黒い岩に、ちょいと細工をしてな。あれが熱源じゃから一応囲っておるが、十分気を付けるんじゃぞ」


「ねぇねぇソフィ! あそこは体を洗う場所かな? 鏡まで付いてるよ! これってみんなで入れるんでしょ? わぁぁ!」


 あの事件以来、どこか沈んでいたユイの表情が弾けるように明るくなったのを見たソフィアは、胸の奥の何かが温かくなる瞬間を感じた。


(この感情は……)

 この日はやけにソフィアの胸がざわついていた。


 温泉なんて何十年振りかしらと、瞳を輝かせるセリフィエルにも笑顔が戻った。


「ソフィ、今晩みんなで入ろ! あ、ハセは……ひとりで入ってもらわなきゃだね」


 そう言ったユイは悪戯っぽく笑い、ソフィアもそれににこにこ顔で応えた。



 その夜、一番風呂は譲ると、長谷川は悔しそうにしていたが、ソフィアには彼が意図的に譲ってくれたように思えた。


 温泉に対するみんなの反応を見て、とても嬉しそうだった。


 セリフィエルはリヴァを見つけたら合流するわとどこかへ行ってしまっていたので、夜になり、ソフィアはユイとふたりで一足先に温泉に向かった。



 洗い場で軽く体を流し終えた二人は、大きな湯船の前に立ち、あらためて感嘆した。


「うわぁぁ、いざ目の前にすると本当に広いね! ハセが絶対に守るようにって言ってたように、ちゃんと体を先に洗ったし、もう良いよね?」


「そうですねぇ、良いんじゃないでしょうかぁ。セリフィエルが念のため精霊に頼んで認識阻害の結界を張ってくれていましたから、一番風呂を楽しんじゃいましょう~」


 二人とも逸る気持ちを口にしながら、湯気の立ち込める湯船の端から、そっと、確かめるように足をさし入れ、そのまま肩まで浸かった。


「ふぁ~~~~~」


 それぞれの髪を湯面に広げたふたりは、気の抜けたような長い吐息を同時に漏らした。


「温泉は初めて入りましたが、露天最高ですね~」


「え~ソフィも初めてなの? じゃぁわたしと一緒だね」

 ソフィアよりも体の小さいユイは、湯船の揺らぎに身を任せて嬉しそうに言った。



「……ソフィ、ハセはなんであんなに傷ついてまでわたしを守ってくれたのかな?」


 突然だった。


「……」


 彼ならば当たり前、そんなことはすぐに想像できたし、答えることもできたが、何故かソフィアはすぐに口を開けなかった。


 しばらく沈黙が続くと……、

「わたしね、前のわたしだったら死ぬことなんか怖くなかったと思う。痛いのは嫌だけど、これで奴隷じゃなくなるんだーって、どこかで受け入れてしまったかも……。でも、あの時、ハセが助けに来てくれて、それで……そしたら、ハセがお腹を斬られて……」


 ソフィアは星空を見上げながら語るユイの言葉の続きを待った。


「だけど来てくれたことがほんとに嬉しかった。でもハセが死んじゃうかもしれないって思ったら、そんなの絶対に嫌だって……だから私も、私も死んじゃだめなんだって……もっと一緒にいたいのにって……ハセといられなくなるのが、それが本当に怖かった」 


 ユイの瞳の端から、汗ではない雫が流れ出ていた。

 ソフィアは黙って黒髪の小さい頭を自分に抱き寄せた。


 少しだけ、小さな嗚咽が聞こえてきた。


 そしてそれが途切れると、

「わたしもハセみたいになりたい……」


 ソフィアは自分の胸元から確かに聞こえたそのことばに、耳を疑った。


「ハセみたいに……なるんだ……!」


 そう言った彼女はソフィアから少し体を離し、その顔をソフィアの正面に向け、強い想いを込めた瞳でしっかり見据えて宣言した。


(……! この輝き……これは願い……いえ、意志?)


 ソフィアはヒトから、それも真正面から直接その意志を向けられたことなど、今まで一度も無かった。


 目の前の彼女に何かが宿った瞬間を見たようで、目が離せないでいた。


「……ソフィのそんな顔見るの初めてかも」


 それで自分を取り戻したソフィアは、自分の表情が揺れていることに気が付く。

 すぐにいつものにこにこ顔に戻って言った。


「そうですねぇ、私も驚いています。それと先ほどの、なんで貴之さんが? の質問ですが、それはあなたが私たちの子ですから、当然だと思います~」


 ソフィアは今度は迷わず、しかし無意識に口をついていた。


「えっ……」

 今度はユイが固まった。


 そして先ほどとは違う感情に揺さぶられた瞳で見返してきた。


「……お、お母さんって、ソフィが? …………いいの?」

 彼女は恐る恐る小さく、確かめるように言葉を絞り出した。


「もちろんですよ」

柔らかく微笑みながら即答した彼女に、今度はユイがその胸に飛び込み、抱き締めた。


「あらあら、まだまだ泣き虫さんですね」

 ソフィアの中で、ユイははっきりと嗚咽し、震えていた。


 労わるソフィアが抱きしめる力にほんの少し力を加えると、彼女はその何倍もの力で抱きしめ返してきた。


(この僅かな時間の中で私は何を見たのでしょう……ヒトの、いえ、ユイちゃんの目まぐるしく変わる心や表情の変化でしょうか。それとも成長の発露なのでしょうか……)


 ソフィアの理解は追いつかないでいた。


 しかし不安はなく、むしろ胸の奥には確かな暖かみがあるのだが、ことばにできないでいた。


「ひとつ確かなのは、願いが……意志が、運命を変えると言うことなのでしょうか」


 最後は声に出していたかさえも、ソフィアには認識できていなかった。

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