【ep.7】葛藤する先生 5.揺らぐ教育
「…………っ」
長谷川は見慣れぬ石造りの天上を見上げていた。
「ハセっ!」
「先生ぇ……!」
彼は体に幾つもの重みを感じたところで、ベッドの上で横たわる自分に気が付いた。
一番近くでユイが大泣きし始めた。
その隣ではしゃくりあげるヴェラが、口を一文字にしたテッサに抱きかかえられていた。
そして囲むように、リヴァや他の生徒たちが目をこすったり抱き合ったりと、安堵していた。
少し離れたところに立つレグ以外は――。
「ここは……」
まだぼんやりしていた。
「先生、回復されて良かったです。ここはフォルナの教会の中です」
「……! ユイ! 怪我は無いかっ?」
アルの声を聞き電撃が走ったように事態を思い出した長谷川は、咄嗟にユイを案じ、その小さな肩を掴もうとする。
「ってぇ……」
固定された右手が動かなかったが、半身を起こした。
「ハセ! ダメだってば!」
どこにそんな力があったのか、ユイに押し戻されて後頭部を枕に沈めた。
彼女はそのまま彼の首元あたりに頭を埋めた。
「ほんとに……本当に良かった……! ずっと起きないから……」
再びむせび泣くユイを抱えようと右腕に力を入れるが、激痛が走り叶わなかった。
「何を言ってるんだ……、ユイが無事なことが一番大事なんだ」
今度は左手で、どうにか彼女の背中をさすった。
一時置いて、長谷川の心中を察したように、アルは生徒たちを少しだけ遠ざけた。
ユイはミラに支えられて渋々従った。
彼は長谷川が倒れたあとの顛末を話してくれた。
聞けば、アルとロビンで建物に突入した直後、騒ぎを聞きつけた衛兵たちも駆けつけ、戦闘不能にしていた一団を押し付けるのと、ロビンのことを説明するのに手間取ったそうだった。
「ちなみに、衛兵たちには不審な様子はなかったです」と、ことの核心に関わるかもしれない部分も付け加えてくれた。
ユイのこととなれば、奴隷絡み、領主の息がかかっていないかと危惧していた長谷川は、少しだけ胸を撫でおろした。
「アル……君には助けられてばかりだ。折角教わった剣術も、いざ実践となれば剣よりも体が動いてしまってこのざまさ……」
長谷川は申し訳なさそうに謝罪を重ねた。
そんなことは気になさらず、それよりもとアルは複雑そうな表情で告げた。
「ユイはほとんどケガはありませんでした。しかし念のため、神官に【平穏の祈り】を施してもらいました……」
――【平穏の祈り】。
【光属性】の魔法で、混乱など精神干渉のある魔法への対処に使われることもあると、いつかセリフィエルに教えて貰ったことを思い出した。
「正直、心の傷がよっぽど心配です……」
と、そこでアルは初めて少しうな垂れた。
彼はあの場で何があったのか、ユイから聞いたそうだった。
長谷川は彼越しに、こちらの様子を心配そうに見守るユイを見つめた。
「それと、先生はあと二、三日は安静が必要です」
結局、絶対に離れないと聞かないユイと、ひとりで看病なんて大変よ! と、リヴァエルが神殿に残り、他のメンバーはアルに引き連れられ、帰って行った。
その中で、レグだけは長谷川に声もかけず、表情に険しさを残したまま去って行った。
二日後、歩ける程度には回復した長谷川は、心配の色を隠さない神官たちに感謝を伝え、部屋を出た。
神官たちは主に女性が多かったが、ドワーフもいるようだった。
この国の信仰は厚いと聞いていたが、複数の御神体らしき像が、礼拝堂と思しき広い空間の奥に厳かに立っていた。
正面と左右向き合う位置に像は立ち、その左側、温かみと慈悲深さを合わせたような笑みを讃えるその女神は、どこか見覚えがあるように思えた。
「せっかくだから少し町を……」
そう切り出した長谷川だが、両脇にいた少女たちに睨まれ、却下された。
これまで何度もフォルナに足を運んだことのある彼だったが、こんな形で初めて神殿に入ることとなり、その冒険心がくすぐられたのだった。
それからまっすぐ、塾への帰路についたが、長谷川は途中で成犬ロビンも召喚し、もたれかかるようにして歩いた。
ユイは彼の反対側の腕を掴んで離さなかったが、リヴァは器用にも成犬ロビンの上に乗り、楽しそうにはしゃいでいた。
やがて懐かしいあぜ道の先、遠くに塾が見えてきた。
長いこと留守にした気分だった。
塾の手前まで来ると、広い庭の向こう、玄関の前にはソフィアが立っていた。
「ソフィ!」
出迎えたソフィアに駆け寄ったユイは、勢いよく抱きついた。
そこでユイはまた大泣きした。
ソフィアは何も言わず、包み込むように彼女を抱き締め、頬を摺り寄せた。
「ただいま、ソフィ……」
どんな表情をしたものかと迷った彼だが、シンプルにそう告げた。
ソフィアは温かみと慈悲深さを合わせたような笑顔で応えた。
それで長谷川も心底安堵した。
「あっ――」
彼は神殿の女神像を思い出した。
もしかしてとソフィアを見つめたまま呟くと、
「あの神殿で祀られる神は主神ソルヴァルド、女神ベルカーナと……女神ソフィアね」
「っ!」
長谷川は咄嗟にリヴァに振り向いた。
彼女の翠玉色の瞳が悪戯っぽく輝いた。
「あたしとお姉さまは知っているわ。……お姉さまに言われて気付いたのだけど……」
と、最後はごにょごにょと小声で言った。
以前、セリフィエルがソフィアとの初対面で見せた反応に合点がいった。
「“ソフィ”、なんてすぐに気付かれてしまいそうなものだけど、ヒト族って本当にものごとのうわべばかりを見てるのね」
少し慌てた彼に、もちろんみんなにはこれも秘密だわ! と、彼女はウィンクした。
ユイは落ち着いたのか、ソフィアと一緒にこちらに手を振っていた。
後日、長谷川はアルやブロムに今回の出来事について意見を求めた。
アルの推測では、どうやら塾での“教育”が国に知れ、もう少し言えば支配階級であり保守派の筆頭貴族に、その事実を利用されている可能性があると語った。
その筆頭貴族とは、以前に相談役の男が絡んできた後ろ盾、この村の領主でもあるドラウス公爵だった。
「ふむ。いくら保守派とは言え、公爵がここまでおおっぴらな行動をするもんかの」
ブロムは首を傾げたが、長谷川には心当たりがあった。
――教育の持つ二面性
個性や可能性を伸ばす側面と、社会の規範や規則をコントロールする側面だった。
アルの語る公爵の真意は不明だが、長谷川には“教育”が抱えるこの二面性こそ、これまで懸念していたリスクそのものだった。
恐れていたことが起きているのだと直感し、彼は表情を強張らせた。
「アル、その……レグの様子はその後どうだい?」
あの事件以来全く言葉を交わしていないレグの様子も気掛かりだった。
彼は努めて冷静ですとだけ、アルは答えた。
これからは塾の運営にも、もっと注意を払うべきだとなったが、セリフィエルがいるときにじっくり話し合おうと、その日はお開きにした。
彼女はいつもより少し長く出かけていて、今回の件をまだ知らない。
「あの時セリフィエルもいれば……」と、ユイに不要な痛みを与えることも無かったはずだと考えたが、意味の無いたらればだと我に返り、長谷川はこれからの運営をどうするかに、思考を無理やり切り替えた。
――アルとブロムの三人で話した翌日、レグとアルは少し村を離れると言い残し、出て行った。そのことも、長谷川の不安や言い知れぬ焦りを強く煽った――
長谷川はひとり自室で悩んでいた。
今回の判断、レグやテッサたち、生徒の前で悪態をついたこと、これまで自分が信じてきたやり方に間違いは無かったか。
事件を招いた脇の甘さ、そして結果としてまたもやユイを深く傷つけてしまった事実に自ら嫌悪した。
「どこかで間違えたんだ……何が“教育”なんだ……何がぶち壊してやるだ……」
みんなの前では決して零せない弱音を吐いた。
「結局ここでも俺は何もできないのか……ただの独りよがりなのか――」
ガンッ! ガンッ!
彼は壁を殴りつけ俯いた。拳は擦り剝け、血が滲みだした。
レグたちが去ったあと、事件から日も浅いこともあり、生徒たちはどこか重たい空気を感じ取っているかのようだった。
それが長谷川の心をさらに締め付けた。
考えるほどに自身への苛立ちは募り、何が正しいのか……自分の信念さえ見失いそうだった。




