【ep.7】葛藤する先生 1.ミラと
その日は昼間からこの世界では珍しい曇天で、太陽は幾層もの雲により隠されていた。
突然、ミラの両親が塾に訪れた。
「おたくがハセカーか?」
藪から棒に声を上げた男性は長谷川を睨んだ。
母親からは旦那よと紹介された。
「……娘にいろいろ教えてるみたいだが、何がしたいんだ? そんなことしてくれなくったって、ウチは上手くやってたんだ。それを……」
「あんた! いきなりそんな風に言ったってわかりゃしないよ!」
長谷川に口も挟ませない怒り心頭の旦那の代りに母親は事情を話した。
最近父親に対してミラの態度が良くなかった。
日増しに知識と自信をつけてきた彼女が、学びを披露するならまだしも、理解できないでいる父親をバカにするような言動があったらしかった。
聞いていた父親は、腕組みしながら小刻みに右足を踏んでいた。
「ミラはできるようになったのが嬉しくて、あんたに褒められたいだけだろうに……」
母親は収まらない父親に弁解した。
「それであの親をバカにしたような言い方があるかっ! ふざけんなっ」
「みっともない! 何度も同じことを言わせるんじゃないよ!」
今度はふたりがケンカを始める勢いだった。
「すみませんっっ!」
長谷川は素早く、頭を深く下げた。
「……! な、なんだ急に」
勢いのある彼の態度に意表を突かれたのか、父親は少し驚いていた。
「自分がここで教えてます。長谷川と言います。お父さん……すみません、それは完全に私の責任です……!」
そう言って彼はもう一度頭を下げた。
そして、彼女だけでなく生徒たちには口酸っぱく言ってきかせていたこと、塾で身に付けた知識をひけらかさず、相手の立場に立つことをずっと伝えてきたことを。
結果としてそれができていなかったと、素直に謝罪した。
父親は疑いの目で彼のことばを聞いていた。
それから長谷川は、自分の想い、ミラの成長や変化、それこそ家では見せないであろう姿を熱心に語った。
子どもたちに自分の人生を自分で選び取れるようにさせたいんですと、いつの間にか長谷川のことばに熱がこもっていた。
以前母親から、職人気質で口数が少ないと聞いたことを思い出したが、その通り、ミラの父親は黙って聞き続けていた。
その姿に彼の本音を見た気がした長谷川は、ひけらかさないことの真意も彼に伝えた。
「これは生徒達を守るためでもあるんです。知識や力を披露するのは、彼女たちの分別がついてからだと私は考えています。しかし結果的にこんなことになってしまった……」
私が甘かったんです、と。
再び頭を下げ、ミラを叱らないでやって欲しいと頼んだ。
父親は引き続き黙っていたが、少し間をおいて――
「……よくわかった。それと……娘を、引き続き頼みます」
と軽く頭を下げ、ひとりで去ってしまった。
長谷川は拍子抜けしてしまった。
「先生の勝ちさね。恐らく自分より娘を見守り、行く末を考えているあんたに負けたのさ。本当に不器用だけど、あたしもあんな人に惚れちまったんだから仕方ないさ」
ばんっ! と、母親は長谷川の背中を叩き、今度は採れたてのフルーツを持ってくるさと、父親のあとを追った。
長谷川はふたりが去った方向に、黙って頭を下げた。
(……きっと父親は教育されることで本人が抱えてしまうリスクを分かっていて、娘をああやって守ってきたんだ。……“教育”……この世界では俺の想像を超える以上に危うい行為なのかもしれない……)
そう思わずにはいられなかった。
翌日、大量のフルーツが入ったカゴを抱えたミラが、気まずそうに近寄ってきた。
「長谷川先生……昨日はその……お父さんがごめんなさいっ!」
ミラは真っ直ぐに頭を下げてきた。
「どうしたんだミラ。先生緊張しちゃったけど、お父さんとても良い人だったよ!」
「えっ? だって、昨日お父さんが塾に怒鳴り込んだって、お母さんが……」
「そうだなぁ、まぁお叱りは頂いたけど、お父さんに会えて良かったよ。ミラのことをとても大切にしているのがわかったから。先生も見習わなきゃな」
「そんな……私のせいだったのに……」
長谷川はミラの泣きそうな顔を初めて見て驚いた。
「昨日、本当は塾なんか辞めさせるって……でもお父さんが帰ってきて、大人げなかったって……一言だけ、私に頭を下げたんです」
そこまで言うと、ミラは僅かにあふれ出た涙を右手で拭った。
「それで……それで初めて、応援してるぞって……私本当に嬉しくて……」
いつもはお姉さんのミラが顔をくしゃくしゃにしていた。長谷川も堪えて言った。
「そうか、それは良かったな……、お父さんもお母さんも、ミラが本当に大切なんだな」
これまで鬱屈したことがあったのだろう、ミラは座り込んで泣き出した。
それから少しして泣き止んだ彼女は、長谷川に笑顔で感謝を伝えた。
そして母親から昨日の長谷川が語った想いを聞いたと話してくれた。
「あら、ミラのお母さんはお話好きだからなぁ……でも先生も精一杯お父さんたちに伝えたよ。ミラにも先生が想ってること、少しでも伝わったら嬉しいな」
どうなのかなぁと、長谷川は少し照れくさそうに言った。
すると彼女は真剣な面持ちで切り出した。
「先生、私まだ自信は無いけど、いつか先生のように誰にでも優しくて、たまに厳しいけど、分け隔てなくみんなのことを真剣に考えられるような、そんな存在になりたい!」
ミラなら絶対になれるよ! と言いながら、ミラの成長が嬉しい反面、自分ではそれができているなんて思えない長谷川は、少し苦笑いしてしまった。
「?」
微妙な反応に首を傾げたミラに、
「そうだなぁ、ミラの気持ちを話してくれたお礼に、先生の昔話を少しだけ話そうか」
彼はかつてソフィアに明かした過去、自分にもどうにもできなかった経験を、ミラにも分かるように語った。
だから君が言ってくれるほど、自分も自信なんかは無いんだよと。
そのあとで、自身が“学校”の先生になりたかったことも語って聞かせた。
ミラは薪をくべられたような瞳で、注意深く彼の話に聞き入っていた。




