【ep.1】転生する先生 1.最初の出会い
「こりゃあ家に着いたら午前様だな」
二十三時過ぎ、愛車に乗り込むと、自宅までの長い一時間を想像しながらエンジンをかける。今ではすっかり、この生活にも慣れてしまった。
誰かの役に立ちたい――
崇高な想いを搾取して成り立つと揶揄される、塾業界のそんなブラックなフレーズを思い出し、なるほどなと心の中で呟いた。
子どもたちの未来のために――
長谷川もそんな想いで転職していたが、すっかり業界の罠に嵌ったなと、苦笑しながら夜の国道を走っていた。
ふと助手席の紙袋に目をやる。出勤前に買ったラノベの新刊が入っていた。
「明日も授業だけど……せめて一章くらいは読みたいよなぁ……」
異世界ファンタジーのこのシリーズは、仕事に追われる彼の数少ない楽しみになっていた。転生モノで剣と魔法、冒険あり、異種族あり、群像劇あり、そしてちょっとお色気も。
決して派手さは無いが、主人公への共感と、ヒロインたちへの感情移入ができる、彼の好きな“これで良いんだよ”が詰まっている作品だ。
彼が十代後半でその世界に出会って以来、三十半ばになった今でも飽きることはなかったし、これまで何度も勇気や元気をもらってきた。
……。
目の前から同じ車種、流線形の白いミニバンとすれ違う。
「ふぁぁ……そう言えばコイツ、当時は天才たまごなんて呼ばれてたよな……」
小さくあくびし、脈絡もなくぼんやりとそんなことを思った瞬間だった。
「…………っ」
ガクッと頭が倒れ、すぐ両の目を見開く――
「うおっ!」
キキッ!
急いでハンドルを切る。タイヤが小さく悲鳴を上げる。気が付けば車はセンターラインの真上を走っていた。
「あっぶねー、一瞬落ちたわ……」
運よく事故にはならなかったが、長谷川は両頬をパシッとはたくと窓を全開にし、まだ少し肌寒い夜風を取り込んだ。
零時五十三分、あのあと眠気覚ましにコンビニに寄ったせいもあるが、予想より遅い帰宅となった彼に、時計の針は精神的疲労を容赦なく与えた。
いつもならシャワーだが、今日は違う。コンビニ弁当を味わいもせずにかっこんだあと、お目当てのラノベを袋から出し、まずは特典のポストカードを楽しんだ。
「やっぱセレニエル良いよなぁ、正妻味が良い」
ヒロインの一人、女神セレニエルの上目遣いを堪能する。カードを目線の高さの棚に飾ると、ようやくひと息ついた気持ちになった。
直後、明日の授業が脳をよぎる。
「……。一章だけ読んだら準備するか……!」
そう思いながら、未だ着替えもせず深々とソファに沈みこむと、腹が満たされたせいか既にまぶたはいくらか重たい。
眉間をぐりっと何度かつまみ、かろうじて新刊のページをめくり始めた。
「――――」
ものの十分かそこら、新刊がパタと手からすべり落ちた。見開きのまま長谷川の顔の上に乗る。目覚めなかった。その意識は深く深く沈んでいった――
――最初は目の周り……いや全身、強く憔悴感を覚えた。
目を閉じたままだが例えるなら白と黒が明滅するようなイメージが脳内に広がる。
しかししばらくすると、そのイメージははっきりとした濃い白となり、温かみのある柔らかい気配を後頭部のあたりに知覚し始めた。
無意識にまぶたが開かれる――
「……気が付かれましたか?」
「……? ……!!」
見たことの無い女性が長谷川の顔をのぞき込んでいた。膝枕されていた。
先ほどの濃い白の空間、そうイメージした中にいることは理解したが、それ以外分からない状況に慌てる。
本来なら驚いて体をバタつかせていただろうが、実際には体は動かせず、後頭部の感触以外はまるで浮いているようでもあった。
あらためて女性に目をやる。
どこか神々しさのある淡い光をまとい、わずかに青みを帯びたパールグレーのロングヘア―。
何よりも印象深いのは全てを包み込むような慈愛に満ちた表情……脳裏には先ほど見た女神セレニエルが浮かんだ。
すると――
「長谷川さん、あなたを転生させますね……!」
柔らかく、それでいて淀みのない心地よさを感じる声色とは裏腹に、彼女は笑顔のまま、選択の余地はないとばかりに端的にそう言った。
「――!」
やはり声が出せない。混乱を表情で訴えた。
「そうですよね、今は簡単にお話しますね」
と、偶然見つけた長谷川に興味を持ったのだと切り出した。
そして転生先で困らないよう、幾らかの【ギフト】や【スキル】を授けると、変わらず柔らかい口調で説明した。
(見つけた? 興味? それにギフト……?)
理解が追い付かないまま……
「あなたにとって良い出会いがありますように……」
(え? 説明終わり!? 本当に簡単すぎて全然理解できてないんだけど……!?)
さも良い感じに言葉を締めた彼女に、未だ受け止めきれない心の中で反論したが、そのまま彼の意識は落ちていった……。




