第五話 運べるうちに——発生まで6日
俺は月岡達規。食品を学んで、内装屋になった男だ。
目覚ましより先に目が開いた。6時5分、隣の咲乃の肩を二回叩く。
「6時半ごろ、ニュースが出る。北の研究炉に、飛行機が落ちる」
咲乃はタオルケットから片目だけを出した。
「……それ、昨日の話の続き?」
母さんの部屋は、まだしんとしている。ベランダに出て、穂乃実の番号を押した。
「はい、昨日の犯人です」
「笑わずに聞けるか」
俺が話している間、受話口の向こうで自販機が二回鳴る。缶を拾う音を最後に、穂乃実の相づちが途切れた。
「……薬のリスト、もう作り始めてる。お姉ちゃんの迎え、待ってるね」
ガラスの内側で、咲乃がスマホを掲げた。
画面の上を、速報の帯が流れる。6時32分、北の研究炉の敷地に航空機が墜落、被害の状況は不明。
どこの機体かも、何人乗っていたかも書いていない。前の時に見たのと、同じ一行だ。
「義兄さん。これって、あれと関係あるの」
「分からない。前の時も、最後まで分からなかった」
分かっているのは、この一行の6日後に、あれがちゃんと来たことだけだ。
*
7時過ぎに起きてきた母さんと三人でパンを焼いていると、元請けの担当から電話が来た。
「月岡さん、朝からすみません。現場の人たちが全員、食あたりで入院しまして。当分、作業は無理です」
「分かりました。鍵と養生は、こっちで見ておきます」
「お仕事、止まったの」
母さんが麦茶を注ぎながら聞く。
「しばらく止まる。だから、旅行に行ける」
「あら、ちょうどよかったじゃない」
ちょうどよかった、で済ませておく。俺は何も仕込んでいない。
前の時も、同じ店で同じ晩に、同じ顔ぶれが当たっただけだ。
テーブルの下で、咲乃の膝が俺の膝を一度だけ押した。
*
咲乃は義父のミニバンで隣県へ向かい、俺は運転しながら米問屋に電話をかけた。
「米と麦と雑穀を、3年分。パレットに積んでください」
「月岡さん、とうとう米屋に鞍替えですか」
「町のスーパーの内装を請けまして。明日の朝、霧瀬東の現場へお願いします」
嘘は一つにまとめておく。帳簿をつける男の知恵だ。
昼過ぎに義実家へ寄ると、玄関に段ボール箱が三つ積んであった。砂と皿と爪とぎ、閣下の荷物だ。
一番上の箱の中に、閣下本人が収まっている。
「閣下、それはあんたの荷物。あんたは荷物じゃないの」
義母の声にも、閣下は箱の縁に顎を載せたまま動かない。抱き上げて上がり框に下ろすと、こっちに背中を向けて座り直した。
知り合いの運送屋で、冷凍車のキーを受け取ったのは義父だ。
「10トン車一台分か。俺が転がす」
「荷台の冷凍機は、倉庫で外して4階の奥で回します。運送屋とは話がついてます」
食品の会社を三軒回って、冷凍の総菜と肉と麺を荷台いっぱいに積む。専門学校の同期の名刺が、ここで生きた。
積み込みの合間に、咲乃から電話が来た。
「携行缶、全部で120L。スタンドで免許証を見せて、用途を聞かれた。発電機と家族の遠出って答えたよ」
運転席の窓から、義父が首を出した。
「その缶の分は、車の燃料と別の行に書いとけ。足して何キロ走れる、とは数えるな」
夕方、倉庫の荷捌き場には米と雑穀のパレットが届いていた。義父が届いた順に、番号を書いたテープを貼っていく。
「運転手に何の倉庫か聞かれたから、町のスーパーの仕事だと言っといた」
*
荷捌き場の段差で、コンビニのおにぎりを食べた。8時を回っている。
義父がフィルムを細く畳みながら聞いた。
「全部、隠れる話だな。隠れきれなくなったら、どうする」
ポケットから車の鍵を二本出して、段差に並べる。うちのSUVと、義父のミニバン。
「どっちも、ガソリンと電気で走ります。満タン満充電で、1台につき1000キロ級」
「1台ずつ、だぞ。2台を足すなよ」
「言いません。1階の奥に停めて、手前に石膏ボードの仮の壁を立てます。内側から外せる口をつけて」
「車のそばで荷物をいじってるとき、何か来たら」
「脚輪つきの囲いを、作業のときだけ車にかぶせます。走る前には外す」
「人はどうやって下りる。エレベーターは2基あるが、止まってたら終わりだぞ」
「柱を抱いて1階まで滑り下りる退路があります。うちで化粧板を巻いた柱です」
「いざとなったら滑ればいい、と思ってるだろう」
「……思ってました」
「思うだけじゃ駄目だ。入ったら、全員で一回ずつ滑る。千鶴もだ」
農機の店で、農業用ドローンを借りる約束もしてある。27日の朝に機体を受け取り、操縦の人は午後に合流してくれるという。
義父は天井を指さした。
「あの照明、全部点けて外で聞いてみろ」
シャッターを下ろした外の暗がりで、安定器の唸りが壁越しに聞こえた。
「配線をばらして、2灯で1組にしろ。点けるのは要るところだけだ」
30分かけて組み替えたあとは、虫の声しか聞こえなかった。
*
11時半、4階のプレハブの壁が立った。
3階の階段室に懐中電灯を向けると、2階から上がってくる鉄骨の階段が、踊り場の下の暗がりに沈んでいる。
義父が巻き尺で幅と高さと奥行きを測り、電卓を叩いた。
「埋めたら17トン。ここが持つのは3.3トンだ」
手帳の数字は、何度見直しても桁が動かない。埋めれば、踊り場ごと抜ける。
「落とすしかない」
「切るのか。音が出るぞ」
「切りません。この階段、踊り場の梁にボルトで留めてあるだけなんです。留めたのは、うちの下請けです」
義父の懐中電灯が梁を舐める。並んだボルトの頭が、順に光を返した。
「ジャッキの番は、俺がやる」
柵が駄目で、コンクリも駄目だった。三つ目の案で、義父の顎がやっと縦に動いた。
*
日付が変わる前に、スーパー銭湯へ滑り込んだ。当分、これが最後の湯だ。
脱衣所で広げた無地のタオルは、端の縫い目が少し丸まっていた。
閉店間際の焼き鳥屋で、義父が紙ナプキンに家電の名前を書き出していく。
「家の電気は100Vで、冷凍庫やエレベーターとは別の系統だ。食洗機と炊飯器は入れるぞ」
「電子レンジは置いていきます。うなるし、一度に食う電気が大きい」
「温め直しが遅くなる。俺は早く食いたい」
レンジの欄には「保留」。食器は全部金属にする、とだけ決まる。
帰りの車で、義父が聞いた。
「お前のお母さんには、いつ話す」
「当日です。荷物を担がせる歳じゃないし、毎日出歩いて知り合いも多い。家が慌ただしくなれば、誰かが気づく」
「それだけか」
「知ったら、役所に知らせる。母さんは、そういう人です」
義父はしばらく窓の外を見ていた。
「……当日の朝は、俺が迎えに行く」
義実家に着いたのは2時だった。ソファで、咲乃がタブレットを抱えている。
「今日の分、全部線が引けた。予定より少し先に進んでる」
画面の一覧に、細い横線が並んでいる。明日の欄は、まだ白い。
「もう少し急ごう」




