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ゾンビ発生の7日前に戻った内装屋の俺は、タワマンも別荘も捨てて、建設中の冷凍倉庫に家族と猫と犬で立てこもった  作者: 空の異変


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第四話 悪夢とネズミ——発生まで7日

俺は月岡達規。図面の穴を義父に見つけられる男だ。


「金は」


義父が胡坐を組み直した。スリッパの横の糸が、さっきより少し伸びている。


「これだけ揃えたら、いくらかかる。どこから出す」


俺はスマホで会社の口座を開いて、床に置いた。入金の画面に、今日の日付が並んでいる。


「元請けから、契約の7割が今日入りました。仕入れ先への支払いは、まだ先です」


「手元には8000万円ある。工事が止まる間は、この建物で動ける」


咲乃が画面を覗き込んで、眉を寄せた。銀行員の顔だ。


「それ、あなたのお金じゃないよね。仕入れ先の支払いも、会社の借りもあるでしょ」


「ある。期日が来たら払う」


「じゃあ、期日を全部出して。私が控える」


言われるままに、支払い予定を読み上げた。咲乃の指が、日付と金額を一行ずつ打ち込んでいく。


「現物の手配は」


「付き合いの長い問屋なら、明日の朝に積める。パレットと棚は、倉庫の近くの工場に在庫があります」


「それと、達規くん」


義父は画面ではなく、俺の顔を見た。


「その建物は、お前のものじゃないぞ」


「分かってます。持ってるのは鍵と図面だけです」


建物を好きにしていいわけじゃない。工事が止まっている間、中で動けるというだけだ。


    *


菜箸で、図面の断面を上から順に叩いていく。


1階と2階は、資材とゴミを置いたまま、止まった現場に見せる。3階と5階には住まない。


窓のない階が三つ重なると、入った人間は自分が何階にいるのか分からなくなる。


「本当の家は、4階です。生活区画が200平米」


「冷凍倉庫の中に、部屋が建つのか」


義父が、そこで引っかかった。


「ノツギ機工が実験室用に買った防音のプレハブがあります。床と壁と天井を組むだけで、吊り上げる重機はいらない」


「台所は?」


義母が聞いた。


「火は使いません。オーブンと電気の調理器で」


「あら、楽になるわね」


「洗い物は?」


咲乃が割って入った。


「うち、食洗機だよ。使い捨ての食器もなしで、手で洗うの?」


食洗機のない生活なんて、考えたこともなかった。


俺はもう何年も、自分の手で皿を洗っていない。


「食洗機は持っていく。手洗いより、水が少なくて済む」


「電気は」


義父の短い質問が、また来た。


「……なんとか、詰めます」


「詰めるんじゃない。使う時間を決めるんだ」


「食洗機と洗濯機は、照明を落とした時間に回す。配電は俺が組む」


義母が「助かるわ」と湯のみを持ち直した。


「それと、外は誰が見る。運んでいる間も、整備している間もだ」


「現場のカメラを、生活区画の入口に並べます。画面を壁一面に」


「じゃあ、その前が私の席ね。記録と一緒にやる」


「あとは2階から3階の階段です。鉄骨で柵を組んで、上がれないように塞ぐ」


「柵なら、材料は現場にあるな」


義父がうなずいて、ダイニングのテーブルへ移った。鉛筆と紙を引き寄せる。


材料の数は、義父が拾い出してくれることになった。待つ間、俺はソファに背中を預ける。


鉛筆の音が、規則正しく続いていた。


    *


10時を回って、咲乃と帰ることにした。


義実家は6階だ。階段で降りようと言い出したのは俺だった。


来週からは、エレベーターなんて使えない。


階段室には窓がない。古い蛍光灯が、ついたり消えたりしている。


「雰囲気出てるな」


咲乃は返事をしなかった。


踊り場で、閣下が俺の足に体をこすりつけてきた。抱き上げると、珍しくおとなしく腕に収まる。


2階から下は、蛍光灯もない。天井の小さな灯が、思い出したように瞬くだけだ。


最後の折り返しを曲がると、1階の防火扉の前に鉄の柵が立っていた。


扉ごと塞いである。出入りのことなんか考えていない、溶接の柵だ。


近づいて、指の背で叩いた。


カン、カン、と乾いた音が階段室を上っていく。


扉の向こうで、声。


喉を裂くような声。


防火扉が、内側からこちらへ倒れた。


柵の向こうに、顔が並んでいた。


血まみれの顔だった。


「もう始まったのか。まだ早いだろ」


柵の隙間から、指が何本も伸びてくる。爪が鉄を引っかく音が、途切れずに続く。


二段、三段と後ずさった。柵は揺れるだけで、倒れない。


咲乃の手を取ろうとして、空をつかんだ。


咲乃は、柵の上を指さしていた。


ネズミだった。毛の抜けたネズミが、並んだ頭を足場にして、柵の上へ這い上がっていく。


一匹。二匹。


天辺を越えて、こちら側の床に落ちる。


床を、かりかりと引っかく音。落ちたネズミが体を起こして、階段のほうへ向き直った。


咲乃の後ろには、上へ続く暗い階段しかない。


俺は目を閉じた。


「にゃあ」


腕の中で、閣下が鳴いた。


目を開けると、明るい。


ソファの上だった。腹の上に、閣下が乗っている。


ダイニングでは義父が鉛筆を動かしていて、咲乃がこっちを覗き込んでいた。


「……今、何時だ」


「8時半、ちょっと過ぎ」


「夜の?」


「当たり前でしょ。お父さんに材料を数えてもらってる間に寝ちゃって、5分も経ってないよ」


閣下が伸びをして、俺の腹から降りた。尻を振りながら、悠々と歩いていく。


背中のシャツが、汗で冷たかった。


「お義父さん。2階と3階の間、柵じゃ足りません」


義父の鉛筆が止まった。


「何が足りん」


「ネズミです。下に何かが溜まったら、それを足場にして柵の上を越える」


夢の話をすると、義父は鉛筆を置いた。


「銀行のカウンターの防弾ガラスで塞いだら?」


「注文して届く前に、発生が来る」


図面の階段室を、菜箸の先で押さえた。


「柵じゃ駄目だ。階段室をコンクリで埋める」


義父は返事をせずに、紙の端に何かを書きつけた。


    *


「エレベーターはどうする」


「4階に止まらないように、回路に遮断器を入れます」


「それだけじゃ駄目だ」


義父は鉛筆の尻で、図面のエレベーターの記号を叩いた。


「ボタンが5つあるのに、誰が4階建てだと思うんだ」


言われてみれば、そのとおりだ。中に入った人間は、まずボタンの数を見る。


この狡い年寄りは、俺が三日かけて考える穴を、三秒で見つけてくる。


エレベーターの保守会社の、夜間の窓口に電話をかけた。ある階の表示を出さずに、暗証番号でだけ止まるようにしたい、と伝える。


「……風俗店ですか」


「違います。倉庫です」


相手は気まずそうに咳払いをして、既存の階制限の機能を使う面板がある、と教えてくれた。明日の昼には受け取れる。


「付けるのは俺がやる」


義父が、受話口に聞こえない声で言った。


「それと、4階の物資の区画は光が入らんだろう。野菜はどうやって育てる」


「育苗盤に、植物用のLEDを当てます。点ける面積を決めて、時間で回す」


「米はどこから取る。奥から出すのか」


「パレットで積んで、番号を振ります。使う順に手前から」


「番号の表は、私が作る」


咲乃のタブレットに、新しいページが増えた。


    *


帰り支度をしながら、ソファの肘掛けを見た。閣下が前脚を胸の下にしまって、目を細めている。


「お義母さん。閣下の物、全部まとめておいてください」


「砂も皿も、爪とぎも。一緒に向こうへ運びます」


「全部ね。分かった」


閣下は、こっちを見なかった。


夢で聞いた声の主は、尻尾だけを揺らしていた。

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