第二話 全員間違っている——発生まで7日
俺は月岡達規。自分の会社の経理もやる男だ。
18時40分、義実家のリビングで第一回の家族会議が始まった。
出席は義父、義母、咲乃、俺。床の上に閣下と、うちの3歳の黒いラブラドール。
犬は留守番させる気になれなくて、車に乗せてきた。
図面を7枚、床に広げる。丸まろうとする端を、義父の靴と義母の湯のみで押さえた。
残りの二隅は、閣下が自分から右上に寝そべり、犬が左下に座って埋めた。尻尾が図面をぱたぱた叩いている。
「閣下、そこは紙よ」
義母の注意は、当然のように聞き流された。
咲乃はタブレットを抱えて記録係の席についた。俺は台所から菜箸を一本借りる。
現場で説明するとき、手に棒がないと落ち着かない。職業病だ。
義父がスリッパのつま先で、図面の端をつつく。布のスリッパの横から、短い糸がひとすじ出ていた。
「で、どこだ」
昼の待ち時間に、掲示板のサバイバルスレを100本ほど読んだ。籠る先は、ほぼ全部がタワマンか別荘だった。
「タワマン派も別荘派も、全員間違っている」
「言い切ったな。上の階なら、下から来ても上がってこれんだろう」
人数を聞くと、母さんと穂乃実も入れて全員だ、と義父は言った。
「タワマンの一戸に、その人数と何年分かの米と水。居住空間がまず足りません」
咲乃が顔を上げる。
「水が止まったら?」
「トイレが流せない。上の階でバケツの水を流せば、下には誰かいるって分かる」
自給力がない、と付け足した。
義父が別荘の話を出した。庭があるだろう、と。
「庭は塀を越えられたら終わりで、窓は枠ごと外せる。防御にならないんです」
仕事で何十回も窓枠を外してきた俺が言うんだから、間違いない。
屋根でも張ったらどうだ、と義父が食い下がる。
「上に乗られたら抜けます。構造が持たない」
お米をたくさん買って運べば、と義母が湯のみの縁をなぞった。
「米袋を何十袋も、止まったエレベーターの横の階段で20階まで? 搬入ができない」
太陽光のパネルを付ければ、とこれも義母。
「ベランダのパネル一枚と小さい電池じゃ、冷蔵庫ひとつ回すのがやっとです。電力が足りない」
咲乃の指が止まった。まだあるの、という顔だ。
「半年もしないうちに、家が自分の出したゴミに埋まります。廃棄物の行き場がない」
全員が黙った。犬だけが、尻尾で図面を叩き続けている。
「だから、籠る場所はもう選んである」
義父が腕を組む。
「その場所は、住めるようになってるのか」
菜箸で、図面の表題欄を叩いた。霧瀬東工業団地、ノツギ機工倉庫改修工事。
「ここは、俺が今やってる現場だ」
咲乃が記録の手を止めた。義母はテレビに映した工事写真へ身を乗り出している。
「霧瀬市の工業団地の端にある、5階建ての冷凍倉庫です。各階が830平米、屋上が640平米で、躯体と断熱はできてます」
冷凍機が入る前に、工事は止まった。完了検査も受けていない。
検査済証のないその建物をノツギ機工が借りて改装していて、内装をうちが請けている。
「人が住むための建物じゃないってことじゃない」
「住むためには通ってません。籠るためなら、ここより上は思いつかない」
「鍵は誰が持ってる」
「俺です。中の監視カメラも、まだ向こうに引き渡してない」
義父は図面から目を上げなかった。
「……そこの角を見せろ」
犬が座っていたのが、ちょうどその角だった。
悪いな、と尻を押してどかすと、犬は鼻を鳴らして、閣下の横へ移った。閣下は片目だけ開けて、また閉じる。
*
「電気は」
義父の質問は、いつも短い。
「東と西と南の外壁と屋上に、発電するガラスが貼ってあります。設計では年に300MWh」
「設計値だろう。曇りも埃もあるんだ、使える分は40MWhと見とけ」
「それでも、家族で使うには足ります」
「足りるかどうかは、貯めておけるかで決まる」
「ノツギ機工の展示場から、車載用の電池パックが架台ごと入ります。全部で950kWh」
義父が指を折る。
「充電に2組、給電に2組、予備に1組。交代で回す」
咲乃のペンが走った。俺は気をよくして、次へ進む。
「照明と動力は、建物の配線をそのまま使います。そのほうが早い」
「使わん」
即答だった。
「変圧器は唸る。工場の照明は熱を出す」
「何年も眠ってた設備だぞ。壊れたら、誰が直す」
「……俺です」
「お前は内装屋だ。俺も高圧はいじれん」
義父は配電盤の記号を指で押さえた。爪の間に、機械油の色が薄く残っている。
「電池から自前で引く。遮断器は俺が選んで俺が付けるし、合わん物は付けん」
俺の「早い」は、義父の「使わん」に三秒で負けた。
咲乃がこっちを見る。
「建物の配線は使わない。それ、決定?」
決定、と答えたのは義父だった。
「それと、浄化槽の送風機も電池の系統から取る。止まったら臭いが外に漏れる」
地面の下のやつ? と咲乃が聞き返す。
「下のやつだ。下のやつほど忘れられる」
咲乃が「送風機・電池系統」と打ち込んで、その下に線を引いた。
*
菜箸を配管図に移した。
次は水だ。発生から10日で、水道が止まる。
前の時は、そのあと雨の降らない日が長く続いた。
「60日分は持っておきたい。今の使い方のままだと、43トン」
義父が、図面の端から湯のみを持ち上げた。押さえを失った紙の角が、くるりと丸まる。
「これ一杯が何ミリだ。それだけの水をどこに置く、床が抜けるぞ」
「全部は置きません。節水して、用途で分けて、足りない分は井戸で足す」
井戸なんてあるの、と義母が身を乗り出した。俺は配管図の南側を叩く。
「敷地の南に、配管も使用記録も残ってる業務用の井戸があります。設備区画には5トンの水槽が2基」
片方は飲み水、もう片方は洗い物の水の一時置き。飲み水のほうは浄水器を通して、槽に紫外線の灯を入れる。
「地下の水だから綺麗とは限らんぞ」
「浄水器は混ざり物の担当で、紫外線は菌の担当です」
義父が湯のみを図面の角に戻した。紙がまた平らになる。
咲乃が、タブレットから顔を上げた。
「節水するって言うけど、この家で誰が一日何リットル使ってるか、分かってる人いる?」
誰も答えなかった。俺もだ。
さっきの数字は、うちのマンションの水道料金から割り出した数字だ。義実家の分は、要するに勘だ。
「明日から、メーターを朝晩で私が控えて、使い道も分けて書く。減らせる分は、それから出す」
義母が湯のみの縁を指で叩いた。
「お風呂は? あたし、湯船に浸からないと眠れないのよ」
「毎日は無理です。残り湯を洗濯に回すなら、週に一度は」
「じゃあ、一番風呂はあたしね」
義父が「千鶴と咲乃で、今夜詰めといてくれ」と言うと、咲乃は素直にうなずいた。俺が同じことを頼んでも、たぶん聞かない。
咲乃がメモを読み上げる。
「飲み水、洗い物、洗濯、お風呂までは決まった。……で、トイレは?」
全員が俺を見た。俺が口を開くより先に、義父が言った。
「車に積むトイレがあるだろう」




