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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第一章 ご乗車ください《1年生編》
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Ep.2 30センチ近い空 (3)「土の香り、空の風」

 サッカー部で、先生からゴールキーパーに指名された俺。

 でもそれは、俺が望んでいたものではなかった。


 大谷 圭介:

(今日、部活前に先生に話そう)


 そう考えた俺は、更衣室で着替えたあと、中曽根と隼人と別行動をすることにした。

 グラウンドへ向かう二人に「先に行ってて」と告げる。

 中曽根はきょとんとして、隼人は小さく頷いた。


 ショートカットするために、グラウンド横の花壇前を突っ切ろうとする。

 その上空では大きな青空が、6月なのに、梅雨の気配も感じさせずに広がっていた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 30センチ近い空

(3)「土の香り、空の風」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 望月 美羽:

「あ! ストップ!! 」


 大谷 圭介:

「!?」


 突然の大声に、足が止まる。

 まぶしい上空を見上げていた俺は、花壇前にしゃがみこんでいる人物に気づいていなかった。


 望月美羽がいた。

 ジャージ姿で花壇前にしゃがみこんで、軍手をはめ、かたわらにはスコップとジョウロを携えている。


 望月 美羽:

「よかった〜! あと少しで潰されるところだったね 」


 大谷 圭介:

「え? は?」


 望月は、止めさせた俺よりも、地面に話しかけている。

 戸惑った俺が望月の視線の先に目をやると、黒い小さな行列が、穴ぼこへ入っていくところだった。


 大谷 圭介:

「……アリ?」


 アリだ。

 アリが行列を成し、巣へと帰っていく。

 たしかにあと一歩、俺が踏み出していれば、その行列を潰していたに違いない。

 アリはするすると吸い込まれるように、穴へと帰っていく。

 最後の一匹が遅れて巣に入ると、じっとそれを見ていた望月が、ようやくこちらを見上げた。


 望月 美羽:

「ありがとう! おかげで無事に巣に帰れたみたい 」


 しゃがみこんだまま、にっこりと笑う。


 大谷 圭介:

「いや、別に……」


 言われたから、止まっただけなんだけどなぁ。

 それにしても望月は、何をやってんだ?


 大谷 圭介:

「望月、何してんの」


 俺は疑問をそのままぶつけた。


 望月 美羽:

「花の水やり! と、雑草抜きをちょっと 」


 大谷 圭介:

「なんで望月が?」


 望月 美羽:

「私、園芸部なんだよっ」


 大谷 圭介:

「へぇ、知らなかった」


 えっへんと、誇らしげに笑う望月。

 正直、騒がしい望月が園芸部とは意外だった。


 望月 美羽:

「今、意外だなって思ったでしょう」


 大谷 圭介:

「えっ」


 なんでわかった!?


 望月 美羽:

「私が園芸部って言うと、みんな驚くんだよねー」


 望月はさして不満なさそうに、あっけらかんと言う。

 あはは、と手を振り笑っている望月がはめている軍手は、泥だらけで土まみれだ。

 教室では、流行りのこととか恋愛とか、そんなことばかりこの子は話していたように思う。

 でも、人間ってわかんないもんだな。


 大谷 圭介:

「花、好きなんだ」


 花壇には、色とりどりのパンジーが咲いていた。

 どの学校にも植えられているそれも、誰かが手入れをして保たれている。

 そんなことに、ふと気がついた。


 望月 美羽:

「んー、花ってよりも土、かな」


 大谷 圭介:

「土?」


 予想外の回答に聞き返すと、望月は「えへへ」とはにかんだ。

 軍手のまま、パシパシッと地面を、友人の肩のように親しげに叩く。


 望月 美羽:

「地面がね、好き。 ここには命がいっぱいあるから 」


 ──命?


 望月 美羽:

「虫も動物も、お花も草も木も、地面で生きてるでしょう? なんかそれってすごくない? 」


 大谷 圭介:

「は、はぁ……」


 考えてもいなかった回答に、思わず目を瞬《しばたた》かせる。

 しかしそんな俺を気にせず、望月は言葉を続けた。


 望月 美羽:

「私ってさ、みんなより背が低いじゃん?」


 大谷 圭介:

「ん? あぁ……」


 望月は俺より、30センチも低い。

 定規1本分下の彼女の視界を、ぼんやりと考えた。


 望月 美羽:

「小さい頃から、よくバカにされててさ。 チビチビ~って 」


 大谷 圭介:

「…………」


 笑ってはいるけど、それはちょっと無理したものだってわかった。

 背が低いことでいじられるのは、誰だって嬉しくはないだろう。

 視線を地面に移した望月は少し、声のトーンを落とす。


 望月 美羽:

「だから昔は、チビな自分が大っ嫌いだった」


 望月 美羽:

「別に小さいのなんて、私のせいじゃないのにー! って 」


 望月 美羽:

「……でもね」


 そこで望月はまた、顔を上げた。


 望月 美羽:

「気づいたの! 私は背が小さい分、大好きな地面に近いんだなって 」


 大谷 圭介:

「!」


 望月 美羽:

「そう考えたら、小さくてもいいやって思えた。だってそのおかげで、大好きな地面のちょっとした変化にも気づけるから 」


 雨上がりの反射光に輝く水たまり

 小さな虫たちの息遣い

 草木の薫り

 葉擦れの音

 名もなき花の息吹と、

 日々変えていく姿

 そういったものに、私は近い───


 そんなふうに、望月の瞳は語っていた。


 初めて見せた彼女のその表情は、何だかとても眩しい。

 こんなに表情を輝かせることができる存在が、彼女は見つけられている。

 そんなことに、ほんの少しの羨望を感じて。


 大谷 圭介:

「……なんか、うらやましいな」


 気持ちは、そのまま言葉に出てしまった。

 望月は、その言葉に目をパチパチさせて。

 えへへ、と笑った。


 望月 美羽:

「えへへー、そう?」


 望月は付いている土も気にせずに、軍手のまま頭をかく。

 顔を少しだけ赤らませた彼女は「でも」と言葉を続けた。


 望月 美羽:

「私、大谷くんもうらやましいよ!」


 大谷 圭介:

「え?」


 なんで?

 と聞く前に。

 望月は高々しく、人差し指を上へ向けた。


 望月 美羽:

「大谷くんは、空に近いじゃない! 」


 その指の先には、眩しいくらいの青。

 梅雨を感じさせない眩しい青空が、俺たちの頭上にあった。


 望月 美羽:

「30センチも、私より空に近いんだよ」


 望月 美羽:

「いいね、うらやましい」


 望月の指差すままに見上げた空は、とても高い。


 その空には、雲があって。

 季節の香りを含む風が吹いて。

 太陽が照らしている。


 大谷 圭介:

(そっか)


 大谷 圭介:

(……俺、空に近いのか)


 爽やかな風が「そうだよ」と、答えるかのように優しく流れている。


 サッカーをしている時。

 いつでも空は、頭上にあって。

 サッカーをしている時。

 いつでも俺は、空の下だった。


 そんな当たり前のことに気づいて俺は、空を見上げた。




 ◇ 続く ◇

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