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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第一章 ご乗車ください《1年生編》
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Ep.10 孵化、いつか(5)「成長」

 店員さんに促されるまま、入った試着室。

 そこは、2つのカーテンで仕切られていた。

 私が一人入るスペースと、店員さんが待ってくれるスペース。

 完全に隔離された個室で、上着だけ脱いだ。


 Asakura:

「今着けている下着は、そのままで大丈夫ですよ」


 望月 美羽:

「はい」


 よかった、全部脱がなくていいんだ。


 ホッとして上半身ブラだけの姿になったけど、貧相な胸元とダサい下着を見て恥ずかしくなる。

 こんなのを、あのお姉さんに見られるなんて、嫌だなぁ……。


 カーテンの向こうで待つ店員さんに、準備できたことを伝えると「失礼します」と、カーテンを静かに引かれる。

 メジャーを持った店員さんが、にこりと微笑んでいた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 孵化、いつか

(5)「成長」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 Asakura:

「じゃあ、手をどけてもらってもいいかしら」


 望月 美羽:

「は、はい」


 まだ恥ずかしくて隠していたけれど、思いきって手を下にさげる。

 綿100パーセントのこの下着。恥ずかしくっていたたまれない。

 このお姉さんは、きっとこれまでに、たくさんの女の人たちの胸を見てきたはず。

 そんな中でこんな私の胸……きっと、ちんちくりんに違いない。


 望月 美羽:

「………」


 望月 美羽:

「……へ、変じゃないですか?」


 Asakura:

「え?」


 かがんでメジャーを見ていた店員さんが、私の顔を見上げた。

 恥ずかしくて目も合わせられず、でも溢れ出る不安が、私に言葉を続けさせた。


 望月 美羽:

「こんなに小さいのにブラとか……変じゃないですか?」


 着ける意味なんてないんじゃない? なんて皮肉にも考えてしまう。

 もしかしたら店員さんも、お仕事だから仕方なく相手をしてくれているだけで、必要ないって思われているんじゃ。


 そんな私の卑屈な考えは。


 Asakura:

「──とんでもない!」


 店員さんの力強い言葉に、一蹴された。


 Asakura:

「ブラジャーはね、大きくなったら着けるんじゃないのよ。大切な胸を、守ったり育てたりするために着けるの」


 望月 美羽:

「……育てる?」


 守る、というのはわかるけど、育てるってどういうことだろう?


 首を傾げた私に、店員さんは安心させるように笑ってくれた。


 Asakura:

「きっと、成長過程のあなたたちの年代って、自分の体が変じゃないかとか、他の子より遅れているんじゃないかって、気になると思うの」


 まさしく図星で、小さく頷く。

 店員さんはそんな私の反応を見て微笑んで、言葉を続けてくれた。


 Asakura:

「でもね、気にすることはないの。あなたたちは、それぞれの卵なんだから」


 望月 美羽:

「……卵?」


 Asakura:

「大人の卵よ。今は孵化するために、大切に温めているの。それぞれの体温で、それぞれの時間で」


 まるで歌のように、語る店員さん。

 とても、優しい目をしていた。


 Asakura:

「人と比べることじゃないの。あなたの体は、あなただけのものだから」


 望月 美羽:

(私の体は、私だけのもの……)


 下を見下ろすと、谷間もないへんちくりんな胸元が見えた。

 腰つきもお尻だって、まだ全然幼稚体型な私。


 でも。

 この体は、私だけのもの。

 私が今後ずっと付き合っていく、私の体。


 そう思うと、なんだかぎゅっと胸が痛くて。切なくて。

 私は胸を、かき抱いた。


 望月 美羽:

「………」


 望月 美羽:

「私……今の自分の体が、すごく嫌」


 Asakura:

「……」


 望月 美羽:

「全然成長してないし、他の子に比べて、子どもっぽいし……」


 体育の着替えの時間、まわりのみんながとても大人びて見えた。

 音楽の時間、男の子の低い歌声が響いてきてなんだか怖かった。


 どうしてみんな、成長しているの?

 どうして私は、成長していないの?


 望月 美羽:

「……でも」


 けれど、私はずっと思っていたんだ。


 望月 美羽:

「好きになりたいんです、自分の体」


 Asakura:

「………」


 どうして、店員さんにこんなことを言ってしまっているんだろう。

 でも、ずっとくすぶっていた感情だった。

 一人では消化できない悩みだった。

 それをこの人なら、受け止めてくれる気がしたんだ。


 きっと、私の人を見る目は当たっていた。

 店員のお姉さんは、優しく笑って言ってくれる。


 Asakura:

「なれるわ。貴女なら」


 理由も確証も述べずに、言われたのに。

 たったそれだけの言葉が、私の不安をさらってくれた。

 お姉さんの優しい目を見て私はなんだか、泣きたいのか笑いたいのかわからずに、ただ下を俯く。


 その先に見えた自分の体が、さっきよりもちょっと、愛おしく思えた。



 ・   ・   ・



 その後、お姉ちゃんに約束通り、下着セットを1つプレゼントとして買ってもらった。


 とっても悩んだけれど、結局、最初に試着したものを選んだ。

 ライトピンクの、薄くチェック柄の入ったとても可愛らしいもの。


 帰ってから私はすぐに袋から取り出して、何度も鏡の前で体にあてがっては、ドキドキしていた。


 望月 美羽:

(明日、さっそく着けてみようかな)


 ウキウキワクワクが止まらない。

 でも頭の片隅に、ずっと残っていたものがある。

 大谷くんのことだ。


 望月 美羽:

(……ちゃんと、謝らなきゃ)


 八つ当たりしてしまったこと、明日登校したら、すぐに謝ろう。

 決意して、その夜は眠った。


 ベッドのすぐ横には、明日つけていく予定のあの下着を置いてる。

 そのおかげかドキドキと、久しぶりに素敵な気持ちで、眠りにつけたんだ。




 ◇ 続く ◇

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