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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第一章 ご乗車ください《1年生編》
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Ep.8 ボーイ・アンド・ガール (5・終)「少年は痛みを知る」

 初めて入った、生徒指導室。

 僕は森くんと金田くんと並んで、担任の福原先生と指導担当の坂本先生に、こっぴどく叱られた。


 僕たちの顔は、傷だらけの絆創膏だらけ。

 口の中にじんわり広がる血の味が、まずくてたまらなかった。

 ケイちゃんたちが状況を説明してくれたおかげで、僕に非は少ないことは明らかになったけれど。


 坂本先生:

「まさか、小池が殴り合いの喧嘩をするとはなぁ……」


 サッカー部顧問でもある坂本先生は、どこか感慨深げにそう言った。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 ボーイ・アンド・ガール

(5)「少年は痛みを知る」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 生徒指導室から出ると、真っ先に出迎えてくれたのは、やっぱりケイちゃんと悠くんだった。


 大谷 圭介:

「隼人!」


 中曽根 悠:

「大丈夫だったか?」


 一緒に出てきた森くんと金田くんは、バツが悪そうにすぐに立ち去る。

 僕はそれを見届けてから、ケイちゃんたちに向き合った。


 小池 隼人:

「うん。ただ親には連絡するって。やんなるなあ」


 そう言って笑おうとしたら、口の端がピリッと痛くてできなかった。

 血の味なんて、歯が抜けたとき以来かも。


 大谷 圭介:

「隼人の母ちゃん、卒倒しそうだな」


 大谷 圭介:

「……にしても」


 ケイちゃんがニッと笑った。


 大谷 圭介:

「やるじゃん隼人! 俺は感動したぜ!」


 中曽根 悠:

「小池がキレたとこなんて、初めて見たな」


 2人はやや興奮しながら、僕を挟んで近づく。

 でも僕は、その言葉を素直には受け取れない。


 だって僕が怒ったのは、松宮さんがあいつらの言葉に傷ついて泣きそうな顔をしたからだ。

 それなのに。


 小池 隼人:

(松宮さん……泣いてた)


 僕が殴られるのを見て、松宮さんは泣いてしまったんだ。

 泣かせたくなくて怒ったのに、結局僕の行動で涙を流させてしまった。

 その事実が、ずしんと心にのしかかっている。


 小池 隼人:

「……松宮さんは?」


 2人に尋ねた。


 中曽根 悠:

「保健室にいるよ。落ち着くまで、飯田たちが付き添ってるって」


 悠くんが答えてくれたのを聞いて、胸がぎゅっと痛くなった。

 止めに入った先生に連れて行かれるとき、涙を必死に拭っていた松宮さん。

 そんな彼女の姿が、頭から離れなかった。


 松宮さんはまだ、泣いているのだろうか。

 今はもう、五限目が始まろうとしている時間。

 この騒動のせいでお昼抜きとなった僕は、ようやくお腹が減っていることに気がついた。

 どんな時でも、人間はお腹が減るらしい。



 ・   ・   ・



 その日は遅れて、五限に参加した。

 何もなかったかのように、授業を受ける。

 ただ、今回の喧嘩はクラスの大半に知れ渡っていて、好奇の視線が僕に突き刺さっていた。

 隣の松宮さんは、あまり僕と目を合わせないようにする。

 それでもたまに、絆創膏だらけの僕の顔を覗き見ていることはわかった。


 優しい松宮さん。

 自分を責めていないだろうか。

 それだけが、僕は心配だった。



 ・   ・   ・



 放課後、今日の部活が参加禁止となった僕は、1人で玄関に赴き、靴を履き替えていた。


 小池 隼人:

(あーあ、憂鬱だ……)


 とうに母さんには、連絡がいっている。

 帰ってから、過保護気味な母さんの小言を聞かなきゃいけないことが安易に想像できて、ため息をついた。


 乱雑に靴を床に放って履く。

 門を出て、わざとのろのろ歩きながら下を向く。

 そんな背中に、遠くから声が投げかけられた。


 松宮 茜:

「──小池くん!」


 聞き間違えるはずがない。

 松宮さんの声に、僕は振り返った。


 小池 隼人:

「松宮さん」


 松宮 茜:

「……!」


 松宮さんは、僕の顔を正面から見つめると、グッと唇を噛み締めた。

 絆創膏だらけの情けない姿。

 できれば松宮さんには、あまり見られたくなかったな。


 松宮 茜:

「……ごめんね、小池くん」


 案の定、松宮さんから出たのは謝罪の言葉だった。

 僕の胸はぎゅっとなる。


 小池 隼人:

「松宮さんは、悪くないよ!」


 小池 隼人:

「むしろ、僕の方こそ、ごめん……。怖い思いをさせちゃって」


 女の子の前で、殴り合いの喧嘩をするなんて最低だ。

 そのうえ、泣かせてしまった。

 でも、松宮さんはふるふるとかぶりを振る。必死そうな声を出して、僕に伝えた。


 松宮 茜:

「違う! 違うよ! 私……」


 松宮 茜:

「私、嬉しかったんだよ」


 小池 隼人:

「え……?」


──嬉しい?


 思いがけない言葉に、僕はきょとんと松宮さんを見つめた。

 松宮さんは、泣き笑いみたいな表情を見せて言葉を続ける。


 松宮 茜:

「小池くんが、私のために怒ってくれて……嬉しかった」


 松宮 茜:

「喧嘩はちょっと……やっぱ怖かったけど」


 松宮 茜:

「でも、嬉しかったのは本当。……本当だよ」


 そう言って松宮さんは、くまを受け取ったときのように優しく笑う。

 そんな表情を見て、僕の心の重みが、すっと消えていくのがわかった。


 小池 隼人:

「そっか……」


 小池 隼人:

「それならよかった」


 そう答えた僕の声が、変に裏返った。

 ちょっと恥ずかしくて、ううん、と小さく咳をする。


 小池 隼人:

「ご、ごめん。何か最近、喉の調子おかしくて」


 松宮 茜:

「………」


 松宮 茜:

「私、兄貴がいるからわかるよ」


 小池 隼人:

「え?」


 松宮さんは目を逸らして、言った。


 松宮 茜:

「小池くん、やっぱり男の子なんだね」


 そうして松宮さんは僕に背を向け、走り出す。


 小池 隼人:

「え? 松宮さ──」


 松宮 茜:

「バイバイ! また明日!」


 一瞬怒ったのかと思ったけど、松宮さんは半分体をこちらに向けて、手を振り笑っていた。

 その表情は、さっきの泣き笑いにも似ているようだったし、また違うもののようにも見える。

 走り去る松宮さんの背中は、あっという間に小さくなっていく。


 小池 隼人:

(……松宮さん……)


 小池 隼人:

「………」


 小池 隼人:

「……あー……あー…… 」


 ひとり小さく、声を漏らしてみる。


 声帯を震わせ出ていく声は、今までの僕の声のようでいて、そうじゃない。

 子どもから抜け出そうとする声が、空気とともに吐き出されていく。


 その漏れ出ていく振動に、切れた口の端が、ピリリと痛んだ。




 ◇ 終わり ◇

❀次エピソードへ続く

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