Ep.8 ボーイ・アンド・ガール (1)「少年は思い悩む」
朝。
洗面台で顔を洗っていると、ふと視線が変わっているような気がして、僕は顔を拭きながら周りを見た。
小池 隼人:
(あれ? この棚、こんなに見えたっけ)
洗面台横にある、タオルや小物が収納されている棚。これはこんな位置だったっけ。
まぁいいか、と寝ぼけまなこの僕は、歯みがきを開始する。
小池 隼人:
「……んんっ」
あれ、なんかちょっと喉が絡む。
少し痛い……のかな。
やだな、風邪とかじゃないといいんだけど。
母さんには言わないでおこう。
心配性だからやれのど飴だ、やれお薬だとうるさそうだもん。
小池隼人、12歳。
中学1年生の二学期の朝は、そんなふうにスタートした。
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
ボーイ・アンド・ガール
(1)「少年は思い悩む」
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
二学期が始まって、1週間が経った。
夏休みも明けすっかり学校生活の日常が取り戻された、教室での朝。
僕はあることに気がついて、クラスメイトの女の子に声をかけた。
小池 隼人:
「松宮さん、くまさんのボタンが取れてるよ」
松宮 茜:
「え?」
隣の席の松宮茜さんは、僕の声で振り返る。
ちょいちょいと、松宮さんのカバンに付いているくまのマスコットを指さした。
チェック柄のくまが、カバンに吊るされこちらに顔を向けている。
しかし、目であるボタンの片方が、だらりと今にも切れそうな糸にぶら下がっていた。
松宮 茜:
「あ、 本当だ! うわー、もう取れそうじゃん」
松宮さんは、くまを掴むと悲しそうに言った。
ボーイッシュな雰囲気のある松宮さんが、大事そうにくまを手に持っているのが、ちょっと可愛く見える。
僕はそんな彼女に向けて、右手を差し出した。
小池 隼人:
「貸して。僕が直してあげるよ」
松宮 茜:
「え、できるの?」
小池 隼人:
「うん」
僕は松宮さんからくまを受け取ると、自分のカバンから裁縫道具を取り出した。
針に糸を通し、くまから外したボタンをあらためて縫い付けていく。
松宮 茜:
「うわぁ、上手だなぁ」
小池 隼人:
「へへ、そう?」
裁縫は得意だ。
サッカー部でもある僕は、よくズボンを破いたり、靴下に穴があいたりする。
それを直していくうちに得意になって、好きになった。
まぁ、もともと母さんが手芸や編み物が大好きで、それを見て育ったからってのもある。
小さい頃から、裁縫道具とは仲良しだ。
松宮 茜:
「器用だなぁ」
松宮さんが僕の手元をのぞきこんで呟く。
ちょっと照れ臭くて笑っていると、ふと横から声がかかった。
森:
「小池、なに女みてーなことしてんだよ〜」
金田:
「くまさんチクチク、おかまかよ」
近くにいた森くんと金田くんが、からかってきた。
2人とも僕の手元を指さし、笑っている。
小池 隼人:
「………」
僕は、何て言ったらいいのかわからず押し黙った。
昔から小さかった僕は、気が強くないのもあって弱く見られるのか、よくからかいの対象となっていた。
でも、小学校高学年になるにつれて、そういうことも少なくなっていった。……なのに。
中学でも、また同じようなやつはいた。
小学校が違った森くんと金田くんなんて、僕はあんまり知らないのに、2人はよくからかってくる。
正直好きじゃない。
このまま無視がいいんだろう。
そう思った時だった。
松宮 茜:
「えー、でもできないよりは、できた方がいいじゃん」
松宮さんがあっけらかんと、2人に言い放った。
松宮 茜:
「私はできないから、小池くん、普通にすごいと思うけどなぁ」
松宮 茜:
「男女関係ないよ」
松宮 茜:
「ねっ」
そう言って松宮さんは、僕へにかっと微笑んだ。
歯磨き粉のコマーシャルみたいに真っ白な歯を見せて笑う彼女は、いたずらっ子みたいだ。
それを見て、僕はやけにくすぐったく感じた。
でも森くんと金田くんは何も感じないのか、さらに囃し立ててくる。
森:
「何だよ、お前らデキてんなー!」
金田:
「おかまとおとこ女で、お似合いじゃん」
小池 隼人:
「……!」
あまりに酷い言葉に僕は立ち上がろうと机に手をかけた──その時。
中曽根 悠:
「お前ら、また小池いじめてるのかよ」
友人である悠くんが、森くんを背後から羽交い締めにした。
森:
「げっ、中曽根」
そこに幼馴染のケイちゃんもやってくる。どうやら2人とも、登校してきたところのようだ。
大谷 圭介:
「こらこらー、隼人いじめていいのは俺だけだっつってんだろー」
背の高いケイちゃんは、森くんと金田くんを見下ろし犬でも追い払うかのように、しっしっと手を振る。
金田:
「ちっ、行こうぜ」
金田くんが森くんを誘導して、2人は僕らの席から離れた。
あの2人、ケイちゃんと悠くんにはてんで弱いんだ。
小池 隼人:
「……ありがと、2人とも」
結局庇われたかたちになって、情けないなぁ、なんて思いつつもお礼を伝える。
大谷 圭介:
「いーんだよ、隼人は俺の嫁だからな!」
お調子者のケイちゃんは親父くさく、がっはっは、と笑う。
小池 隼人:
「……ケイちゃん、後ろ」
大谷 圭介:
「は?」
僕は呆れた様子で、ケイちゃんの背後を示してあげた。
望月 美羽:
「………」
大谷 圭介:
「も、望月!?」
そこにはケイちゃんの想い人、望月さんがいた。
まだ授業開始前の朝の時間。遊びにきていた彼女に気づかず、僕を嫁宣言。
慌てふためくケイちゃんの恋心なんて、周囲にはバレバレだ。
望月 美羽:
「大谷くん、私……偏見とかないから!」
大谷 圭介:
「なっ!? ご、誤解だ誤解ー!」
あーあ、知ーらないっと。
小池 隼人:
(……それにしても)
小池 隼人:
(僕って、そんなに男らしくないのかな)
昔のような弱虫は、もう卒業できたと思っていた。
でも中学に上がると、周りの友達はもっと大人びて、僕の一歩先を歩いているように見えたんだ。
僕は小さく溜息をついて、止まっていたくまのボタン留めを再開し縫い終える。
小池 隼人:
「はい、松宮さん」
松宮 茜:
「ありがとう」
松宮さんは受け取ると、また笑ってくれた。
あの2人は、松宮さんをおとこ女だ、なんて言ったけれど。
くまさんを持って笑う松宮さんは、やっぱり女の子だな、と僕は当たり前のことを再認識した。
◇ 続く ◇




