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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第一章 ご乗車ください《1年生編》
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Ep.6 君はカムパネルラ(5・終)「銀河鉄道に乗って」

 夏の夕暮れが、始まる。

 赤から青の世界へ変わる、時の隙間。

 私は石階段の上からこちらに向き合う彼に、静かに問いかけた。


 羽鳥 梢:

「あなたは……私のお兄ちゃん?」


 羽鳥 梢:

「……梢平《しょうへい》お兄ちゃんなの?」


 暮れゆく西日を背にしている彼の表情は、見えづらい。

 でもうっすらと見える薄闇の中、彼の口元が緩んだ気がした。

 彼の声が、階段の上から落ちてくる。


 梢平:

「……うん」


 梢平:

「そうだよ」


 そして彼は柔らかく、口元に弧を描いて笑った。


 梢平:

「よくわかったね。さすが梢ちゃんだ」


 その声はどこか懐かしく、温かいものだった。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 君はカムパネルラ

(5)「銀河鉄道に乗って」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 まるで夢物語だ、と。

 現実にはありえないんだ、と。

 何度もそう考え、打ち消した。


 私が生まれる前に亡くなった、お母さんのお腹の中で死んでしまった私のお兄ちゃん。

 ショウヘイ君が、その人だなんて。

 私に会いに来てくれただなんて。

 そんなの妄想だ、都合のいい解釈だと思っていたのに。

 それなのに彼は、あっさりと笑って、認めてくれた。


 梢平:

「いつも、君たち家族を見守っていたんだ」


 梢平:

「妹である梢ちゃんも芽衣ちゃんも、ずっと見ていた」


 彼はゆっくりと、石階段を下りる。


 梢平:

「──あの日」


 梢平:

「車に轢かれそうになった梢ちゃんを、助けられてよかった。嬉しかった」


 私と段差一段を空けて、足を止める。


 梢平:

「また会いたくて、図書カードを持ってっちゃった。ごめんね」


 謝る彼に、私はかぶりを振った。

 私も会えて嬉しかったのだと言いたいのに、胸が詰まって言葉が出ない。


 羽鳥 梢:

「……お兄ちゃん……っ」


 それしか言えず、喉元を抑える。


 何を言えばいいんだろう。

 何を伝えればいいのだろう。

 戸惑う私に彼は、ただただ優しく笑って、出会った時のように頭を撫でてくれた。


 梢平:

「梢ちゃんは、いい子だね」


 梢平:

「僕の自慢の妹だよ」


 羽鳥 梢:

「──っ」


 この声を、私は知っている。



 梢ちゃんすごいねぇ!

 梢ちゃん上手!

 よくできたね、えらいねぇ!



 幼いころ、私はとてもよく褒められて育った。

 でも、その褒め言葉を誰からもらえたのか、よく覚えていないのだ。

 両親は私のことをちゃん付けで呼ばないし、幼稚園の先生のような女性の声でもなかった気がする。

 耳元で、囁くように近かったあの声。

 その声の正体にようやく気がついて、私の目がにじんでくる。


 羽鳥 梢:

(ずっと、見ていてくれたの……?)


 羽鳥 梢:

(ずっと優しい声を、かけてくれていたの……?)


 何か言いたい。

 でも言えない。

 そんな私の頭からそっと手を離して、彼は空を見上げた。


 梢平:

「──僕、銀河鉄道に乗るんだ」


 羽鳥 梢:

「……え?」


 梢平:

「もう、行かなくちゃ」


 羽鳥 梢:

「──!!」


 その言葉の意味を、理解して。

 私は思わず、彼の腕を掴んだ。


 羽鳥 梢:

「いや! 行かないで!」


 せっかく……せっかく会えたのに!

 すぐ近くに、お母さんたちもいるのに!


 でも、彼は静かに顔を横に振って、私の手に手を添える。


 梢平:

「乗らなくちゃいけないんだ」


 梢平:

「それに僕、楽しみなんだよ。あの憧れの銀河鉄道に乗れるんだ」


 羽鳥 梢:

「………っ」


 その言葉と同時に、彼の体が灯火のように明るくなり始める。

 それは、さながら蛍火のように淡く。

 どこか寂しげで、綺麗な光。


 羽鳥 梢:

「嫌……行っちゃやだよ」


 梢平:

「泣かないで、梢ちゃん」


 彼は、私の頭を撫でようとする。

 でもその手はもう私に触れられず、霞のようにすり抜けた。

 それを見て、彼は少し寂しそうに笑い、鼻をこする。


 梢平:

「……今日、姫泣川を見ててね」


 羽鳥 梢:

「……え?」


 梢平:

「僕はそこにいる」


 梢平:

「あと、あそこにも」


 彼はそう言って空を指差し。


 梢平:

「ここにも」


 私の頭を撫でるそぶりをした。


 羽鳥 梢:

「……梢平…お兄ちゃん……っ」


 彼の体は、どんどん薄く透けていく。

 光を得る代償のように、その形を失っていく。


 梢平:

「梢ちゃん」


 梢平:

「さようなら」


 羽鳥 梢:

「───待って…!」


 瞬間。

 突風が、階段下から吹き上がる。


 羽鳥 梢:

「!」


 舞い上がる葉っぱと砂に思わず目をつぶり、腕で瞳をかばう。


 その遠吠えのような突風の音の中、私には聞こえた。


 優しい声が。




 さようなら




 それはきっと、今までで1番優しくて、悲しい言葉。

 目を開ければ、そこにはもう誰もいなかった。



 ・   ・   ・




 河川敷に戻り、両親と芽衣と合流をした。

 すっかり暗くなったその景色の中で、灯された灯篭だけが、ただただ綺麗だった。


 お母さん:

「遅かったわね、梢」


 羽鳥 梢:

「……ごめん」


 まだ、涙は残っていないだろうか。

 この闇は、うまく私の表情を隠してくれているだろうか。

 そんなことを気にして、お母さんに近づいた。


 お母さん:

「これ、梢の分よ」


 そう言ってお母さんが渡してくれたのは、火が灯された小さな灯篭だった。

 和紙の円筒に包まれたそれは、幻想的な灯りをもってまわりに影を落とす。


 お母さん:

「芽衣は今、お父さんと一緒に流しているわ」


 そう言われて川の方へ目をやれば、芽衣が無邪気に川に灯篭を放しているところだった。

 後ろでお父さんがしゃがみこんで寄り添い、芽衣を優しく見つめている。

 そんなお父さんに、梢平お兄ちゃんの姿がかぶり、胸がまたぎゅっと痛くなる。


 お母さん:

「……灯篭にはね、死者の魂が宿っているの」


 羽鳥 梢:

「……え?」


 お母さんは、自分の灯篭を足元から持ち上げると、私の背中を押した。

 一緒に川へ近づこうと、優しく促している。


 お母さん:

「灯火に死者の魂を乗せて、川に流して天に還る。……まるで、銀河鉄道ね」


 羽鳥 梢:

「……」


 お兄ちゃんは、銀河鉄道に乗ると言っていた。

 そして、姫泣川にいると言った。


 ふと、灯篭を流していく川の下流へと目をやる。

 そこにはただ、光の群衆が散りばめられていた。


 星々のように、流れていく光。

 死者の魂を乗せた灯火が、川を流れていく。


 羽鳥 梢:

(……綺麗……)


 その川には、夜空が映っていて。

 まるで、夜空に灯火が昇っていくようだった。


 私はお母さんと一緒に、灯篭を放った。

 それはゆっくりと進んでいき、ある場所で流れに乗ると、まっすぐに光の群衆へと溶けていく。


 ああ、灯火が、空に還っていく。


 羽鳥 梢:

(……さようなら。梢平お兄ちゃん)


 今まで優しく見守ってくれていた、もう1人の家族。

 優しい存在がたしかにいたのだと、私は天を仰ぎ見た。


 そうして、しばらく灯籠流しを見ていた私たちは、川を離れることにした。


 お父さん:

「さて、では出店の方にでも行きますか」


 羽鳥 梢:

「うん!」


 少しだけ元気を取り戻した私は、お父さんに大きな返事をした。


 お母さん:

「芽衣、行くわよー」


 少し離れた場所で、お母さんはさらに離れている芽衣を呼んでいる。

 芽衣はまだ灯篭を眺めて、川辺にしゃがみこんでいた。


 お母さん:

「芽衣ー?」


 芽衣:

「うん、今行くー!」


 芽衣はようやくこちらに振り返り、立ち上がって走り始める。

 小走りに私たちに近づき、しかし途中で振り返り手を振った。


 芽衣:

「バイバーイ!」


 お父さん:

「? 誰に手を振っているんだ?」


 私の隣で、お父さんが呟く。

 でも私には、芽衣が誰に手を振っているのか、何となくわかったんだ。


 ねえ芽衣。

 あなたもきっと、優しいあの声を聞いていたんでしょう?


 羽鳥 梢:

「さあ? 知り合いでもいたのかな」


 芽衣とお母さんが手をつなぎ、こちらへ来る。

 私は久しぶりに、お父さんの腕に手を絡めて甘えん坊になった。

 4人揃って歩き始めた私たちの頭上では、星々が遠くで静かに煌めいている。


 ねえ梢平お兄ちゃん。

 私には見えるよ。

 銀河鉄道に乗って、窓からこちらを見下ろして微笑む、お兄ちゃんの表情が。

 君は、カムパネルラのように優しい人だったね。


 いつかこの物語を、両親に話してあげたい。

 私とお兄ちゃんの、銀河鉄道のお話を。




 ◇ 終わり ◇

❀次エピソードへ続く

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