Ep.55 姫泣川、流るる先に (4)「梢の涙・後編」
堂本 信広:
「無理して笑うのやめれば。見てて痛々しいんだよ」
堂本 信広:
「落ち込むのは当たり前なのに、なんで我慢してんの、お前」
そんなことを言ってくれた堂本くん。
彼の言葉がやけに胸を締め付けるのは、なぜなのか。
そんなの、私だって気づいていたからだ。
気づいていたのに、知らないフリをした。
本当は。
本当は笑ってなんか──いたくなかったんだ。
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姫泣川、流るる先に
(4)「梢の涙・後編」
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廊下の片隅。
チャイムはすでに鳴り終わって、他の生徒たちも教室へと帰っているのに。
私と堂本くんは向き合ったまま、立ちすくんでいた。
ううん。
立ちすくんでいるのは私だけ。
堂本くんはただまっすぐに、こちらを見ていた。
羽鳥 梢:
「……」
……痛々しい、だって。
……我慢してる、だって。
ずけずけと、相変わらず堂本くんの言葉って容赦ない。
オブラートにも包んでくれずにストレートに言う。
でも。
たしかに。
羽鳥 梢:
「……っ」
──そう、なのかもしれない。
羽鳥 梢:
「……っう……」
堂本 信広:
「!」
羽鳥 梢:
「……うっ……えっ……」
堂本 信広:
「お、おい……!」
突然泣き出した私に、堂本くんが慌て始める。
辺りには、もう他の生徒はいなかったけれど、いつ誰かに見られるかわからない廊下で泣き出した私に困惑しているんだ。
でも、堂本くんにだって責任はある。
私は堂本くんに気づかされたせいで、今こんなふうになっているのだから──。
羽鳥 梢:
「お……落ちたの悔しい~!」
羽鳥 梢:
「もー、堂本くんのバカァッ」
堂本 信広:
「バカはお前だ! こっち来い!」
慌てた堂本くんに腕を引っ張られて、私たちは1階廊下のすみっこ、階段下に移動する。
非常口前。
デッドスペースのそこは、陰になっていて薄暗い。
そこで私はまだ、ポロポロと泣いている。
拭きたいのに、ハンカチは教室に忘れていた。
ああもう、最悪だ!
堂本 信広:
「何で泣くんだよ、お前……」
羽鳥 梢:
「ど、堂本くんのせいでしょー!」
泣きながら怒るという、器用なことをしてしまう。
手で必死に拭うけれど、ただ肌の濡れる面積が広がるだけだった。
羽鳥 梢:
「わ、私どうせバカだもん……っ。中曽根にあっという間に追い越されて、落ちちゃったんだからっ……」
しゃくりを上げながら、情けない言葉が口からついて出る。
そう言ってるうちに、何だかムカムカと腹が立ってきた。
何に?
それは。
そう。
──あいつと、自分自身に。
羽鳥 梢:
「あーもう! 中曽根ムカつくっ!!」
堂本 信広:
「!?」
羽鳥 梢:
「るり一人占めするだけじゃなくて、徳瑛にまで受かっちゃうとかさぁ! 何あいつ、本当信じらんないっ!」
目の前にいる堂本くんに、黒い気持ちを全部吐き出した。
それは長年仕舞い込んでいた、中曽根に対する幼いやっかみだ。
羽鳥 梢:
「昔はるりいじめてたくせにさ、小学校の途中から急に態度変えて、バレバレなのよっ」
羽鳥 梢:
「そんでるりも好きになって付き合っちゃうとかさ、何それ、るりも友情より愛情なわけ!?」
堂本 信広:
「……プッ……くくっ……」
私の幼稚な愚痴に、堂本くんが耐えられなさそうに吹き出した。
でも私は構わず続ける。
羽鳥 梢:
「るりと1番仲良かったの私なのにっ。もともと幼稚園でいじめる中曽根から、るりを守ってたの、私なんだよ!?」
堂本 信広:
「はいはい。泣くか怒るか、どっちかにしろよ」
そう言って堂本くんは、自分の制服の右手袖口で私の目元を拭った。
ぐいぐい擦るから、ちょっと痛い。
学ランの腕ボタンが当たらないように、まるで小さな子どもにするみたいに、私の涙を拭く。
支えるようにほっぺに添えられた彼の左手は、ふんわり優しい。
羽鳥 梢:
「ちょ……汚れるよ」
堂本 信広:
「あ? こないだクリーニング出したから、汚くねぇよ」
いや、私の顔じゃなくて、そっちの制服が!
そうされると、とたんに冷静さが取り戻されて、私の呼吸も落ち着いてきた。
中曽根、ごめん。
私べつに、あんたが嫌いなわけじゃないんだよ。
羽鳥 梢:
「……私、いつでも笑ってたいの」
堂本 信広:
「?」
羽鳥 梢:
「昔、るりが言ってくれたの。私の笑顔を見ると元気になれるって。自分も楽しくなるって」
羽鳥 梢:
「だから……私……」
堂本 信広:
「…………」
堂本くんの両手に顔を包まれたまま、つぶやいた。
添えられただけのそれは、じんわり温かい。
もう涙は拭かれたおかげか止まっていたけれど、滲んだ視界では、近くの堂本くんの顔も少しだけぼやける。
だから、彼がどんな顔をしているのか、ちょっとわかりづらかった。
堂本 信広:
「……ならさ」
堂本 信広:
「怒ったり泣いたりは、俺の前ですれば」
羽鳥 梢:
「……え?」
堂本 信広:
「お前が怒ってるとこ見るの、楽しいし」
羽鳥 梢:
「……何それ」
人が怒るところを見て楽しいなんて、堂本くんって変なの。
そういえば2年生の時、橋の上で八つ当たりしたときも、楽しそうにしていたな。
ちょっと困った顔をした私を見て、堂本くんは両手を離した。
とたんに廊下の冷たい外気にさらされて、ほっぺが寒く感じてしまう。
堂本くんは言う。
堂本 信広:
「で、どーすんの」
羽鳥 梢:
「へ?」
堂本 信広:
「戻る? サボる?」
あ……と口を開けてしまう。
そうだ、もう授業は始まってるんだ。
耳を澄ませば、少し離れたところから先生の講義をしている声が聞こえている。
初めて、授業に遅れてしまった。
羽鳥 梢:
「ど、どうしよう」
堂本 信広:
「お前に任せるけど」
ニヤリと堂本くんは笑う。
今までにも何度か見たことのある、少し悪い顔。
でも、どうしてかな。
今はそれを見て、ちょっと笑いたくなる自分がいた。
羽鳥 梢:
「…………」
羽鳥 梢:
「まいっか! もう内申点気にしなくていいし!」
堂本 信広:
「そうこなくっちゃな」
笑い合った私たちは、中学校生活最後の反抗みたいに、サボタージュを選択する。
見つからないように階段を上がり、1番上の踊り場で腰をおろす。
閉じられている屋上の扉から差し込む昼間の光が、私たちの背中にも届いていた。
私と堂本くんはそこで、くだらない話をたくさんした。
羽鳥 梢:
「堂本くんの好きな食べ物はー?」
堂本 信広:
「ん? ……スープ……?」
羽鳥 梢:
「何それ、ざっくり!」
堂本 信広:
「バカお前、スープは奥が深ぇんだぞ。具と調味料で、どんだけでもバリエーションあんだから」
羽鳥 梢:
「え、堂本くんって料理したりするの?」
堂本 信広:
「当たり前だろ。片親なめんな」
羽鳥 梢:
「すごーい! 今度私に何か作ってよ!」
堂本 信広:
「何でだよ。金取るぞ」
羽鳥 梢:
「えー、ケチィー」
……なんて、身にもならない話ばかりを、チャイムが鳴るまでし続けた。
その間、私は何回笑ったのだろう。
堂本くんも、何回笑ったのだろう。
わからないけれど、ただ、この時間が楽しかった。
卒業まで、残りあと1週間。
そんな昼下がりの午後だった。
◇ 続く ◇




