Ep.53 ぼくは勉強ができない(5・終)「グッド・ボーイ」
羽鳥からもらったノートと参考書を、カバンに詰め込んだ。
ったく、重いじゃねぇか。
そう思う心は、重くなかった。
家に帰り、玄関扉を開ける。
するとそこに、母さんの通勤用のパンプスを見つけて小さく驚いた。
堂本 信広:
(もう帰ってきてるのか……?)
いつも遅く帰ってくる母さんが、先に帰宅している。
俺は靴を脱いで、そのままリビングへと入った。
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ぼくは勉強ができない
(5)「グッド・ボーイ」
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母さんはキッチンに立っていた。
部屋着に着替えて、水道水をコップに注いでいる。
母さん:
「……おかえり」
そう言った母さんの声は、掠れていた。顔も少しぼぉっとしている。
堂本 信広:
「風邪?」
母さん:
「……みたい。早退してきたの。ちょっと寝てるわね」
母さんは水をゴクゴクと飲み、ふぅと小さく息を吐くと、こちらへ来てリビングから出て行こうとする。
俺の近くを通る母さん。
その体はいつからか、俺にとって小さく見えていた。
堂本 信広:
「……大丈夫か?」
母さん:
「うん。ご飯作れなくて、ごめんね」
堂本 信広:
「そんなんいいって」
すると母さんは少しだけ微笑んで、リビングから出ていった。
それを見送って、俺はキッチンへと近づく。
冷蔵庫を開けて、卵や野菜があることを確認しうなずく。
仕方ねぇ、と小さくつぶやいた。
・ ・ ・
コンコン、と母さんの部屋をノックした。
返事も待たずに中に入ると、ベッドの中で寝込む母さんが、のっそりと顔を上げてこちらを見る。
母さん:
「ノブ……?」
堂本 信広:
「飯作ってきた。食える?」
片手に小さなトレイを持って、母さんのそばに寄った。
ベッドサイドの棚の上に置いたそれには、小鍋に作られた粥が乗っている。
ネギと鮭をたっぷり入れた卵粥だ。
少し入れたショウガが、体を温めてくれるだろう。
母さん:
「ありがとう」
母さんは嬉しそうに笑って、上半身を起こした。
俺はフタを開けて、一緒に持ってきたお椀にそれをつぐ。
堂本 信広:
「ん」
ずいっとそれを渡すと、母さんは。
母さん:
「……ふふ、まさかの至れり尽くせり」
掠れた声で、小さくつぶやいた。
お椀とスプーンを受け取って、俺を見上げる。
母さん:
「料理上手くなったね、ノブ」
堂本 信広:
「まぁな」
少しだけ笑った俺に、母さんは目を瞬く。
お粥はまだ熱いのか手をつけずに、そっと小さく言った。
母さん:
「……志望校を変えたのは、克弘から聞いたから?」
堂本 信広:
「!」
驚いて母さんを見た。
ただうなずくしかない俺に、母さんは「やっぱり」と苦笑する。
母さん:
「ごめんね。内緒にしてたわけじゃないの」
母さん:
「ノブには、ノブが選んだところへ行ってほしかったから」
母さん:
「……だから」
堂本 信広:
「……」
母さん。
小さい頃から、ずっと一緒に住んでた母さん。
父さんとケンカになると、あんたはたびたび暴力を受けていた。
基本ビビりな父さんは、大きな暴力はしない。
ただカッとなったとき、加減のできない拳を衝動的にふるっていた。
ああ──まるで、今の俺みたいじゃないか。
グッと唇を噛みしめた。
堂本 信広:
「……俺、ああなりたくなくて」
噛みしめた唇は、そのまま震えた。
堂本 信広:
「俺、父さんみたいになりたくない……」
堂本 信広:
「……バカな乱暴者で、いたくないんだ……」
母さん:
「……ノブ」
堂本 信広:
「でもまだバカだから……ごめん」
ごめん。
でも、これから勉強頑張るから。
遅いかもしれないけど、頑張るから。
だから。
ごめん。
きっとまだまだ、心配をかける。
母さん:
「……謝らなくていいのよ」
母さんは笑う。そして。
母さん:
「ノブはバカじゃない。いい子よ」
堂本 信広:
「!」
母さん:
「ご飯も作ってくれて。こんな迷惑かけてばかりの母親に優しくしてくれる」
母さん:
「……とってもいい子」
堂本 信広:
「……っ」
ああ。
今日はきっと厄日なんだ。
森に嫌味を言われて。
羽鳥に情けない部分を見せちまって。
母さんに──……涙を見せるなんて。
ちくしょう。
泣きたくなんかないのに。
でももう、止められない。
止まらないんだ。
堂本 信広:
「……っう、……っ」
母さん:
「ノブ、本当に今までごめんね。小さかったあんたに、たくさん嫌なもの見せたよね。ごめんね」
堂本 信広:
「……んなこと……ない!」
母さんはいつだって、父さんの暴力が俺たちに向かないように体を張っていた。
克弘は俺にそれを見せないように前に立って、耳を塞いでくれた。
俺だけだ。
俺だけが何もせずにただ、みんなに文句を言って不満をまき散らしていた。
家族だけじゃ物足りなかったそれを。
クラスメイトや友人たちにも、当たり散らして毒を吐いた。
くたばれよ。
いなくなっちまえ。
バカじゃねーの。
吐いた分だけ、その毒が自分に回るとも知らずに。
ああ──ああ、俺は本当にバカなガキだった。
堂本 信広:
「母さんは……悪くない」
母さん:
「……ふふ」
母さん:
「ほらやっぱり……いい子だ」
母さんは笑う。
まるで、長年背負っていた積荷を下ろしたかのように。
何度もこんな俺を「いい子」だと、小さな子どもに向けるように言う。
その微笑みを受けながら、遠くに聞こえる優しい声。
「堂本くんは大丈夫」
「大丈夫……大丈夫だよ!」
ノー天気女の、バカに明るい声。
それに俺は「ああ、そうだな」と。
聞こえない返事を、心の中でしたんだ。
・ ・ ・
もうすぐ冬休みになる、12月の教室。
2学期末のテスト結果が返ってきた。
福原先生:
「堂本、今回頑張ったな! これなら三者面談で言ってたところも目指せそうだ」
堂本 信広:
「!」
担任の福原が、テストを返すときにそう告げる。
俺は少しだけ緩みそうになる頬をおさえ「ん」と答えたら「そこは『はい』だ!」と叱られた。
結局、志望校を変えた。
志望先は共学の普通科だが、調理科もあるその学校は調理検定が受けられたり、その方面への大学や専門学校の進学率も高いらしい。
まだ、料理を本気でやっていこうなんて考えちゃいないが、行ける道もあるなら増やしてもいい。
そう考えて選んだそこは、いつしか行きたいかなと思える場所になっていた。
福原先生:
「ま、このまま頑張れ。冬休みに気を抜くなよ」
堂本 信広:
「うぃっす」
少し機嫌よく答えてやると、福原がちょっと目を丸くしたので面白かった。
休み時間になると、羽鳥と中曽根が俺の元にくる。
中曽根 悠:
「堂本、褒められてたじゃん!」
羽鳥 梢:
「堂本くん、頑張ってたもんね!」
明るい幼馴染みコンビだ。
まぁ、とうていこいつらの成績には敵わないが、俺は笑って言ってやる。
堂本 信広:
「へっ、当たり前だろ」
羽鳥 梢:
「あ、またそういう笑い方する」
うるせぇ。
唇を尖らせた俺はふと、教室の扉に立つ戸田るりを見つけた。
教室に入りづらそうに、こちらを見ている。
堂本 信広:
「おい、戸田が来てるぞ」
中曽根 悠:
「へ、るり?」
中曽根は振り向き彼女を見ると、風のように去っていった。
羽鳥は、とくに動かず俺の元に残る。
堂本 信広:
「お前は行かねぇの?」
羽鳥 梢:
「あれは中曽根に用事がある顔だから。2人の邪魔しちゃダメでしょ」
堂本 信広:
「へぇ」
昔からの仲になると、表情だけでわかるもんなのかね。
頬杖をつく俺に、羽鳥はさらに話しかけた。
羽鳥 梢:
「私があげた参考書とノート、役に立った?」
堂本 信広:
「ん? まぁ……」
羽鳥 梢:
「それならよかった!」
正直、羽鳥からもらった参考書は、俺にはわからない部分も多かった。
でも、そこかしこに書き込まれた彼女のメモ書きに助けられ、何とか勉強を進められた。
まるで、羽鳥と勉強ができたみたいな。
そんなむず痒さもあったけど。
堂本 信広:
「……助かったよ」
そう言うと、羽鳥の目がクリッと丸くなる。
羽鳥 梢:
「堂本くん、柔らかくなったねぇ」
堂本 信広:
「は?」
羽鳥 梢:
「いい感じじゃん。そっちの方が、私は好きだな!」
堂本 信広:
「……!」
にこにこしてそう言った羽鳥は、教室の扉から戸田たちに呼ばれて返事をする。
羽鳥 梢:
「え、何なにー」
パタパタと駆けていく羽鳥。
こっちの気も知らねぇで、今日もバカに明るい。
俺はそれを見送ることもできずに、机に顔を伏せた。
堂本 信広:
「……」
堂本 信広:
「好きとか言うんじゃねぇよ……」
羽鳥に見せられない表情で、小さくつぶやいた。
◇ 終わり ◇
❀次エピソードへ続く




