Ep.53 ぼくは勉強ができない(4)「ノート」
教室へ戻る。
ほとんどの生徒が帰っていて、もう誰もいないと思っていたのに。
中央の席に座り、そいつがいた。
羽鳥 梢:
「あ、堂本くん。ゴミ捨てだったんだ」
堂本 信広:
「羽鳥……」
羽鳥が日誌を書いていたらしく、席に座ったまま顔をあげた。
そういやこいつ、今日は日直だったか。
俺はまだ、森とのやり取りでドクドクと鳴っている胸元を掴んでいた。
それなのに。
スッと、何かが足元から消え去っていく。
息を吐くことができる。
何だ俺──息を止めていたのか。
教室の後ろへ向かう。
カコンと無機質な音を立ててゴミ箱を置けば、ようやく落ち着きを取り戻して、新たな空気を吸い込んだ。
堂本 信広:
(クソ、森のやつ……)
今度また何か言ったら、次こそぶっ飛ばしてやる。
俺は小さく舌打ちをした。
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ぼくは勉強ができない
(4)「ノート」
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帰ろうとした俺に、なぜだか羽鳥が「一緒に帰ろうよ」と声をかけてきた。
先に行こうとする俺に、羽鳥がついてくる。
参考書のことといい、もしかしたら勉強仲間として認められちまったのか。
堂本 信広:
「何でお前なんかと」
羽鳥 梢:
「まあまあ、そう言わないの」
羽鳥のツラの皮は厚い。
ムッとした俺の表情なんか目に入らないように「日誌だけ持ってくから、下駄箱で待っててね」と職員室へ行っちまった。
堂本 信広:
「……ふん」
森とのことで苛立っていた俺。
羽鳥なんか待たずに、さっさと1人で門へ向かいだした。
・ ・ ・
姫泣川横の道を歩いているときに、追いついた羽鳥の声が、背後から飛んできた。
羽鳥 梢:
「ちょっと堂本くん! 待っててって言ったじゃん!」
息を切らして、俺に追いつく羽鳥。
それを振り返り見て、俺はまた前を向いて背中を丸めて歩く。
堂本 信広:
「俺は、待つなんて言ってねー」
羽鳥 梢:
「もー、可愛くないっ」
俺が可愛い時なんか一度たりともなかっただろうが、と思うが、悪態も返してやらない。
そんな俺の隣に並んだ羽鳥は、チラリと見上げて言った。
羽鳥 梢:
「なんか不機嫌?」
堂本 信広:
「……かもな」
羽鳥 梢:
「何かあったの?」
堂本 信広:
「さぁ」
森とのことが俺を不機嫌にさせていたのは明確だったが、それを羽鳥に教えるつもりはなかった。
羽鳥は慌てたように、何やらカバンをあさり始める。
羽鳥 梢:
「あのさ、これも渡そうと思ったんだ」
はい、と羽鳥はまた、冊子を1つ俺に差し出した。
それは参考書ではなく、ただの大学ノートだった。
堂本 信広:
「何それ」
羽鳥 梢:
「私が、過去のテスト勉強で使ってたまとめノート。これも役に立つかなってさっき思って」
堂本 信広:
「…………」
参考書といいこれといい、羽鳥はどうしてこんなに俺に協力しようとするんだ。
俺に渡してもムダなのに。
俺はだって、バカなのに。
堂本 信広:
「……いらない」
羽鳥 梢:
「あ、大丈夫! けっこうキレイにまとめてるんだよ。塾の先生に教えてもらったまとめ方だから、見やすくして……」
堂本 信広:
「いらないっつってんだろ!!」
羽鳥 梢:
「!」
俺の荒らげた声に、2人の足が止まった。
羽鳥が驚いてこちらを見ている。
でも俺はそっちを見られなくて、ただジッと地面を睨みつけていた。
堂本 信広:
「そんなのどうせムダになるんだよ! 俺バカだからさ!」
羽鳥 梢:
「そんな……」
堂本 信広:
「今からやったって、もう間に合わねーんだよ」
堂本 信広:
「ろくな高校に、行けやしない」
そうだよ、きっと俺も、あいつと同じ高校に行っちまって……。
堂本 信広:
「あいつみたいに俺もどうせ……ろくな大人にならない」
羽鳥 梢:
「……」
羽鳥 梢:
「……堂本くん?」
羽鳥が驚く。
でも俺は、コントロールできない感情に支配されていた。
以前も、こんなふうに羽鳥にイライラをぶつけたことがある。
あれは、去年の夏祭りの時期だ。
小さな神社で、俺は克弘に対する鬱憤を、何も知らない羽鳥にぶつけたんだ。
今だってそうだ。
すくみそうになる正体不明の恐怖から逃れたくて、羽鳥に怒りをぶつけている。
こういうのも──暴力と言うのだろうか。
堂本 信広:
「……っ」
あの嫌な夢が、フラッシュバックする。
怯えていた羽鳥。その前で暴力をふるっていた俺。
まるで……正夢じゃねぇか。
堂本 信広:
「……悪い」
息を吐いて、自分の顔を片手で塞いだ。
どうも今の俺は変だ。
情緒不安定になっている。
羽鳥 梢:
「……」
羽鳥は、何も言わない。
呆れているのか、怖がっているのか。
そのどちらも俺にとってはいたたまれなくて、見たくなかった。
なのに。
羽鳥 梢:
「堂本くん!」
堂本 信広:
「!」
羽鳥が両手で俺の腕を引っ張って、無理やり顔から手をはがしやがった。
俺は驚いて、思わず羽鳥を見てしまう。
瞬間。
あの黒曜石のような強い瞳と、ぶつかった。
羽鳥 梢:
「大丈夫だよ!」
羽鳥 梢:
「堂本くんは堂本くんだよ!」
羽鳥 梢:
「自分で言ってたじゃない、俺は俺だって」
堂本 信広:
「……!」
しっかりとした声を出す羽鳥。
そんな彼女の顔から視線を外せなくて、つい言葉を聞いてしまう。
羽鳥は続ける。
羽鳥 梢:
「誰かの人生と同じなんて、絶対にない」
堂本 信広:
「!」
羽鳥 梢:
「堂本くんは大丈夫だよ」
羽鳥 梢:
「大丈夫……大丈夫だよ!」
言っている本人の声が、少し震えていた。
俺の腕を握る羽鳥の手が、かすかに揺れている。
堂本 信広:
「…………」
「大丈夫」だなんて、無責任な言葉。
昔の俺なら、鼻で笑って甘ちゃんだと苛立っていた。
それなのに。
どうして。
堂本 信広:
「……っ」
なぜ、今、こんなに沁みる。
さっきとは違う気持ちで……息が止まりそうだ。
喉元から何かが、せり上がってきそうで。
俺は小さく、足を動かした。
堂本 信広:
「……お前って、本当にノー天気だよな!」
羽鳥 梢:
「!」
それと同時に、羽鳥が脇に挟んだノートを奪い取る。
そのままそれを、羽鳥の額に軽く当て、彼女に俺が見れないようにした。
堂本 信広:
「これ、もらってやる」
堂本 信広:
「これで勉強すれば、本当に成績よくなるんだろうな」
羽鳥 梢:
「!」
羽鳥 梢:
「うん、絶対!」
ノートの下で、羽鳥がどんな顔をしたのかはわからない。それでも明るい声が、ノート越しに響く。
またしても無責任な言葉を言われたのに、口の端が小さく上がる。
羽鳥。
お前は本当にバカで、俺もバカだ。
でも。
だからこそ。
頑張らなきゃいけない時がある。
堂本 信広:
「…………」
堂本 信広:
「……ありがとな」
羽鳥 梢:
「……うんっ」
ようやく、羽鳥からはがしたノート。
その下から、彼女の明るい笑顔が現れた。
◇ 続く ◇




