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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.53 ぼくは勉強ができない(4)「ノート」

 教室へ戻る。


 ほとんどの生徒が帰っていて、もう誰もいないと思っていたのに。

 中央の席に座り、そいつがいた。


 羽鳥 梢:

「あ、堂本くん。ゴミ捨てだったんだ」


 堂本 信広:

「羽鳥……」


 羽鳥が日誌を書いていたらしく、席に座ったまま顔をあげた。

 そういやこいつ、今日は日直だったか。


 俺はまだ、森とのやり取りでドクドクと鳴っている胸元を掴んでいた。

 それなのに。

 スッと、何かが足元から消え去っていく。

 息を吐くことができる。


 何だ俺──息を止めていたのか。


 教室の後ろへ向かう。

 カコンと無機質な音を立ててゴミ箱を置けば、ようやく落ち着きを取り戻して、新たな空気を吸い込んだ。


 堂本 信広:

(クソ、森のやつ……)


 今度また何か言ったら、次こそぶっ飛ばしてやる。

 俺は小さく舌打ちをした。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 ぼくは勉強ができない

(4)「ノート」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 帰ろうとした俺に、なぜだか羽鳥が「一緒に帰ろうよ」と声をかけてきた。

 先に行こうとする俺に、羽鳥がついてくる。

 参考書のことといい、もしかしたら勉強仲間として認められちまったのか。


 堂本 信広:

「何でお前なんかと」


 羽鳥 梢:

「まあまあ、そう言わないの」


 羽鳥のツラの皮は厚い。

 ムッとした俺の表情なんか目に入らないように「日誌だけ持ってくから、下駄箱で待っててね」と職員室へ行っちまった。


 堂本 信広:

「……ふん」


 森とのことで苛立っていた俺。

 羽鳥なんか待たずに、さっさと1人で門へ向かいだした。



 ・   ・   ・



 姫泣川横の道を歩いているときに、追いついた羽鳥の声が、背後から飛んできた。


 羽鳥 梢:

「ちょっと堂本くん! 待っててって言ったじゃん!」


 息を切らして、俺に追いつく羽鳥。

 それを振り返り見て、俺はまた前を向いて背中を丸めて歩く。


 堂本 信広:

「俺は、待つなんて言ってねー」


 羽鳥 梢:

「もー、可愛くないっ」


 俺が可愛い時なんか一度たりともなかっただろうが、と思うが、悪態も返してやらない。

 そんな俺の隣に並んだ羽鳥は、チラリと見上げて言った。


 羽鳥 梢:

「なんか不機嫌?」


 堂本 信広:

「……かもな」


 羽鳥 梢:

「何かあったの?」


 堂本 信広:

「さぁ」


 森とのことが俺を不機嫌にさせていたのは明確だったが、それを羽鳥に教えるつもりはなかった。

 羽鳥は慌てたように、何やらカバンをあさり始める。


 羽鳥 梢:

「あのさ、これも渡そうと思ったんだ」


 はい、と羽鳥はまた、冊子を1つ俺に差し出した。

 それは参考書ではなく、ただの大学ノートだった。


 堂本 信広:

「何それ」


 羽鳥 梢:

「私が、過去のテスト勉強で使ってたまとめノート。これも役に立つかなってさっき思って」


 堂本 信広:

「…………」


 参考書といいこれといい、羽鳥はどうしてこんなに俺に協力しようとするんだ。


 俺に渡してもムダなのに。

 俺はだって、バカなのに。


 堂本 信広:

「……いらない」


 羽鳥 梢:

「あ、大丈夫! けっこうキレイにまとめてるんだよ。塾の先生に教えてもらったまとめ方だから、見やすくして……」


 堂本 信広:

「いらないっつってんだろ!!」


 羽鳥 梢:

「!」


 俺の荒らげた声に、2人の足が止まった。

 羽鳥が驚いてこちらを見ている。

 でも俺はそっちを見られなくて、ただジッと地面を睨みつけていた。


 堂本 信広:

「そんなのどうせムダになるんだよ! 俺バカだからさ!」


 羽鳥 梢:

「そんな……」


 堂本 信広:

「今からやったって、もう間に合わねーんだよ」


 堂本 信広:

「ろくな高校に、行けやしない」


 そうだよ、きっと俺も、あいつと同じ高校に行っちまって……。


 堂本 信広:

「あいつみたいに俺もどうせ……ろくな大人にならない」


 羽鳥 梢:

「……」


 羽鳥 梢:

「……堂本くん?」


 羽鳥が驚く。

 でも俺は、コントロールできない感情に支配されていた。


 以前も、こんなふうに羽鳥にイライラをぶつけたことがある。

 あれは、去年の夏祭りの時期だ。

 小さな神社で、俺は克弘に対する鬱憤を、何も知らない羽鳥にぶつけたんだ。

 今だってそうだ。

 すくみそうになる正体不明の恐怖から逃れたくて、羽鳥に怒りをぶつけている。


 こういうのも──暴力と言うのだろうか。


 堂本 信広:

「……っ」


 あの嫌な夢が、フラッシュバックする。

 怯えていた羽鳥。その前で暴力をふるっていた俺。

 まるで……正夢じゃねぇか。


 堂本 信広:

「……悪い」


 息を吐いて、自分の顔を片手で塞いだ。

 どうも今の俺は変だ。

 情緒不安定になっている。


 羽鳥 梢:

「……」


 羽鳥は、何も言わない。

 呆れているのか、怖がっているのか。

 そのどちらも俺にとってはいたたまれなくて、見たくなかった。

 なのに。


 羽鳥 梢:

「堂本くん!」


 堂本 信広:

「!」


 羽鳥が両手で俺の腕を引っ張って、無理やり顔から手をはがしやがった。

 俺は驚いて、思わず羽鳥を見てしまう。


 瞬間。

 あの黒曜石のような強い瞳と、ぶつかった。


 羽鳥 梢:

「大丈夫だよ!」


 羽鳥 梢:

「堂本くんは堂本くんだよ!」


 羽鳥 梢:

「自分で言ってたじゃない、俺は俺だって」


 堂本 信広:

「……!」


 しっかりとした声を出す羽鳥。

 そんな彼女の顔から視線を外せなくて、つい言葉を聞いてしまう。


 羽鳥は続ける。


 羽鳥 梢:

「誰かの人生と同じなんて、絶対にない」


 堂本 信広:

「!」


 羽鳥 梢:

「堂本くんは大丈夫だよ」


 羽鳥 梢:

「大丈夫……大丈夫だよ!」


 言っている本人の声が、少し震えていた。

 俺の腕を握る羽鳥の手が、かすかに揺れている。


 堂本 信広:

「…………」


「大丈夫」だなんて、無責任な言葉。

 昔の俺なら、鼻で笑って甘ちゃんだと苛立っていた。


 それなのに。


 どうして。


 堂本 信広:

「……っ」


 なぜ、今、こんなに沁みる。


 さっきとは違う気持ちで……息が止まりそうだ。

 喉元から何かが、せり上がってきそうで。

 俺は小さく、足を動かした。


 堂本 信広:

「……お前って、本当にノー天気だよな!」


 羽鳥 梢:

「!」


 それと同時に、羽鳥が脇に挟んだノートを奪い取る。

 そのままそれを、羽鳥の額に軽く当て、彼女に俺が見れないようにした。


 堂本 信広:

「これ、もらってやる」


 堂本 信広:

「これで勉強すれば、本当に成績よくなるんだろうな」


 羽鳥 梢:

「!」


 羽鳥 梢:

「うん、絶対!」


 ノートの下で、羽鳥がどんな顔をしたのかはわからない。それでも明るい声が、ノート越しに響く。

 またしても無責任な言葉を言われたのに、口の端が小さく上がる。


 羽鳥。

 お前は本当にバカで、俺もバカだ。


 でも。

 だからこそ。


 頑張らなきゃいけない時がある。


 堂本 信広:

「…………」


 堂本 信広:

「……ありがとな」


 羽鳥 梢:

「……うんっ」


 ようやく、羽鳥からはがしたノート。

 その下から、彼女の明るい笑顔が現れた。




 ◇ 続く ◇

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