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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.53 ぼくは勉強ができない(3)「エスケープ」

 翌日から、俺は勉強に力を入れ始めた。

 あんなに中曽根をバカにしていたのに。しかし、背に腹はかえられない。


 朝の教室。

 机に座り、理科の教科書と睨むが、ほとんどがチンプンカンプンだ。

 くそう、DNAもDHAも大して変わんねーだろうが! 染色体の本数なんて知ってどうすんだ!


 そんな俺に、中曽根が声をかける。


 中曽根 悠:

「堂本も本気出してきたか。俺も負けらんねぇな」


 堂本 信広:

「……うっせー……」


 しかしからかうような態度でなく、明るくそう言ってくれる中曽根に顔を上げる。

 正直、俺1人じゃ何も進まねぇ。


 堂本 信広:

「中曽根、教えろ」


 中曽根 悠:

「え、俺?」


 俺は中曽根を無理やり前の席に座らせて、臨時教師にさせた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 ぼくは勉強ができない

(3)「エスケープ」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 大谷 圭介:

「え、堂本が勉強!? 天変地異!?」


 ムカつく発言をして俺らのもとにやってきたのは、5組の大谷だった。


 堂本 信広:

「なんで、てめぇがここにいるんだよ」


 大谷 圭介:

「中曽根に借りた教科書、返しにきたんだよ」


 ほい、と大谷は俺の前に座る中曽根に、持っていた教科書を手渡した。

 いつもは借りてばかりの中曽根が、貸す側になるとはめずらしい。


 中曽根 悠:

「大谷、こないだの望月んちでの勉強会はどうだったんだよ」


 中曽根が大谷にそう聞くと、大谷は「うっ」と小さく唸った。

 望月ってたしか、大谷のあのちっこい彼女だよな。


 堂本 信広:

「女の家で勉強会かよ」


 大谷 圭介:

「へへー、羨ましいだろ」


 堂本 信広:

「へっ、お前のことだから襲ったか」


 大谷 圭介:

「アホか! むしろ襲われたわ!」


 堂本 信広:

「!?」


 中曽根 悠:

「!?」


 大谷の発言に俺と中曽根が面食らう。

 こいつら一体、どんな付き合いしてんだ。


 大谷 圭介:

「望月の兄ちゃん、マジ怖ぇんだよ! 俺のことチョー目の敵にしてさぁ〜! 小さな巨人だぜ、ありゃ」


 中曽根 悠:

「あ、そういうこと」


 中曽根はどこかホッとしたようにつぶやき、俺もハァと息を吐く。

 大谷の言動は、いちいち大げさなんだよな。


 そんな会話をしていた俺たちに、思いがけず女の声がかかる。


 羽鳥 梢:

「あはは、美羽のお兄さんに会ったんだ」


 堂本 信広:

「!」


 羽鳥だった。

 なぜか俺の席に近寄って、大谷たちとの会話に口をはさむ。


 大谷 圭介:

「あ、羽鳥も知ってんだ」


 羽鳥 梢:

「知ってる知ってる。すっごいシスコンだよね」


 大谷とそう話してから、羽鳥はこちらに視線を向けた。

 はい、と何やら冊子を数冊、俺に差し出す。


 羽鳥 梢:

「これ、よかったら使って」


 堂本 信広:

「?」


 差し出されたそれを受け取る。

 見ればそれは参考書で、使い込まれたのかところどころすり切れていた。


 堂本 信広:

「何だよこれ」


 羽鳥 梢:

「私が使ってた参考書。わかりやすくておすすめだよ!」


 羽鳥 梢:

「堂本くん、勉強に本気出したみたいだから、私からの餞別! 頑張ってよね!」


 堂本 信広:

「……はぁ」


 羽鳥の勢いに押されて、思わず受け取る。

 それを満足そうに見守ると、羽鳥はあっさりと「じゃあね〜」と席に帰っていく。

 この一連を、中曽根と大谷がきょとんと見ていたことに気づいた。


 大谷 圭介:

「え、何、羽鳥ってお前に気ぃあんの?」


 恋愛脳の大谷は、すぐにそういうことに結びつける。

 小さくドキッとするが、呆れたような表情を作り「んなことあるかよ」と返した。


 中曽根 悠:

「でも、お前ら仲良いよな。羽鳥もよくお前の面倒見てるし」


 大谷 圭介:

「なはは、母ちゃんってわけだ」


 堂本 信広:

「るっせーな、お前らは」


 2人からの発言に耐えきれず、ギッと睨んでそっぽを向いた。

 手元の参考書たちをどうしていいのかわからず、とりあえず机に突っ込む。

 大きなおせっかいをしてくれた羽鳥をチラリと見れば、またノー天気に女友達と勉強会をしていた。


 空気も読まずに、男子の輪に飛び込んで参考書を渡してくれた羽鳥。

 全っ然意識なんかしてねーだろ、あいつ。


 堂本 信広:

「……」


 堂本 信広:

(……意識?)


「ん?」と首をかしげたが、鳴り始めたチャイムで、すぐにその思考も消えた。



 ・   ・   ・



 放課後、空になった教室のゴミ箱を手にぶら下げて、廊下を歩いた。


 ちゃんと掃除当番の仕事をこなすなんて、俺もお利口になっちまったもんだ。


 堂本 信広:

(やらねぇと、誰かさんがうるさいからな)


 さあ帰ろう、と静かな廊下にペタペタとスリッパの音を鳴らす。

 すると、ある男子生徒が、こちらに向かって歩いていた。

 森直人だった。


 何やら窓に顔を向け、向こう側をジッと見てゆっくりと歩いている。俺には気づいていない。


 堂本 信広:

「……?」


 何を見ているのか気になった俺は、森の視線の先を追う。

 するとそこに、向かい側の校舎を歩く松宮茜がいた。森の片想いの相手だ。


 そして松宮の隣には、小池隼人。

 2人が付き合い始めたことは、夏休みが明けた3年生の間で有名になった。


 まあつまり、森は失恋したってわけだ。


 堂本 信広:

「……」


 歩む俺の足を止められるわけもなく、スリッパの音で森は俺に気づいた。


 森 直人:

「!」


 窓の外から視線を外し、何やら睨んでくる。

 顔が少し赤くなっている。

 何を見ていたのかが俺にバレて、恥ずかしいのだろう。


 堂本 信広:

「よぅ」


 ニヤリと笑って、森に声をかけてみた。

 森とは春のトイレでのケンカ以来、口をきいていない。

 別にそれは俺にとって何の影響もなかったが、こうして顔を合わせれば、からかってやってもいい。


 堂本 信広:

「松宮が、あの小池とねぇ」


 ニヤニヤと笑って言ってやると、森はさらに眉間にシワを寄せて俺を睨む。


 森 直人:

「……っだよ」


 堂本 信広:

「別に。一人言だよ」


 好きな子いじめで嫌われて、長年の片想いのくせに中学からの男に横取りされた森。

 救いようもねぇバカに睨まれても、何にも痛くはなかった。


 そのまま素通りして行こうと歩を進める。

 しかしすれ違う瞬間、森は仕返しとばかりに俺にだけ届く範囲で声を震わせた。


 森 直人:

「……お前、何今さら勉強しちゃってるわけ?」


 堂本 信広:

「!」


 ……何でそれをお前が、と足を止める。

 振り返れば、森も振り返りがてらに俺をねめつけていた。


 森 直人:

「今から間に合うわけないじゃん。笑える」


 堂本 信広:

「……は?」


 どすの利いた声を出すと、森は少しだけビクつく。

 もしかして大谷か。あいつとこいつ、同じクラスだもんな。

 おしゃべりな大谷が、教室に帰ってから大きな声で俺のことを言いふらしていたのかもしれない。

 ああ、面倒くせぇ。


 堂本 信広:

「何でお前に、そんなこと言われなきゃなんねぇの」


 俺がそう言えば、森はさらに噛みつくように吠えてきやがった。


 森 直人:

「無駄だって! 間に合うわけねーじゃん!」


 森 直人:

「そもそも土台が違うんだよ!」


 堂本 信広:

「……!」


 堂本 信広:

「るっせぇ!!」


 ガンッ!


 持っていたゴミ箱を森の足元に向けて床に投げつけた。

 腕を伸ばし、やつの胸ぐらを掴む。


 森 直人:

「……!」


 思わず振り上げた右腕。

 拳を作ったそれを肩の後ろに振りかざした俺に、森は恐怖を顔に張り付けつつも、引きつり笑いで言い放った。


 森 直人:

「ほら、そういうとこ!」


 森 直人:

「お前、父親そっくりだよな!!」


 堂本 信広:

「!!」


 振り下ろそうとした腕が、ピタリと止んだ。

 胸ぐらを掴まれたまま、森は変な笑い顔で言葉を続ける。


 森 直人:

「俺、頭は悪いけどよ。蛙の子は蛙って言葉は知ってんだぜ」


 森 直人:

「親も、バカなDV野郎だったんだろ」


 森 直人:

「お前もそうなるよ」


 堂本 信広:

「……っ」


 森のその言葉が、ねっとりとまとわりつくように俺の心臓に触れた。

 不意に足がすくみそうになる。

 心臓が冷える。

 目がくらむ。


 森のやつ──ぜってぇ許さねぇ!!


 俺の体がまた動き出すその前に。


 坂本先生:

「おい、お前らやめろ!」


 体育教師の声が届いて、俺の動きは止まった。

 2組の担任の坂本だ。

 俺は「ふん」と鼻をならして、森を突き飛ばすと、廊下に転がったゴミ箱を拾い上げた。


 坂本先生:

「あ、おい堂本!」


 呼び止めようとする坂本に。


 堂本 信広:

「うるっせえ! 殴ってねーだろ!!」


 俺は大声でそう言い捨てて、逃げるように背を向けた。


 足が重い。

 何かがまとわりついている。

 俺の足を引きずる何か。


 それから逃げるように、俺はひたすら教室を目指して、大股で歩き出した。




 ◇ 続く ◇

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