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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.53 ぼくは勉強ができない(2)「スマイル」

 嫌な夢を見た。

 俺が大人になった夢だ。


 薄暗い部屋の隅で、俺は誰かを蹴ったり叩いたりしている。

 自分より小柄な相手。

 そいつは女のようだった。


 女:

「やめて、やめてよ!」


 女が必死に俺に訴えている。

 やめろ、よせ、と俺も思っているのに、大人の俺は止められない。

 ただ手と足を乱暴に、座り込む女に振り下ろしていた。


 女:

「痛い──やめて!」


 女:

「やめて……」


 羽鳥 梢:

「やめてよ堂本くん!」


 !?


 堂本 信広:

「……っ!!」


 思わず飛び起きた俺の背中は、汗ばんでいる。

 ドクドクと嫌な動悸が、体内に響いていた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 ぼくは勉強ができない

(2)「スマイル」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 羽鳥 梢:

「おはよう! 堂本くん」


 堂本 信広:

「……」


 朝。下駄箱で会ってしまった羽鳥に、俺の顔が引きつりそうになる。

 原因は夢見の悪さだ。


 くそ!

 何でこいつが出てくるんだよ!


 堂本 信広:

「ふん」


 羽鳥 梢:

「わ、やーな感じ」


 やだやだ、なんて言って羽鳥はさっさと靴を履きかえ、先に教室へ向かった。

 あいつも3年間同じクラスだったせいか、俺にすっかり慣れている。


 堂本 信広:

「……」


 俺も見慣れた羽鳥の背中を見送る。

 それが夢で見た、うずくまった女の背中とかぶった。


 夢の中で、暴れるように暴力をふるっていた俺。

 まるで、父さんみたいに。


 堂本 信広:

「……チッ」


 鳴りをひそめていたはずの舌打ちのクセが、口からもれる。

 誰があんなクソ親父なんかと。


 南星高校になんか、行かない。

 俺は昨夜、そう決意した。



 ・   ・   ・



 放課後、俺は資料室へ出向いた。

 1階の職員室付近にあるそこの一角に、県内の高校資料が閲覧できるように並べられている。


 中に入ると、誰もいなかった。

 まぁこの時期に、ここに来るのは遅いんだろう。

 学校の資料集めなんか、みんなとうの昔に済ませている。


 堂本 信広:

(ま、ちょうどいい)


 1人の方が気楽だ。

 壁に引っ付けられた棚の上に、並べられている冊子のひとつを手に取った。

 パラリとめくり、高校のデータを見る。


 どこでもいいんだ。

 あいつと同じ高校じゃないのなら、どこでも。


 1人、壁に向かって紙をめくる。

 そんな俺の背後で扉が開く音がする。

 チッ、誰か来やがった。


 羽鳥 梢:

「あれ、堂本くんだ。めずらしい」


 堂本 信広:

「!」


 羽鳥かよ!


 今日は極力避けていたのに、最後の最後でしくじる。

 こっちの気も知らないで、羽鳥は俺の横に来て手元をのぞいてきやがった。


 羽鳥 梢:

「高校調べてるの?」


 堂本 信広:

「悪いかよ」


 羽鳥 梢:

「悪くないよ。私もそうだし」


 そう言って羽鳥も、棚の資料に手を伸ばす。

 そんな羽鳥の行動に、俺は思わず視線を向ける。


 堂本 信広:

「お前はどこに行くんだ?」


 羽鳥 梢:

「んー、第一志望は徳瑛だけど……自信ないんだよねぇ」


 徳瑛ってたしか、中曽根も狙ってるところじゃなかったか。

 てことは、戸田も含めた幼馴染みトリオで一緒のところ目指してんのか。

 どこまでも仲良しこよしってわけだ。


 ケッ、と嘲笑が起きそうな俺だが、少しうつむいた羽鳥が続けた言葉に、それも引っ込んだ。


 羽鳥 梢:

「私の成績だと、ギリギリっぽいんだよね」


 羽鳥 梢:

「だから第二志望校、もうちょっと真剣に考えようと思って」


 今さらだけど、と羽鳥は苦笑した。


 ……こいつも、いろいろ悩んでるんだな。

 少しだけ腐りかけていた気分が落ち着く。


 堂本 信広:

「お前、成績よくなかったか?」


 羽鳥 梢:

「普通だよ。学級委員効果でよく見られるけど、平々凡々」


 堂本 信広:

「へー……意外な」


 いつの間にか朝の気まずさもなくなり、羽鳥と普通に話していた。

 羽鳥はパラパラと資料をめくり、つぶやく。


 羽鳥 梢:

「だから今、必死に勉強してるの」


 羽鳥 梢:

「やっぱり徳瑛には、行きたいし」


 堂本 信広:

「……」


 羽鳥につられるように、俺も目の前の資料を見る。

 第二志望校は決めていたけれど、それは南星高校よりもっとレベルの落ちるやつだった。

 でももう南星高校に行くつもりのない俺は、そんなところに行きたくない。

 南星高校よりもレベルが高くて、今の俺でも行けそうなところ。

 そんな高校を、俺は探した。


 羽鳥 梢:

「堂本くんは、どこ行くの?」


 しばらくして、羽鳥が聞いてきた。

 互いに正面を向いたまま、手元を見ている。


 堂本 信広:

「……さぁ」


 羽鳥 梢:

「あ、ずるい。私は教えたのに!」


 堂本 信広:

「……マジでわかんねぇんだよ」


 羽鳥 梢:

「……?」


 俺の反応を不思議に思ったのか、羽鳥が上目がちにこちらを見てくる。

 でも俺の頭の中は、脳みそが浸透していかない高校のデータのせいで、小さくグルグルと混乱していた。


 堂本 信広:

「行きたくない高校はあるのにさ……」


 堂本 信広:

「俺も、もうちょっと勉強しときゃよかった」


 そうしたら、もっと選べる学校も増えたのに。

 俺らしくない弱音がこぼれていた。


 羽鳥 梢:

「……」


 羽鳥 梢:

「……まだ、間に合うよ」


 羽鳥がつぶやく。


 羽鳥 梢:

「勉強は、いつスタートしてもいいんだよ」


 羽鳥 梢:

「一緒に頑張ろう!」


 堂本 信広:

「……」


 いつもなら。

 このお気楽発言に「ノー天気女」と呆れていただろう。

 でも今の俺には、その言葉がやけに染みこんでいく。


 そうだよな。

 まだ……間に合うよな?


 堂本 信広:

「……ん」


 堂本 信広:

「だよな……」


 少しの安堵を得られたせいか、小さな笑みが浮かんだ。

 すると。


 羽鳥 梢:

「あ、それ!」


 羽鳥 梢:

「それだよ堂本くん!」


 堂本 信広:

「!?」


 突然、俺を指さし体を近づけてきた羽鳥に面食らう。


 な、何だよ!?


 羽鳥 梢:

「そっちの笑い方のが、だんぜんいい!」


 堂本 信広:

「は?」


 羽鳥はニコニコとした表情で言う。


 羽鳥 梢:

「いっつも『へっ』とか『ケッ』とか笑うけどさぁ。そういう笑い方もできるんじゃん」


 羽鳥 梢:

「普段からそういうふうに、笑えばいいのに」


 堂本 信広:

「……はぁ?」


 何言ってんの、こいつ。

 とたんに俺の顔は険しくなる──はずだったのに。


 堂本 信広:

「……バッカじゃねぇの」


 そっぽを向いて羽鳥に顔を背けたのは、むず痒くなる首元をかくためだ。


 別に顔が熱い──からじゃない。



 ・   ・   ・



 その夜、母さんに第一志望校を変えることを話した。

 資料と、家に帰ってからネットで収集した情報で適当に見繕った高校を、いくつか候補として伝える。


 母さん:

「どうしたの、急に」


 母さんはやはり理由を聞いてきたけれど、俺は「別に、何となく」としか答えなかった。

 正直なところ、父さんの話を母さんの前でするのが怖かった。


 堂本 信広:

「やっぱ男子校なんて、むさ苦しいとこ嫌だし」


 母さん:

「……そう」


 適当な理由を言う俺に、母さんは少しだけ柔らかく息を吐く。

 安心……したのだろうか。


 堂本 信広:

「……ん」


 それを見届けて、俺は自分の部屋に戻った。




 ◇ 続く ◇

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