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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.53 ぼくは勉強ができない(1)「キッチン」

 11月下旬。

 三者面談の日が近づいている。


 兄、克弘がバイトでいない日曜日の夜に、母さんはリビングで俺に話しかけてきた。


 母さん:

「ノブ、志望校の変更はとくにないのよね?」


 堂本 信広:

「あ? ああ」


 小さくうなずく。

 俺は進学先の第一志望を南星《なんせい》高校にしていた。

 偏差値の低い男子校だ。

 俺でも入れるだろうと、進路希望調査票を出したときに担任の福原には言われている。

 勉強が嫌いな俺。

 別に今さら、頑張ろうとも思わない。


 堂本 信広:

「そのつもりだけど」


 母さん:

「そう。わかった」


 その言葉を流して、俺は冷蔵庫をあさる。

 取り出したコーラをボトルで直に飲みながら、この冷蔵庫の中身なら明日はチャーハンでも作るか、と考えた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 ぼくは勉強ができない

(1)「キッチン」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 翌日の月曜日。

 教室に入ると、最近恒例となりつつある光景に辟易とした。


 教室の中央に、数人集まっている女子グループ。

 机同士をくっつけ合うその集団は、教科書やら参考書、単語帳などをおのおの広げていた。

 その中には羽鳥がいる。

 受験に向けた仲良しお勉強会、らしい。


 堂本 信広:

(あいつもよくやるぜ)


 羽鳥は他の女子にいろいろ教えながら、自分の勉強を進めている。

 他人を蹴落としてこその受験だろうに、あいつは本当にノー天気だ。


 少し離れた自分の席に座り、斜め前方にある羽鳥の後ろ姿を眺めた。


 中曽根 悠:

「おっはよ、堂本!」


 今日も元気な中曽根が、声をかけてきた。

 そんなやつに俺もすっかり慣れていた。「ああ」と声を返す。


 中曽根も手に何やら参考書らしきものを持っていて、そのまま俺の前を通り過ぎた。

 そして、あの羽鳥たちの女子グループに飛び込んでいく。


 中曽根 悠:

「なぁ羽鳥、これわかる?」


 羽鳥 梢:

「ん? どれどれ」


 羽鳥は差し出された参考書をのぞき、他の女子どもは中曽根を歓迎して笑顔になった。


 あー、あいつ、ああいうところが天然のたらしだな。

 そしてそれに乗っかろうと、他の男どもが中曽根たちに近づく。


 男子1:

「あ、俺も教えて!」


 男子2:

「俺も俺も~」


 羽鳥 梢:

「あーもう、じゃあまとめて聞きなさい!」


 まるで肝っ玉母さんみたいな羽鳥の態度。

 それに俺はつい、クッと小さく笑う。

 本当に、相変わらずなやつ。

 参考書を指さして、あーだこーだと口を動かす羽鳥。

 真剣に聞いていた中曽根の顔が、パッと明るくなった。


 中曽根 悠:

「あー、そういうことか」


 納得したように何度もうなずく中曽根。

 あいつは最近、やたら勉強熱心だ。

 まぁその理由は、周知されているが。


 羽鳥 梢:

「中曽根、理解早くなったじゃん。これならるりも安心だねぇ」


 中曽根 悠:

「うっせー」


 そう、中曽根は彼女の戸田と同じ高校に行くのに必死なのだ。

 女に合わせるなんて、主体性のないやつだ。

 そんな中曽根は、満足した様子でまた俺の近くを通りかかる。

 頬杖をつきながら、やつにつぶやいた。


 堂本 信広:

「ちっとは賢くなったかよ」


 嫌味で言ったのに、中曽根はことさら嬉しそうにうなずいた。


 中曽根 悠:

「おう! けっこうレベルアップしてるぜ」


 まったく、悪意の通じないやつだ。

 そんな中曽根に俺も毒気を抜かれる。はぁ、とわざとらしくため息をついてやった。


 堂本 信広:

「そんなに勉強して、どーすんの?」


 学校のお勉強なんか社会で役に立つのか?

 サインコサインにフレミングの法則、革命の年号、漢詩や純文学。

 そんなの知ったところで、腹も満たされねぇ。

 そんな疑問を投げかけた俺に、中曽根は頬をポリポリかきながら答える。


 中曽根 悠:

「どうするって……まぁ、将来のためだよ」


 中曽根 悠:

「いつか役に立つかもしれねーだろ」


 堂本 信広:

「タンジェントを会社員が使うか?」


 中曽根 悠:

「極端すぎるぜ、堂本」


 俺の言葉にやつは苦笑して、自分の席へと戻っていった。



 ・   ・   ・



 帰宅するとさっさと着替えて、冷蔵庫に手を伸ばした。


 とりあえず喉を潤すと、次に野菜室を開ける。

 スープだけ先に作っとくか、とキャベツを取り出した。

 チャーハンにはレタス、スープにはキャベツ。それが俺の好きな組み合わせだ。


 堂本 信広:

(自分で作ると、好きなもん食えるからいいよな)


 俺が料理にはまった原因はそこかもしれない。

 母さんや克弘に食わせるのは、あくまでついで。そう、ついでだ。


 口笛を吹きつつ、取り出したキャベツをまな板に置き、包丁でザクザクと切り始める。

 3人分の料理に、どれくらいの量がいるのか、なんとなく感覚でわかってきた。


 堂本 信広:

(こういうのも、レベルアップって言うのか?)


 なんて、中曽根の言葉をふと思い出していたとき。

 克弘が学校から帰ってきた。

 ひょっこりとリビングをのぞいて、キッチンに立つ俺に声をかける。


 堂本 克弘:

「ただいま」


 堂本 信広:

「……ん」


 最近、やたら話しかけてくるようになった克弘。

 ただいまなんて、前は言ってもなかったじゃねーか。

 気色悪い。

 おかえりなんか、絶対言ってやらない。

 そして気色悪い克弘はなぜか、部屋に向かわずリビングに入って来た。


 何だ一体?


 堂本 克弘:

「ノブ。お前……南星高校に行くのか?」


 堂本 信広:

「ん? ああ」


 母さんから聞いたのだろう。

 克弘は俺の返事を聞くと、とたんに眉間にしわを寄せた。

 苦虫を噛みつぶしたような、苦々しい顔つき。


 堂本 信広:

「何だよ」


 弟がレベルの低い高校で恥ずかしいってか。

 お前だって大した高校に行ってるわけじゃねーくせに、とムカついた。

 低くした声を、絞り出すように克弘は言う。


 堂本 克弘:

「母さんもそれでいいって?」


 堂本 信広:

「……っだよ、文句あんのかよ」


 克弘の言葉にイラッときた俺は、包丁を持ったままぎらつかせた──が。


 堂本 克弘:

「南星……あいつの出身校だぞ」


 堂本 信広:

「は?」


 堂本 克弘:

「……クソ親父」


 堂本 信広:

「!」


 克弘のその発言に。

 俺はまな板に包丁を静かに置いた。


 堂本 克弘:

「……」


 堂本 信広:

「……」


 堂本 克弘:

「……それだけだ。あとはお前に任す」


 そう言い残して、克弘はきびすを返す。

 俺はただその背中を、呆然と見つめた。


 堂本 信広:

「……」


 南星高校が、父さんの出身校だって?

 俺が適当に選んだ高校が、偶然一緒だったって?


 堂本 信広:

「……っ」


 なぜか。

 身がすくむ。

 脳裏によみがえるのは、幼い頃に散々見せられた両親のケンカ。


 投げつけられる物たち。

 そして、父さんから母さんへの、一方的な暴力。


………………………………


 母さん:

「物……投げないでよ! 子どもたちに聞こえるでしょ!?」


 父さん:

「っせーよ! お前が俺を怒らせるからだろ!?」


 母さん:

「……っ! やめて! 痛い!」


………………………………


 堂本 信広:

「……ツッ……」


 頭がくらむ。

 目元に思わず指先を添える。


 俺は──俺も。


 あんな大人になるのだろうか。




 ◇ 続く ◇

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