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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.52 とある兄たちの一日(1)「大谷圭介の場合」

 やべー。

 緊張するー。

 俺は洗面台の前に立ち、鏡の中の自分とにらみ合った。


 鼻毛、出てない!

 ヒゲもキレイに剃れてる!

 歯も磨いてCMに出られるくらいだぜ!


 大谷圭介、15歳。

 念には念を入れた清潔感を演出すべく、朝から奮闘中である。


 大谷 圭介:

(今日はいよいよ……)


 大谷 圭介:

(望月んちに行く日だ!)


 11月半ばの、ある日曜日。

 俺は彼女の家で勉強会をするという、何とも素晴らしいイベントに張り切っていたのだ。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 とある兄たちの一日

(1)「大谷圭介の場合」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 望月と同じ、桜塚高校を目指している俺。

 12月に定期テストも控えているし、今月のデートは勉強会になった。

 ふっふっ、インテリジェンスじゃあないの。


 大谷 圭介:

(家族いるとか言ってたしな~)


 望月は家族にも俺とのことはオープンにしているようで、楽しみにしているなんて言ってくれた。

 誘われたときは緊張したけれど、日が近づくにつれて俺も腹をくくった。


 今ではもうドーンとこい! といった気持ちである。

 が。


 大谷 圭介:

(まぁ正直……兄ちゃんは怖いなぁ……)


 お父さんは接待ゴルフ、姉さんは大学のサークル活動でいないと言っていた望月。

 家にいるのは、彼女のお母さんと高校生の兄ちゃんらしい。

 しかも望月、


 望月 美羽:

「お兄ちゃん私に超甘々なの!」


 なんて、事前情報までくれた。

 てことは俺って、その兄ちゃんからしたらけっこう目障りなんではなかろうか。


 大谷 圭介:

「考えすぎかなぁ?」


 なんて思いつつ、棚のジェルワックスを手にする。

 先日、井本に望月の家に行くことを話したらなぜか渡されたのだ。


 井本 修:

「これでビシッとカッコつけて行け!」


 とか言ってた。

 あいつ最近、どうにもワックスつけたがりだよな。

 まぁせっかく頂いたし、やってみっかと手にニョロッと出したとき。


 橙也:

「あー! にーにー!」


 大谷 圭介:

「!?」


 ドスン!


 と俺の膝に体当たりしてきた弟の橙也《とうや》により、足カックンをされる。


 大谷 圭介:

「いっでぇ!」


 膝がちょうど洗面台下にぶち当たり、痺れるような痛みが襲った。

 手に出そうとしたジェルも、思いっきり飛び出して洗面台に落ちた。


 と、と、橙也ぁぁ~~!


 大谷 圭介:

「橙也、いてーだろ!」


 橙也:

「う?」


 う? じゃねぇ!


 弟の橙也は、最近1歳になったばかりである。

 他の子より発育が早いらしい橙也は、伝い歩きができるようになり、最近では家の中をちょろちょろすることが多くなった。

 俺のことも「にーに」なんて呼んでくれるようになり、それは可愛いっちゃあ可愛いのだが。


 父ちゃん:

「お、橙也、こんなとこまで行ってたのか」


 大谷 圭介:

「父ちゃん、ちゃんと見といてくれよぉ」


 橙也を追って、父ちゃんまで洗面所までやってきた。

 ひょい、と橙也を抱えた父ちゃんは俺を見て笑う。


 父ちゃん:

「お、なんかオシャレしちゃってる?」


 大谷 圭介:

「……うっせー」


 父ちゃんにそう言われて、慌ててジェルワックスのボトルを隠した。

 ああ、橙也のせいで見られちまったじゃねぇか!


 じつは俺んちも望月とのことはもうバレている。

 あんなに来るなって言ったのに、7月のスポーツ大会に来た父ちゃんに、望月にハチマキを渡すところを見られていたのだ。


 今の俺は、プチ反抗期なのかもしれない。

 うずうずと何か聞きたそうにしている父ちゃんに、唇を尖らせて無視した。


 大谷 圭介:

「早く出てけよ」


 見もせずそう言った俺に、父ちゃんは少しだけしょんぼりして、でかい図体を曲げて出ていった。


 ふん、別にいいんだ。

 俺はもう可愛くない息子なんだから。

 すっかり大谷家のアイドルとして降臨している橙也。

 父ちゃんも母ちゃんも、毎日「可愛い可愛い」と言って世話をしている。


 俺だって、もう15だから弟に変な嫉妬なんかしない。

 橙也のことは、俺も可愛いって思っているし、面倒だってよく見る。

 しかしそれに相反するように、俺の両親に対する態度はちょっとずつ変化中だ。


 大谷 圭介:

(父ちゃんも子離れすべきだっ)


 俺はそう憤慨して、再びニュルッとワックスジェルを絞り出した。



 ・   ・   ・



 望月の家に行く途中、手土産を買うために洋菓子屋さんへ寄った。

 彼氏の手土産として印象がいいのは、はたしてどれだろうか。


 大谷 圭介:

(えーと、これでいいか)


 見た目のよさそうなクッキー詰め合わせの缶を手にする。

 するとその横に、卵ボーロの袋がちょこんと並べられていた。1袋300円だ。


 大谷 圭介:

(……橙也が好きそう)


 離乳食どころかもう普通の飯もがつがつ食っている橙也。

 あんな調子じゃ、将来俺よりもでかくなるんではなかろうか。


 でも食ってるときの橙也、可愛いんだよなぁ。

 手づかみでパンを食って、手ごとハムハム噛んでよだれを垂らすのが、どうしてあんなに愛らしく見えるんだろう。

 赤ん坊って、ずるいよな。


 大谷 圭介:

「……これ、ください」


 結局、クッキーの缶と卵ボーロの袋をレジへ持っていく。

 俺の小遣いは、彼女と弟への貢ぎ物で消えていく運命《さだめ》なのだ。


「こっちは家用です」と伝え、卵ボーロの袋を分けてもらい、それだけ店を出てからカバンに突っ込む。

 気合いを入れ直し、望月んちまでの道を歩き出した。


 大谷 圭介:

(さ、行くぞ~)


 望月の兄ちゃんも、俺みたいに苦労しているのだろうか。

 なんて考えながら、足を進めた。




 ◇ 続く ◇

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