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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.51 手を伸ばせ (4・終)「黒田くんの決意」

 井野口 栄治:

「駅前のバーガー屋に、いただろ。先輩たちと」


 黒田 睦実:

「!」


 まさか、井野口にあの日のことを見られていたとは。


 たしかにあのお店は一面ガラス窓で、中の客も外からよく見える。

 通りすがりに、見てしまったのかもしれない。

 ということは、俺が泣いていたところも見られていたのだろうか。


 黒田 睦実:

「……っ」


 居たたまれずに目をそらす。

 井野口の突き刺すような視線が、痛かった。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 手を伸ばせ

(4)「黒田くんの決意」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 井野口 栄治:

「……で、何話してたわけ」


 黒田 睦実:

「そ、れは……」


 どうしようか。

 まだ井野口に相談する勇気が、俺には持てていなかった。

 グッと押し黙ってしまう。


 どう言えば……いいのだろうか。

 うつむく俺に、井野口が息を吐きながら告げた。


 井野口 栄治:

「どうせ、部活の悩み事だろ」


 黒田 睦実:

「!」


 井野口 栄治:

「部長として自信がないとか? そんなとこか?」


 黒田 睦実:

「……何でっ……」


 わかんだよ、と続きそうになった言葉は、俺の口から出なかった。

 知られたくない。

 俺は違う言葉を吐き出した。


 黒田 睦実:

「お前には……関係ない」


 井野口 栄治:

「!」


 床上に視線を投げ捨て、そう言った。

 すると、井野口の腕がグワッと俺に伸びてきて、胸ぐらにつかみかかった。

 苦しくなった首元を中心に俺を押しやり、井野口は俺の背中をロッカーに叩きつける。


 井野口 栄治:

「お前、いい加減にしろよ!!」


 黒田 睦実:

「!!」


 バンッ!

 ガッシャン!!


 俺の体でロッカーが凹み、さらにロッカー同士がぶつかり合う、やかましい音が更衣室内に響いた。

 突然の衝撃と痛みに、思わず顔が歪む。


 黒田 睦実:

「な……!?」


 しかし井野口は、ガンつけるように俺の胸ぐらをねじり上げて、ツバが届くほどの距離で叫ぶ。


 井野口 栄治:

「俺らはそんなに、頼りになんねーのかよ!!」


 黒田 睦実:

「!」


 井野口 栄治:

「何でもかんでも1人で抱え込みやがって、何にも話さねーし、何にも聞かねえ!!」


 井野口 栄治:

「何考えてるのかわかんねーよ、気色悪ぃ!」


 黒田 睦実:

「……!!」


 叩きつけられた痛みと言葉。

 それには俺も冷静でいられなくなり、歯を食いしばった。


 黒田 睦実:

「……離せ、井野口」


 それだけで井野口の興奮を抑えられるわけはなかった。

 やつはどこか苦しげに、憎らしげにこちらを見る。


 井野口 栄治:

「お前なぁ、ムカつくんだよ! 悩んでますって顔してるくせに、俺らには全然なんも言わねぇ」


 井野口 栄治:

「すかしてんじゃねぇぞ!!」


 黒田 睦実:

「……っ、いい加減にしろ!」


 耐えられなくなって、俺は井野口を突き飛ばした。

 やつは反対側のロッカーにぶち当たり、また激しい衝突の音が鳴る。


 井野口 栄治:

「!」


 反撃に顔を歪めた井野口に、俺も吠えた。


 黒田 睦実:

「言えるかよ、んな情けないこと!」


 言えるなら、話せるなら、こんな苦労はしてない。

 しかし俺の叫びは井野口の逆鱗に触れたようで、やつはまた俺に向かってきた。


 井野口 栄治:

「言えばいーだろ……頑固野郎!」


 井野口が勢いを増してつかみかかってきたので、俺は逃げようとしたが、のしかかられ床に倒れた。

 馬乗りになったやつに反撃しようと腕を振り上げ、やつも対抗するように腕を振り下ろす。


 もう俺も、冷静でなんかいられなかった。

 不利な姿勢から立ち上がり、ムカつく目の前の井野口に拳をぶつけようとする。

 気がつけば、もみくちゃの殴り合いに発展したそれは、互いの体をロッカーにぶつけ合う押し合いになった。

 耳障りなロッカーがへこむ音は、外の人間にも届いたようで、いつの間にか学年主任の福原先生がサッカー部更衣室の扉を開けていた。


 福原先生:

「お前ら、何やってんだ!!」


 慌てたように入ってきた教師たち。

 俺と井野口は、互いに後ろから教師に羽交い締めにされつつも、磁石のようにお互いを牽制しようと拳を握り締めていた。


 井野口 栄治:

「っざけんなよ、黒田!!」


 井野口の興奮は止まらない。

 俺もフーフーと、荒い息を口の端からこぼしていた。

 そんななか。


 井野口 栄治:

「何でもかんでも、1人でやろうとすんじゃねぇ!」


 井野口 栄治:

「お前が拒絶したら、周りの奴らだってわかんなくなるだろーが!!」


 黒田 睦実:

「……!?」


 突然、井野口は悲痛そうな表情をして、そう叫んだ。


 黒田 睦実:

「……井野口……?」


 井野口 栄治:

「お前が……そんなんだから……」


 井野口 栄治:

「……っ」


 井野口 栄治:

「バカヤロー……」


 黒田 睦実:

「…………」


 とたんに、俺も井野口も大人しくなる。

 俺の頭の中は冷静が取り戻されつつあって、今まで井野口に言われた言葉を反芻《はんすう》していた。


 井野口……。

 お前、もしかして……。


 福原先生:

「お前ら、指導室に来い! サッカー部の黒田と井野口だな。坂本先生も呼ぶぞ」


 福原先生がそう言って、俺たちを部室から引っぱり出す。

 指導室へ向かう間、俺と井野口は一度も目を合わさずに、連行される囚人のように先生たちと廊下を歩いた。



 ・   ・   ・



 簡素な指導室の中。

 坂本先生も駆けつけて、俺たちは事の発端や事情をぽつぽつと話し始めた。

 そして俺はそこでようやく、井野口の想いを知ることになる。


 井野口 栄治:

「こいつを部長として認めてないのは、ほんの一部なんだ」


 井野口 栄治:

「大抵の2年や1年は、納得してるよ。一生懸命で、実力もあるこいつを」


 なのに、と隣にいた俺を、ギッと井野口は睨んできた。


 井野口 栄治:

「こいつは、引け目ばっかでそんな一部のやつらしか気にしてねぇ」


 井野口 栄治:

「1人で何とかしようとして、俺たちには相談もしやしねぇ」


 黒田 睦実:

「……」


 なんて言ったらいいのか、わからなかった。

 坂本先生は井野口に口を出す。


 坂本先生:

「黒田ばかり責めるな。お前らも、こいつに声をかけなかったんだろう」


 井野口 栄治:

「……それは、反省してます……」


 うつむく井野口。

 それを横目に見て、俺は何とも言えない気分になる。


 井野口……俺はさ。

 大谷先輩みたいな部長になりたくて。

 ならなくちゃって思って、目の前の背中ばかり追いかけていた。


 もがくように手を伸ばして。

 かすりもしない理想にあがいて、たどり着けなくて。

 手を前に伸ばしてばかりで。

 まわりから伸ばされていた手に、気づいていなかったんだ。


 俺は。

 伸ばすべき方向を、誤っていたのかもしれない。


 黒田 睦実:

「…………」



「もう少しまわりを頼れよ」



 中曽根先輩に言われた言葉が、今さらながらに心に染みこんでいく。


 ああ──まったくそのとおりだ。

 だって俺は、1人じゃ何にもできないんだ。


 大谷先輩も。卒業していった柴田先輩も。

 2人のように俺だって、1人じゃ無理だ──そんなの、当たり前だったのに。


 黒田 睦実:

「……はは」


 こぼれた、俺の小さな笑い。


 井野口 栄治:

「!?」


 それに井野口は驚いて俺を見るが、俺は何だかくすぐったくなって、慣れない笑みを浮かべて告げた。


 黒田 睦実:

「俺、大きい声出すの苦手なんだ」


 井野口 栄治:

「は?」


 黒田 睦実:

「号令とか、いっつも緊張する」


 そうして、目を丸くする井野口に言った。


 黒田 睦実:

「だからフォローしてよ。お前声でかいから、助かる」


 井野口 栄治:

「!」


 井野口も坂本先生も、俺の言葉にきょとんとしている。

 でも井野口は、すぐに言わんとしてることを理解したのだろう。

 嬉しそうに──うなずいてくれた。



 ・   ・   ・



 この瞬間は、いつも緊張する。

 グラウンドに散らばるサッカー部員。

 それらを集めるために、俺は今日も声を張る。


 黒田 睦実:

「集合ー!」


 ……が、やはり数人しか気づかない。


 くそぅ、もう一度。

 と、息を吸おうとしたら。


 井野口 栄治:

「サッカー部集まれー! ストレッチ始めるぞー!」


 バカでかい大声がすぐ横で響き、思わず耳をふさいだ。


 黒田 睦実:

「井野口、うるさい」


 井野口 栄治:

「よく響いて、いいだろ」


 悪気もなくニカッと笑う井野口は、ちょっと大谷先輩に似ている。

 やっぱりこいつが部長の方がよかったんじゃないかな、なんてまだ思う。


 思う──けど。

 もう逃げねぇぞ。


 黒田 睦実:

(まぁまだ、道のりは長いけど……)


 ようやく、まわりに頼ることを始めた俺。

 何人かは待っていてくれたように受け止めて、何人かは今さらかよといった態度だ。

 それも、俺がまいた種。

 これからの俺の姿勢と行動で、示すしかない。

 そう決意して部活動に励む。


 すると、グラウンド近くを大谷先輩が歩いていた。

 ちゃっかり見せびらかすように、彼女なんて連れている。


 大谷 圭介:

「おー、お前ら頑張れー」


 俺には出せない大きな声。

 太陽みたいな笑顔が羨ましくて、目を細める。


 大谷先輩。

 俺は、あなたにやっぱり憧れているけれど、もうなりたいなんて考えない。


 小池先輩が言ってくれたように、俺は俺らしく。

 中曽根先輩が言ってくれたように、まわりに頼って。


 そしていつか。

 こいつらと一緒に。


 あなたたちに負けないくらいの、チームを作るんだ。


 黒田 睦実:

「──はい!」


 精一杯、張り上げた声。

 そして俺は手を伸ばす。


 大丈夫。

 伸ばすべき方向は、もう間違わない。


 仲間たちが待つグラウンドへ振り返り、駆けだした。




 ◇ 終わり ◇

❀次エピソードへ続く

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