Ep.51 手を伸ばせ (2)「黒田くんの悩み」
10月上旬の早朝。
俺は、いち早くサッカー部の部室兼更衣室に1人でいた。
隅っこに積まれたサッカーボールを、イスに座り一つ一つ布きれで磨いている。
これはレギュラー入りしてから、ずっと続けている日課だ。
別に、部のためにとかじゃない。
ただ、自分のサッカー向上ができるように続けている、願掛けやジンクスみたいなもんだった。
少しだけ肌寒い秋の朝。
誰も来ることはない。
と、思っていたら。
井野口 栄治:
「へ、黒田?」
なんと、井野口が扉を開けてやってきた。
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手を伸ばせ
(2)「黒田くんの悩み」
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黒田 睦実:
「……うっす」
別に悪いことをしていたわけじゃないのに、見られたことが居心地悪くて、ぶっきらぼうな挨拶をしてしまう。
井野口は目を丸くして、俺に近づいた。
井野口 栄治:
「何してんの、黒田」
黒田 睦実:
「……ボール磨き」
井野口 栄治:
「いやそりゃ、見てわかるけどさ」
何でお前がしてんの? と、井野口は首をかしげる。
たしかに1年生にやらせればいいような雑用だ。
ただ俺は、自分が落ち着くからしているだけであって、大した意味なんかない。
それを上手く説明できる自信がなかった。
黒田 睦実:
「……まぁ、なんとなく」
井野口 栄治:
「……ふーん?」
黒田 睦実:
「それより、お前はどうしたんだよ」
井野口 栄治:
「あ、俺、昨日ここに忘れ物してさー」
井野口は自分のロッカーを開け、荷物を漁りだした。
たくさんの物がごちゃっと入っている。
教室に教科書や教材を置くことを禁止されているから、更衣室がある運動部は、臭いロッカーによく物をためているのだ。
黒田 睦実:
「お前、物ためすぎ」
雪崩でも起きるんじゃないかと思えた井野口のロッカーに、苦笑がもれる。
そんな俺を見て、井野口は照れくさそうに笑った。
井野口 栄治:
「るっせーよ」
井野口は、よく笑う。
それは無表情や静かだと言われがちな俺にとっては、羨ましいことだ。
──井野口が部長のほうが、よかったんじゃないかな。サッカー歴も俺よりあるし。
そんな考えが頭をもたげて、ため息が口から出た。
俺、疲れてんのかな。
井野口が見ていることにも気づかずに、俺はまたサッカーボール磨きの手を動かした。
・ ・ ・
慣れないストレスのせいか、頭痛がした。
小さくガンガンと鳴るこの痛みを和らげたかった俺は、保健室で市販の頭痛薬をもらう。
篠田 かなえ:
「あんまり酷かったら、病院に行くのよ」
黒田 睦実:
「はい。ありがとうございます」
養護教諭の篠田先生の心配もかわして、保健室を出る。
さぁ、これを飲んだら、部活に行かねば。
重いカバンを肩にかついで、廊下を歩く。
すると向こう側から、見知った人物がこちらに向かって歩いていた。
3年生の、中曽根先輩だ。
中曽根 悠:
「お、黒田。なんだか久しぶりだな」
黒田 睦実:
「こんにちは。お疲れさまです」
中曽根 悠:
「お疲れさまはいいよ。もう引退してんだし」
人懐っこい笑顔を見せる中曽根先輩は、大谷先輩とまた違った明るさがある。
そういえば小池先輩もここに加わって、大中小トリオなんて言われていたな。
仲がいい、3年生の先輩たち。
それが今の俺には、ちょっと羨ましい。
中曽根 悠:
「サッカー部の方はどうだ? うまくやれてるか?」
黒田 睦実:
「……えっと……」
聞かれたくなかった質問を投げかけられて、思わず言いよどむ。
──ツキンと、また鋭い痛みが頭を刺す。
うまくなんか……やれてない。
黒田 睦実:
「……」
中曽根 悠:
「……」
言葉がつかえてしまう。
バカ、こんなんじゃ中曽根先輩に変に思われるだろ。
追求されるかもしれない。
ぎゅっと胃まで、痛くなりそうだった。
中曽根 悠:
「……黒田」
黒田 睦実:
「は、はい」
上擦りそうになる返事をした俺に、中曽根先輩は笑いかける。
中曽根 悠:
「部活が終わったら、駅前のハンバーガー屋に来いよ」
黒田 睦実:
「……え?」
中曽根 悠:
「食いながら話そうぜ」
黒田 睦実:
「!」
中曽根 悠:
「1人でもいいし、サッカー部のやつらを連れて来てもいいからさ」
黒田 睦実:
「……はい」
中曽根先輩は、何も聞いてこなかった。
ただハンバーガー屋に誘ってくれただけで、ニコリと笑う。
彼は「じゃーな」と手を振り、下駄箱のある方へと消える。
それを見届けると、さっきまで俺の頭を占めていた痛みは、頭痛薬を飲んでもないのになぜかスッと和らいでいた。
・ ・ ・
部活後。
言われたとおりに駅前のハンバーガー屋を訪れると、なんと中曽根先輩以外にも人がいた。
大谷先輩と小池先輩。
つまり、かの有名な大中小トリオが、俺を待っていたのだ。
大谷 圭介:
「うっすうっす、黒田~」
小池 隼人:
「お疲れさま、黒田くん」
黒田 睦実:
「こ、こんばんは!」
先輩たちと3対1なんて、これは一体何事だ!?
しかし、無邪気に笑う中曽根先輩は、隣のイスを引いてそこに座れと呼んでいる。
おずおずと座る俺。
目の前に大谷先輩、斜め前には小池先輩。
テーブルには、もう俺の分のジュースやポテトまで用意されていて、恐縮してしまう。
大谷 圭介:
「遠慮すんな黒田、今日は俺らの奢りだ!」
黒田 睦実:
「す、すみません」
中曽根 悠:
「なに偉そうに言ってんだ、大谷。お前五十円しか出してないじゃん」
大谷 圭介:
「バカヤロ中曽根! それを言うなっつーの」
小池 隼人:
「まぁ、トータルでそんなにかかってないから。気にしないでね」
黒田 睦実:
「はは……ありがとうございます」
にぎやかな3人のやり取りに、変な緊張も和らぐ。
この人たちは、本当にいつも楽しそうだ。
俺はいただきます、とストローをすすった。
コーラの炭酸が、部活後の疲労を飛ばしてくれるかのように喉を潤した。
大谷 圭介:
「……で、黒田部長よ」
大谷 圭介:
「なんか行き詰まってんのか?」
黒田 睦実:
「!」
前部長の大谷先輩から言われて、薄れていた痛みが頭をよぎる。
でも。
中曽根先輩に誘われた時から、そう問われることはわかっていた。
相談する覚悟を──俺はやっと、決めたのだ。
黒田 睦実:
「……」
コクンと唾を飲む。
勇気を出して、俺は言った。
黒田 睦実:
「……俺、うまくみんなを引っ張れてないんです」
言うことはとても恥ずかしいし、無様に思えた。
でも、ここまで来て誤魔化すことなんかできない。腹をくくる。
黒田 睦実:
「みんなの前で話すのも苦手だし………」
黒田 睦実:
「同級生からは、認めてもらえてないし」
黒田 睦実:
「俺……部長に向いてない気がするんです」
言っているうちに顔は下を向き、無機質なテーブルしか見えなくなる。
かっこ悪い。
立派だった部長の前で、こんな弱音を吐くなんて。
でも口は止まらない。
あふれ出すように、情けない言葉が出てくる。
黒田 睦実:
「大谷先輩のように、やれないんです」
黒田 睦実:
「俺……大谷先輩みたいにはなれません」
こぼれ落ちた声は、最後はかき消えるような小ささだった。
弱音を吐くことは、どうしても苦手だ。
頭を下げる。
でも。
そんな俺のつむじに投げかけるように。
大谷 圭介:
「……黒田」
大谷先輩の声が届く。
大谷 圭介:
「当たり前だろ。俺だって、お前にはなれねーよ」
黒田 睦実:
「!」
その声に顔を上げると。
見慣れた大谷先輩の明るい笑顔と、かち合った。
◇ 続く ◇




