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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.51 手を伸ばせ (2)「黒田くんの悩み」

 10月上旬の早朝。

 俺は、いち早くサッカー部の部室兼更衣室に1人でいた。


 隅っこに積まれたサッカーボールを、イスに座り一つ一つ布きれで磨いている。

 これはレギュラー入りしてから、ずっと続けている日課だ。

 別に、部のためにとかじゃない。

 ただ、自分のサッカー向上ができるように続けている、願掛けやジンクスみたいなもんだった。


 少しだけ肌寒い秋の朝。

 誰も来ることはない。


 と、思っていたら。


 井野口 栄治:

「へ、黒田?」


 なんと、井野口が扉を開けてやってきた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 手を伸ばせ

(2)「黒田くんの悩み」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 黒田 睦実:

「……うっす」


 別に悪いことをしていたわけじゃないのに、見られたことが居心地悪くて、ぶっきらぼうな挨拶をしてしまう。

 井野口は目を丸くして、俺に近づいた。


 井野口 栄治:

「何してんの、黒田」


 黒田 睦実:

「……ボール磨き」


 井野口 栄治:

「いやそりゃ、見てわかるけどさ」


 何でお前がしてんの? と、井野口は首をかしげる。

 たしかに1年生にやらせればいいような雑用だ。

 ただ俺は、自分が落ち着くからしているだけであって、大した意味なんかない。

 それを上手く説明できる自信がなかった。


 黒田 睦実:

「……まぁ、なんとなく」


 井野口 栄治:

「……ふーん?」


 黒田 睦実:

「それより、お前はどうしたんだよ」


 井野口 栄治:

「あ、俺、昨日ここに忘れ物してさー」


 井野口は自分のロッカーを開け、荷物を漁りだした。

 たくさんの物がごちゃっと入っている。

 教室に教科書や教材を置くことを禁止されているから、更衣室がある運動部は、臭いロッカーによく物をためているのだ。


 黒田 睦実:

「お前、物ためすぎ」


 雪崩でも起きるんじゃないかと思えた井野口のロッカーに、苦笑がもれる。

 そんな俺を見て、井野口は照れくさそうに笑った。


 井野口 栄治:

「るっせーよ」


 井野口は、よく笑う。

 それは無表情や静かだと言われがちな俺にとっては、羨ましいことだ。


 ──井野口が部長のほうが、よかったんじゃないかな。サッカー歴も俺よりあるし。


 そんな考えが頭をもたげて、ため息が口から出た。

 俺、疲れてんのかな。

 井野口が見ていることにも気づかずに、俺はまたサッカーボール磨きの手を動かした。



 ・   ・   ・



 慣れないストレスのせいか、頭痛がした。

 小さくガンガンと鳴るこの痛みを和らげたかった俺は、保健室で市販の頭痛薬をもらう。


 篠田 かなえ:

「あんまり酷かったら、病院に行くのよ」


 黒田 睦実:

「はい。ありがとうございます」


 養護教諭の篠田先生の心配もかわして、保健室を出る。

 さぁ、これを飲んだら、部活に行かねば。


 重いカバンを肩にかついで、廊下を歩く。

 すると向こう側から、見知った人物がこちらに向かって歩いていた。

 3年生の、中曽根先輩だ。


 中曽根 悠:

「お、黒田。なんだか久しぶりだな」


 黒田 睦実:

「こんにちは。お疲れさまです」


 中曽根 悠:

「お疲れさまはいいよ。もう引退してんだし」


 人懐っこい笑顔を見せる中曽根先輩は、大谷先輩とまた違った明るさがある。

 そういえば小池先輩もここに加わって、大中小トリオなんて言われていたな。

 仲がいい、3年生の先輩たち。

 それが今の俺には、ちょっと羨ましい。


 中曽根 悠:

「サッカー部の方はどうだ? うまくやれてるか?」


 黒田 睦実:

「……えっと……」


 聞かれたくなかった質問を投げかけられて、思わず言いよどむ。


 ──ツキンと、また鋭い痛みが頭を刺す。

 うまくなんか……やれてない。


 黒田 睦実:

「……」


 中曽根 悠:

「……」


 言葉がつかえてしまう。

 バカ、こんなんじゃ中曽根先輩に変に思われるだろ。

 追求されるかもしれない。

 ぎゅっと胃まで、痛くなりそうだった。


 中曽根 悠:

「……黒田」


 黒田 睦実:

「は、はい」


 上擦りそうになる返事をした俺に、中曽根先輩は笑いかける。


 中曽根 悠:

「部活が終わったら、駅前のハンバーガー屋に来いよ」


 黒田 睦実:

「……え?」


 中曽根 悠:

「食いながら話そうぜ」


 黒田 睦実:

「!」


 中曽根 悠:

「1人でもいいし、サッカー部のやつらを連れて来てもいいからさ」


 黒田 睦実:

「……はい」


 中曽根先輩は、何も聞いてこなかった。

 ただハンバーガー屋に誘ってくれただけで、ニコリと笑う。

 彼は「じゃーな」と手を振り、下駄箱のある方へと消える。


 それを見届けると、さっきまで俺の頭を占めていた痛みは、頭痛薬を飲んでもないのになぜかスッと和らいでいた。



 ・   ・   ・



 部活後。

 言われたとおりに駅前のハンバーガー屋を訪れると、なんと中曽根先輩以外にも人がいた。

 大谷先輩と小池先輩。

 つまり、かの有名な大中小トリオが、俺を待っていたのだ。


 大谷 圭介:

「うっすうっす、黒田~」


 小池 隼人:

「お疲れさま、黒田くん」


 黒田 睦実:

「こ、こんばんは!」


 先輩たちと3対1なんて、これは一体何事だ!?


 しかし、無邪気に笑う中曽根先輩は、隣のイスを引いてそこに座れと呼んでいる。

 おずおずと座る俺。

 目の前に大谷先輩、斜め前には小池先輩。

 テーブルには、もう俺の分のジュースやポテトまで用意されていて、恐縮してしまう。


 大谷 圭介:

「遠慮すんな黒田、今日は俺らの奢りだ!」


 黒田 睦実:

「す、すみません」


 中曽根 悠:

「なに偉そうに言ってんだ、大谷。お前五十円しか出してないじゃん」


 大谷 圭介:

「バカヤロ中曽根! それを言うなっつーの」


 小池 隼人:

「まぁ、トータルでそんなにかかってないから。気にしないでね」


 黒田 睦実:

「はは……ありがとうございます」


 にぎやかな3人のやり取りに、変な緊張も和らぐ。

 この人たちは、本当にいつも楽しそうだ。

 俺はいただきます、とストローをすすった。

 コーラの炭酸が、部活後の疲労を飛ばしてくれるかのように喉を潤した。


 大谷 圭介:

「……で、黒田部長よ」


 大谷 圭介:

「なんか行き詰まってんのか?」


 黒田 睦実:

「!」


 前部長の大谷先輩から言われて、薄れていた痛みが頭をよぎる。


 でも。

 中曽根先輩に誘われた時から、そう問われることはわかっていた。

 相談する覚悟を──俺はやっと、決めたのだ。


 黒田 睦実:

「……」


 コクンと唾を飲む。

 勇気を出して、俺は言った。


 黒田 睦実:

「……俺、うまくみんなを引っ張れてないんです」


 言うことはとても恥ずかしいし、無様に思えた。

 でも、ここまで来て誤魔化すことなんかできない。腹をくくる。


 黒田 睦実:

「みんなの前で話すのも苦手だし………」


 黒田 睦実:

「同級生からは、認めてもらえてないし」


 黒田 睦実:

「俺……部長に向いてない気がするんです」


 言っているうちに顔は下を向き、無機質なテーブルしか見えなくなる。


 かっこ悪い。

 立派だった部長の前で、こんな弱音を吐くなんて。


 でも口は止まらない。

 あふれ出すように、情けない言葉が出てくる。


 黒田 睦実:

「大谷先輩のように、やれないんです」


 黒田 睦実:

「俺……大谷先輩みたいにはなれません」


 こぼれ落ちた声は、最後はかき消えるような小ささだった。

 弱音を吐くことは、どうしても苦手だ。

 頭を下げる。

 でも。


 そんな俺のつむじに投げかけるように。


 大谷 圭介:

「……黒田」


 大谷先輩の声が届く。


 大谷 圭介:

「当たり前だろ。俺だって、お前にはなれねーよ」


 黒田 睦実:

「!」


 その声に顔を上げると。

 見慣れた大谷先輩の明るい笑顔と、かち合った。




 ◇ 続く ◇

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