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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.45 笑う猫にくちづけを(4・終)「笑っているから」

 2日目の夜、俺は泊まり先となるホテルで堂本と同室になっていた。


 こういうとき、ブラブラと一人いなくなる堂本のような存在はありがたい。俺だって一人になりたい気分だった。


 さっさと風呂に入って寝ちまおうか、と考えていたときだ。

 堂本が、コンビニ袋を携えて部屋に戻ってきた。

 どうやら外まで買いに出かけていたらしい。


 堂本 信広:

「お前も何か食うか?」


 お菓子のチョイスが、スルメイカやビーフジャーキーと親父臭い。

 つい笑って、丁重にお断りをした。


 中曽根 悠:

「大丈夫だよ。それより、酒とか買ってそうなラインナップだな」


 堂本 信広:

「残念ながら酒は買えねーよ」


 そう言って堂本は、炭酸飲料の缶を開ける。プシッと小気味良い音とともに、柑橘の香りが広がった。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 笑う猫にくちづけを

(4)「笑っているから」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 堂本 信広:

「そういやさ、彼女大丈夫なわけ?」


 中曽根 悠:

「へ?」


 堂本はベッドに座ってジュースを飲みながら、そう言った。

 隣のベッドに腰掛けていた俺は、突然の言葉に驚く。

 彼女って、るりのことだよな?


 目を瞬かせる俺に、堂本はお菓子の袋を開けながら言葉を続けた。


 堂本 信広:

「さっき帰ってくるとき、ロビーのソファーで保健医と話してるとこ見たけど」


 中曽根 悠:

「るりが……?」


 ドキッと小さく胸が鳴る。

 約束を破ってしまった俺。

 そんな俺に、るりは何を思っただろうか。


 堂本 信広:

「そういや、カフェで会ったとき、お前いないから浮気してんじゃねー、なんて女子に言われて怒ってたな」


 中曽根 悠:

「……はぁ!?」


 浮気!?


 というか、いないだけでそんな詮索されるなんて、冗談じゃねーよ!

 つい俺は憤る。


 ……でも。


 中曽根 悠:

(るり……不安にしてるのかな)


 思えば俺は、きちんと今の状況を彼女に伝えていない。

 だってペットの死期が近いから落ち込んでいたなんて、人によっては「そんなことで」と思われてしまうかもしれない。


 でも、俺にとっては重大なことだ。

 いなくなれば、ぽっかりと心に穴が空き、油断すれば泣きたくなるほどの悲しみだった。

 それを、るりが笑うだろうか。

 そんなはずはない。だって彼女は優しいから。


 優しくて……。

 優しい彼女、だから……。


 不安を、抑え込んでいるかもしれない。


 中曽根 悠:

「…………」


 そうして俺は、ようやく気づく。

 今回の俺の行動が、どれだけるりを不安にさせていたのかって。

 スマホを開いて、るりとのメッセージ画面を見る。

 心配した彼女に対する冷たい自分の言葉の羅列に、馬鹿野郎と叫びたくなった。


 中曽根 悠:

「……俺、ちょっと出てくる」


 堂本 信広:

「あ? ああ」


 スルメイカを口に咥えたまま、堂本は答える。

 俺は鍵だけ持って、るりがいたというロビーに向かった。


 そして俺は、1階のロビー近くのソファで、背を向けて篠田先生と話している彼女を見つけたんだ。

 頭を下にさげている。

 腕はぎゅっと寄せている。

 きっと泣いているんだろう、とすぐにわかった。


 泣いていたるりを引き連れて、誰もいない長椅子に座り、事情を話した。

 話しているうちに、涙が出ちまって。

 情けない、と思ったのに、るりはそんな俺を抱きしめてくれた。


 戸田 るり:

「悠のせいなんかじゃ……ないんだよ……」


 るりも泣きそうな声を出しながら、俺をなぐさめてくれた。


 大好きなるり。

 おばけも苦手な弱虫で、人見知りしがちな彼女を、いつも俺が守ったり引っ張っている気でいた。


 でも本当は。

 俺が救われていたんだ。

 この小さな手に。


 中曽根 悠:

「キス……していい?」


 だからもう一度。

 ちゃんとしたいと思った。


 戸田 るり:

「……うん」


 るりも受け止めてくれた。

 互いに顔を寄せ合って。


 ようやく俺は、素直な優しい気持ちで、るりとキスをすることができたんだ。



 ・   ・   ・



 そうして修学旅行を終えた俺は帰宅し、スズにやっと対面できた。


 一昨日に、息を引き取ったというスズ。

 彼女は葬儀社が持ってきたという小さな木箱の中に収まり、毛布に包まれ眠るように中にいた。

 保冷剤に囲まれたスズの体まわりからは、冷気が漂っている。

 瞳は閉ざされ、口元はやっぱり、笑うように端っこを上げて閉じていた。


 中曽根 悠:

「……スズ」


 そっと、手を差し伸べる。

 柔らかだった灰色の体を撫ぜると、やはりそれは柔らかく、俺の手を受け止めた。

 家族の誰かが、ブラッシングをしてあげたのだろう。汚れ一つない、キレイな毛並みだった。


 冷たくなったそれが、もうスズが動かないことを俺に教えている。

 顔を寄せた。

 涙が止まらなかった。

 背後に立っていた両親も姉貴も、そんな俺に何も声をかけなかった。


 そっとスズに、顔を寄せ。


 さようならのくちづけを、俺はした。



 ・   ・   ・



 スズがいなくなっても、俺の日常は続いていく。

 夏休みとなった俺の生活は、部活ばかりだ。


 弱小と言われていた俺たち青葉中のサッカー部も、今年の地区予選突破を目指して気合が入っている。

 俺もそれに、乗り遅れるわけにはいかない。

 サッカー部が終わって帰宅し、大谷と小池とも別れた後。

 一人で歩いていると、意外な人物と出会った。


 西村 克己:

「やあ、悠くん」


 中曽根 悠:

「克己先生」


 西村動物病院の院長、克己先生だった。

 そういえば、あそこの病院は月曜休みだっけ、と思い出す。


 白衣でない克己先生は、Tシャツにスラックスというラフな服装で、そうするといつもより若く見えた。

 道端で出会った彼は、俺の隣に並び、以前よりも優しく見える目で話しかけた。


 西村 克己:

「スズちゃんのことは、お母さんから聞いたよ。ちゃんと、葬儀してあげたんだね」


 中曽根 悠:

「……はい」


 忘れていたはずのスズの喪失感が、また胸を締めつける。

 あれから、俺の胸にはいまだにぽっかりと穴が空いている。


 埋められない、小さな穴。

 それに形があるならば、きっと猫が丸まった形のように丸く、小さい。


 中曽根 悠:

「……先生」


 西村 克己:

「ん?」


 中曽根 悠:

「俺、看取れなかったんだ」


 西村 克己:

「……」


 中曽根 悠:

「修学旅行に行ってて……帰ってきたら、死んでた」


 西村 克己:

「……そうみたいだね」


 克己先生は、もう母さんから聞いて知っていたようだ。

 だから今、俺に話しかけてきてくれたのだろうか。

 ゆっくりと、俺の歩幅に合わせながら、言葉を続けてくれた。


 西村 克己:

「僕もね、そうだったんだ」


 その言葉に、俺は下げていた視線を克己先生に向ける。

 彼はまっすぐに前方を見て、どこか遠い目をしながら言った。


 西村 克己:

「小さい頃、シリウスっていう犬を飼ってたんだ。大きなゴールデンレトリバーでね。とても優秀で頭のいい子だった」


 その目は、懐かしげに細められている。


 西村 克己:

「彼は病気だった。父にも、もう打つ手はないと言われて、安楽死を提案された」


 中曽根 悠:

「!」


 西村 克己:

「でも、僕にはできなかった。できる限りの延命治療をしてもらい、なるべく長くそばにいられるように頑張った」


 西村 克己:

「けれど、学校に行っている間に、彼は死んだ」


 中曽根 悠:

「……」


 そこで克己先生は、俺を見る。

 眼鏡の奥の瞳は少しだけ、悲しそうだった。


 克己先生:

「僕は思ったよ。もしかしたら、安楽死の方がよかったんじゃないかって。みんなが見守る中、旅立たせてあげた方が彼には幸せだったんじゃないかって」


 もがき苦しみ、死に近づく痛みを味わわせ続けることよりも……と、克己先生は告げる。

 それは、俺も思っていたことだった。


 スズ。お前も苦しくなかったか?

 息を引き取るその時間まで、苦痛は続いていたのか?

 早く楽になりたかったか?


 そう考えると、俺たちの判断は間違っていたんじゃないかと怖くて──震えそうになるんだ。


 中曽根 悠:

「……スズ……」


 中曽根 悠:

「……スズ、も……そうだったのかな……」


 俺の不安が溢れ出す。

 その言葉を待っていたかのように、克己先生は穏やかに言った。


 西村 克己:

「悠くん」


 西村 克己:

「最期にばかり気を取られないで。どうか、今までのスズちゃんとのことも思い出してほしい」


 中曽根 悠:

「!」


 西村 克己:

「元気だった頃のスズちゃんはどうだった? 幸せそうにしていた?」


 西村 克己:

「彼や彼女たちは、言葉を話せない。だから、何がよかったかなんて、僕らはきっと永遠にわからないんだ」


 西村 克己:

「でも……」


 そこで克己先生は、俺の頭を撫でてきた。

 それは幼子にするような行為だったのに、ポンポンと優しく置かれた手のひらは大きく、温かなものだ。


 西村 克己:

「君の答えはきっと、たくさんの思い出の中にある」


 西村 克己:

「スズちゃんとの思い出の中に」


 中曽根 悠:

「…………っ」


 俺とスズの思い出の中。

 そんなの、思い出せば簡単に答えが出た。


 視界がぼやけていく。

 ぼやけていく風景の中にはっきりと浮かんでくるのは──ロシアンスマイルが可愛い、スズの顔だったんだ。


 中曽根 悠:

「……スズは……」


 中曽根 悠:

「笑ってた。……いつも、笑ってたよ」


 西村 克己:

「…………」


 西村 克己:

「そうか……」


 西村 克己:

「素敵なことだね」


 猫が笑うはずがない。

 ただのロシアンブルーの血を引き継いだ、体の特徴だ。


 それでも。

 それでも俺の記憶の中のスズは、いつだって笑っているんだ。

 口の端っこをあげて、にっこりと。


 涙を拭った。

 もうスズのことで泣くのは、これで最後にしようと心に誓う。


 だって。

 なあ、スズ。

 お前にこんな泣き顔ばかりを見せたら、お前はますます笑っちまうだろう?


 目を閉じればよみがえる、スズの顔。

 それはいつだって、ただ微笑んでいるように見える、ちょっと変わった猫の表情だった。




 ◇ 終わり ◇

❀次エピソードへ続く

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