Ep.45 笑う猫にくちづけを(4・終)「笑っているから」
2日目の夜、俺は泊まり先となるホテルで堂本と同室になっていた。
こういうとき、ブラブラと一人いなくなる堂本のような存在はありがたい。俺だって一人になりたい気分だった。
さっさと風呂に入って寝ちまおうか、と考えていたときだ。
堂本が、コンビニ袋を携えて部屋に戻ってきた。
どうやら外まで買いに出かけていたらしい。
堂本 信広:
「お前も何か食うか?」
お菓子のチョイスが、スルメイカやビーフジャーキーと親父臭い。
つい笑って、丁重にお断りをした。
中曽根 悠:
「大丈夫だよ。それより、酒とか買ってそうなラインナップだな」
堂本 信広:
「残念ながら酒は買えねーよ」
そう言って堂本は、炭酸飲料の缶を開ける。プシッと小気味良い音とともに、柑橘の香りが広がった。
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笑う猫にくちづけを
(4)「笑っているから」
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堂本 信広:
「そういやさ、彼女大丈夫なわけ?」
中曽根 悠:
「へ?」
堂本はベッドに座ってジュースを飲みながら、そう言った。
隣のベッドに腰掛けていた俺は、突然の言葉に驚く。
彼女って、るりのことだよな?
目を瞬かせる俺に、堂本はお菓子の袋を開けながら言葉を続けた。
堂本 信広:
「さっき帰ってくるとき、ロビーのソファーで保健医と話してるとこ見たけど」
中曽根 悠:
「るりが……?」
ドキッと小さく胸が鳴る。
約束を破ってしまった俺。
そんな俺に、るりは何を思っただろうか。
堂本 信広:
「そういや、カフェで会ったとき、お前いないから浮気してんじゃねー、なんて女子に言われて怒ってたな」
中曽根 悠:
「……はぁ!?」
浮気!?
というか、いないだけでそんな詮索されるなんて、冗談じゃねーよ!
つい俺は憤る。
……でも。
中曽根 悠:
(るり……不安にしてるのかな)
思えば俺は、きちんと今の状況を彼女に伝えていない。
だってペットの死期が近いから落ち込んでいたなんて、人によっては「そんなことで」と思われてしまうかもしれない。
でも、俺にとっては重大なことだ。
いなくなれば、ぽっかりと心に穴が空き、油断すれば泣きたくなるほどの悲しみだった。
それを、るりが笑うだろうか。
そんなはずはない。だって彼女は優しいから。
優しくて……。
優しい彼女、だから……。
不安を、抑え込んでいるかもしれない。
中曽根 悠:
「…………」
そうして俺は、ようやく気づく。
今回の俺の行動が、どれだけるりを不安にさせていたのかって。
スマホを開いて、るりとのメッセージ画面を見る。
心配した彼女に対する冷たい自分の言葉の羅列に、馬鹿野郎と叫びたくなった。
中曽根 悠:
「……俺、ちょっと出てくる」
堂本 信広:
「あ? ああ」
スルメイカを口に咥えたまま、堂本は答える。
俺は鍵だけ持って、るりがいたというロビーに向かった。
そして俺は、1階のロビー近くのソファで、背を向けて篠田先生と話している彼女を見つけたんだ。
頭を下にさげている。
腕はぎゅっと寄せている。
きっと泣いているんだろう、とすぐにわかった。
泣いていたるりを引き連れて、誰もいない長椅子に座り、事情を話した。
話しているうちに、涙が出ちまって。
情けない、と思ったのに、るりはそんな俺を抱きしめてくれた。
戸田 るり:
「悠のせいなんかじゃ……ないんだよ……」
るりも泣きそうな声を出しながら、俺をなぐさめてくれた。
大好きなるり。
おばけも苦手な弱虫で、人見知りしがちな彼女を、いつも俺が守ったり引っ張っている気でいた。
でも本当は。
俺が救われていたんだ。
この小さな手に。
中曽根 悠:
「キス……していい?」
だからもう一度。
ちゃんとしたいと思った。
戸田 るり:
「……うん」
るりも受け止めてくれた。
互いに顔を寄せ合って。
ようやく俺は、素直な優しい気持ちで、るりとキスをすることができたんだ。
・ ・ ・
そうして修学旅行を終えた俺は帰宅し、スズにやっと対面できた。
一昨日に、息を引き取ったというスズ。
彼女は葬儀社が持ってきたという小さな木箱の中に収まり、毛布に包まれ眠るように中にいた。
保冷剤に囲まれたスズの体まわりからは、冷気が漂っている。
瞳は閉ざされ、口元はやっぱり、笑うように端っこを上げて閉じていた。
中曽根 悠:
「……スズ」
そっと、手を差し伸べる。
柔らかだった灰色の体を撫ぜると、やはりそれは柔らかく、俺の手を受け止めた。
家族の誰かが、ブラッシングをしてあげたのだろう。汚れ一つない、キレイな毛並みだった。
冷たくなったそれが、もうスズが動かないことを俺に教えている。
顔を寄せた。
涙が止まらなかった。
背後に立っていた両親も姉貴も、そんな俺に何も声をかけなかった。
そっとスズに、顔を寄せ。
さようならのくちづけを、俺はした。
・ ・ ・
スズがいなくなっても、俺の日常は続いていく。
夏休みとなった俺の生活は、部活ばかりだ。
弱小と言われていた俺たち青葉中のサッカー部も、今年の地区予選突破を目指して気合が入っている。
俺もそれに、乗り遅れるわけにはいかない。
サッカー部が終わって帰宅し、大谷と小池とも別れた後。
一人で歩いていると、意外な人物と出会った。
西村 克己:
「やあ、悠くん」
中曽根 悠:
「克己先生」
西村動物病院の院長、克己先生だった。
そういえば、あそこの病院は月曜休みだっけ、と思い出す。
白衣でない克己先生は、Tシャツにスラックスというラフな服装で、そうするといつもより若く見えた。
道端で出会った彼は、俺の隣に並び、以前よりも優しく見える目で話しかけた。
西村 克己:
「スズちゃんのことは、お母さんから聞いたよ。ちゃんと、葬儀してあげたんだね」
中曽根 悠:
「……はい」
忘れていたはずのスズの喪失感が、また胸を締めつける。
あれから、俺の胸にはいまだにぽっかりと穴が空いている。
埋められない、小さな穴。
それに形があるならば、きっと猫が丸まった形のように丸く、小さい。
中曽根 悠:
「……先生」
西村 克己:
「ん?」
中曽根 悠:
「俺、看取れなかったんだ」
西村 克己:
「……」
中曽根 悠:
「修学旅行に行ってて……帰ってきたら、死んでた」
西村 克己:
「……そうみたいだね」
克己先生は、もう母さんから聞いて知っていたようだ。
だから今、俺に話しかけてきてくれたのだろうか。
ゆっくりと、俺の歩幅に合わせながら、言葉を続けてくれた。
西村 克己:
「僕もね、そうだったんだ」
その言葉に、俺は下げていた視線を克己先生に向ける。
彼はまっすぐに前方を見て、どこか遠い目をしながら言った。
西村 克己:
「小さい頃、シリウスっていう犬を飼ってたんだ。大きなゴールデンレトリバーでね。とても優秀で頭のいい子だった」
その目は、懐かしげに細められている。
西村 克己:
「彼は病気だった。父にも、もう打つ手はないと言われて、安楽死を提案された」
中曽根 悠:
「!」
西村 克己:
「でも、僕にはできなかった。できる限りの延命治療をしてもらい、なるべく長くそばにいられるように頑張った」
西村 克己:
「けれど、学校に行っている間に、彼は死んだ」
中曽根 悠:
「……」
そこで克己先生は、俺を見る。
眼鏡の奥の瞳は少しだけ、悲しそうだった。
克己先生:
「僕は思ったよ。もしかしたら、安楽死の方がよかったんじゃないかって。みんなが見守る中、旅立たせてあげた方が彼には幸せだったんじゃないかって」
もがき苦しみ、死に近づく痛みを味わわせ続けることよりも……と、克己先生は告げる。
それは、俺も思っていたことだった。
スズ。お前も苦しくなかったか?
息を引き取るその時間まで、苦痛は続いていたのか?
早く楽になりたかったか?
そう考えると、俺たちの判断は間違っていたんじゃないかと怖くて──震えそうになるんだ。
中曽根 悠:
「……スズ……」
中曽根 悠:
「……スズ、も……そうだったのかな……」
俺の不安が溢れ出す。
その言葉を待っていたかのように、克己先生は穏やかに言った。
西村 克己:
「悠くん」
西村 克己:
「最期にばかり気を取られないで。どうか、今までのスズちゃんとのことも思い出してほしい」
中曽根 悠:
「!」
西村 克己:
「元気だった頃のスズちゃんはどうだった? 幸せそうにしていた?」
西村 克己:
「彼や彼女たちは、言葉を話せない。だから、何がよかったかなんて、僕らはきっと永遠にわからないんだ」
西村 克己:
「でも……」
そこで克己先生は、俺の頭を撫でてきた。
それは幼子にするような行為だったのに、ポンポンと優しく置かれた手のひらは大きく、温かなものだ。
西村 克己:
「君の答えはきっと、たくさんの思い出の中にある」
西村 克己:
「スズちゃんとの思い出の中に」
中曽根 悠:
「…………っ」
俺とスズの思い出の中。
そんなの、思い出せば簡単に答えが出た。
視界がぼやけていく。
ぼやけていく風景の中にはっきりと浮かんでくるのは──ロシアンスマイルが可愛い、スズの顔だったんだ。
中曽根 悠:
「……スズは……」
中曽根 悠:
「笑ってた。……いつも、笑ってたよ」
西村 克己:
「…………」
西村 克己:
「そうか……」
西村 克己:
「素敵なことだね」
猫が笑うはずがない。
ただのロシアンブルーの血を引き継いだ、体の特徴だ。
それでも。
それでも俺の記憶の中のスズは、いつだって笑っているんだ。
口の端っこをあげて、にっこりと。
涙を拭った。
もうスズのことで泣くのは、これで最後にしようと心に誓う。
だって。
なあ、スズ。
お前にこんな泣き顔ばかりを見せたら、お前はますます笑っちまうだろう?
目を閉じればよみがえる、スズの顔。
それはいつだって、ただ微笑んでいるように見える、ちょっと変わった猫の表情だった。
◇ 終わり ◇
❀次エピソードへ続く




