Ep.45 笑う猫にくちづけを(1)「笑っているように」
今でも、俺は覚えてるんだ。
スズと会った日のこと。
季節はそう──春だ。
中曽根 悠(3歳):
「死んでる……の?」
中曽根 雫(7歳):
「う……ううん、ほら、息してるよ」
俺は3歳だった。
姉貴の雫もまだ7歳で、手をつないで俺たちは、見つけてしまった毛玉に目を丸める。
公園の片隅、木の根元。
灰色の猫が体を伸ばして、目の上、額あたりから血を流していた。
それが俺、中曽根悠とスズの出会いだった。
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笑う猫にくちづけを
(1)「笑っているように」
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一緒に公園に来ていた母さんに報告すると、すぐにその猫を近所の動物病院へ連れていってくれた。
駆け込んだ先は、西村動物病院。
院長の西村先生は、優しそうなおじさんだった。
西村先生は治療をテキパキと施す。
猫はその間、助けられていることをわかっているかのように、じっと大人しくしていた。
西村先生:
「これは、人間にやられたんでしょうね。酷いことをするやつがいたもんだ」
背が低い俺は、診察台をのぞき込むために両手を引っかけ、足をぐんと伸ばした。
中曽根 悠(3歳):
「ニンゲンにやられたの? ひどい!」
そう怒った俺に目を細めながら、西村先生は母さんに声をかける。
大人同士で治療代のことや、今後のこの猫についてを話していた。
でも俺は、診察台の猫ばかりが気になって、目が必死に台よりも上になるように掴まっている。
中曽根 雫(7歳):
「猫ちゃん、可愛いねぇ」
隣の姉貴も、俺と同じように猫を見ていた。
猫も珍しそうに俺たちを見て、そして俺はあることに気づいてつぶやく。
中曽根 悠(3歳):
「猫、笑ってる」
なぜだかその時の俺には、目の前の猫が笑っているように見えたんだ。
そんな俺に西村先生は反応し、優しい声をかけた。
西村先生:
「ああ、この子はロシアンブルーの血が入ってるんだね」
西村先生:
「可愛いロシアンスマイルだ」
中曽根 悠(3歳):
「ろしあんすまいる?」
すると西村先生は、猫の口元に指をそえた。
西村先生:
「ほら、口の端っこが上がって笑っているように見えるだろう? ロシアンブルーの特徴だね。だから、ロシアンスマイルって言うんだよ」
中曽根 悠(3歳):
「へー」
と答えつつも、じつはあまりよく理解はしていなかった。
ただ目の前にいるのは、笑ったような顔をした変な猫、くらいの認識だ。
でもその猫が、俺は一気に気に入ってしまう。
んで結局。
俺と姉貴のゴリ押しで、猫は我が家に迎え入れることとなった。
母さんも猫を動物病院へ運んだ瞬間から、こうなることは覚悟していたのだろう。
まだ幼い俺たちを正座させ、人差し指をピシッと立ててこう言った。
母さん:
「いい? 引き取るからには、最後まできちんと面倒見るのよ!」
中曽根 雫・悠:
「はーい!」
無邪気に答えた俺と姉貴。
でも俺はその時、この言葉の意味をちゃんと分かってなんていなかったんだ。
最後まで。
──最期まで。
その言葉の重さを知るのは、それから12年後のこととなる。
・ ・ ・
中曽根 悠:
「今日もスズ、ご飯食べない」
中3の、6月に入ったばかりの頃。
口をつけられずにいたスズ専用の器を持って、俺は母さんに声をかけた。
母さんは少し眉を下げて言った。
母さん:
「……もう一度、病院に連れてく?」
中曽根 悠:
「……やだよ、あんなヤブ医者」
ムッと俺は口を尖らせた。
思い出しても腹が立ったからだ。
先週、最近めっきり食事も水分も摂取量が減ったスズを心配して、西村動物病院へ連れていった。
しかし今年に入ってから、院長が代わった。
西村先生の息子だというそいつは西村克己と言い、三十代前半の若い獣医だ。
やつは眼鏡の奥の目を細めて、冷たい声で言ったんだ。
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西村 克己:
「老衰ですね」
西村 克己:
「自然に任せて看取るのもありですが……」
西村 克己:
「安楽死を、私はおすすめします」
言われて俺は、カッと頭にきた。
「ふざけんな!」と怒鳴って、スズを抱きかかえた。前より軽くなったスズに、胸が苦しくなる。
そんな俺を母さんは慌てて叱って「すみません、先生」なんて言ってた。
どうして謝るんだよ!
死ぬのをすすめるなんて、とんだヤブ医者じゃねーか!
睨む俺に、克己先生は白衣ポケットに手を入れたまま、片手でクイッと眼鏡を整える。
西村 克己:
「悠くん、でしたっけ」
西村 克己:
「君ももう15才なら、死がどういうものか考えてみるといい」
──その言葉が、いたく俺の神経を逆なでた。
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そんなことを思い出しながら、俺はドーム型の猫用クッションで寝るスズをのぞき込む。
最近のスズは、寝てばかりだ。
たまに息をしてないんじゃないかと心配になって触って、緩く上下するお腹に安心するのが、俺の日課になっていた。
西村 克己:
「今の状態なら、いつ息を引き取ってもおかしくないでしょう」
克己先生の嫌なセリフが頭をよぎる。
中曽根 悠:
「スズ……長生きしてくれよな」
小さく呟いたと同時に、玄関で扉を開ける音がした。
姉貴の帰宅である。
中曽根 雫:
「ただいま! スズ元気?」
姉貴もスズの安否確認が日課になっている。
俺はのぞいていた頭を姉貴に振り向かせ、うなずいた。
中曽根 悠:
「当たり前だろ」
無理やり笑って答える。
そうしないと俺も不安になりそうで、スズの口元のように口角を上げた。
「君ももう15才なら、死がどういうものか考えてみるといい」
克己先生の言葉が、俺の頭をガンガンと痛ませる。
死なんて、ニュースやテレビ、漫画の中にはありふれているほどに存在していた。
でもそれは、俺にとってリアルじゃない。
両方の祖父母も健在で、今まで身近な死なんか小学校の頃に生き物係で飼った金魚くらいだった。
死はいつだって、フィクションのもの。
遠い世界の、自分には関係しないものだった。
でも今は。
フィクションじゃないスズの死が、近づいている。
それは、猫の足音のように静かで聞こえない。そろりそろりといつの間にか、そこにいたんだ。
・ ・ ・
それでも家から離れ学校へ行けば、俺は学校生活をいつもどおりに過ごしていた。
勉強にも力を入れ始めなければいけなかったし、サッカー部の大きな大会は夏が本番だ。忙しい6月は、あっという間に過ぎていく。
そして7月。
るりといつもの帰り道。
彼女は嬉しそうに、修学旅行の話をしてくれた。
戸田 るり:
「悠は行きたいところある?」
中曽根 悠:
「んー、特には」
戸田 るり:
「もう、張り合いがないなぁ」
と言いつつも笑顔のるりは、本当に修学旅行が楽しみなんだろう。
俺が提案した自由行動の企画を、うきうきと考えている。
中曽根 悠:
「…………」
るりに、情けないところは見せたくない。
落ち込んでるところも、悩んでいる姿も見せたくない。
それは小さな頃から抱く、るりに対する俺のプライドだった。
戸田 るり:
「……なに? 悠」
俺の視線に気づいたのか、るりがこちらを見る。
少し上目遣いの彼女の目を、俺はまっすぐに見られない。
中曽根 悠:
「……ううん。何でもない」
誤魔化すように、るりの手を握った。
もうすっかり慣れたるりは、それくらいで恥ずかしがることはなくなった。
きゅ、と確かめるように、俺の手を握り返してくれる。
その温もりが何だかとても嬉しくて──愛おしくて。
俺は、るりの前では明るくいようと、スズのように口の端っこを上げて笑った。
◇ 続く ◇




