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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.44 ふれる(5)「君のこと」

 背後から聞こえた、悠の声。

 ロビーのソファー席に現れた彼に対して、私はとっさに振り返ることができなかった。


 だって今、私は泣いているから。

 こんな顔、見せたくなかった。


 中曽根 悠:

「……あの、今るりと、話させてもらっていいですか」


 悠は私の背後から先生に声をかけている。

 近くに彼の気配を感じて、心臓が早くなった。


 篠田 かなえ:

「戸田さんがいいなら」


 先生はそう言って、私に微笑んだ。

 私は小さくうなずいて、ハンカチをほっぺに当てたまま立ち上がる。

 すると悠の姿が私にも見えて、目が合う。

 悠が一瞬、辛そうな顔をしたのはやはり、私が泣いていたからに違いなかった。


 中曽根 悠:

「……るり、ごめん」


 中曽根 悠:

「俺、ちゃんと話すから」


 悠はそう言って、先生の前にもかかわらず、私の手を握ってくれた。

 少しだけ混乱していた私は、ハンカチを先生に返すこともできずに、ただ悠の手の温もりに安心して彼の後について行くだけだ。

 篠田先生は優しく、そんな私たちを見送ってくれた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 ふれる

(5)「君のこと」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 悠はしばらく、ホテルのどこで話をしようか迷っているように歩く。

 そしてようやく、中庭の見える廊下の奥にある長椅子に腰をかけた。私も隣に腰を下ろす。


 私は壁側に座って、悠は通路のT字が見える側へと座った。

 持っていたペットボトルと財布は壁側に置いて、悠との間に少しだけの隙間を空ける。


 2人の眼前にあるガラス越しの外では、ライトアップされた中庭が、キラキラと照明を光らせている。

 こんな状況じゃなければロマンチックな、素敵な光景だった。


 中曽根 悠:

「……もう、大丈夫?」


 悠は泣いていた私を気にするように、優しく声をかけてくれた。

 両手を膝に置いて、小さくうなずく。

 その手の中には、篠田先生のハンカチ。ああ、返しそびれちゃった。


 中曽根 悠:

「……」


 戸田 るり:

「……」


 中曽根 悠:

「……あの、ごめんな。約束破っちゃって」


 その言葉に私は、頭を縦にも横にも振れない。

 ただじっと、膝の上の手を見つめていた。


 中曽根 悠:

「あと……嘘ついたことも」


 中曽根 悠:

「……ごめん」


 悠は何度も謝罪する。

 でも私が聞きたいのは、そんなことじゃなかった。グッと膝の上の拳を握る。


 戸田 るり:

「……何で、だったの?」


 中曽根 悠:

「……」


 戸田 るり:

「理由……教えてくれる……?」


 口から出る声が震えそうで、心臓はドキドキしている。

 ようやく涙が引っ込んだ目を、悠に向けた。その顔はちょっと、怒っているように見えたかもしれない。

 でも悠は、もう伝える気でいたのだろう。

 小さくうなずいて、そして視線を下に落とした。


 中曽根 悠:

「……あのな」


 中曽根 悠:

「……スズが昨日、死んだんだ」


 戸田 るり:

「……え?」


 予想していない言葉だった。


 スズちゃん。

 それは最近私も見た、悠の大切な家族の一員である、飼い猫の名前だったから。


 中曽根 悠:

「昨日の夜、姉貴から連絡入って……」


 中曽根 悠:

「それで俺、すげぇ動揺しちゃって……気分も落ち込んじまって」


 ポツリ、ポツリと話す悠の声。


 中曽根 悠:

「こんな気持ちじゃ、るりに申し訳ないなぁなんて思って……」


 中曽根 悠:

「こんな俺より友達といた方が楽しいだろーって、思ったんだけどさ」


 その声は少しずつ小さくなったり、大きくなったり。


 中曽根 悠:

「でも逆に不安にさせちゃったよな……本当にごめん」


 たまに震えたり。


 中曽根 悠:

「……ごめんな」


 不安定に揺れる声。

 それは、いつも元気な悠があまり聞かせない、彼の弱い声だった。


 戸田 るり:

「……っ」


 戸田 るり:

「そう、だったの……」


 私の声まで、震えそうになる。


 何でだろう。胸が痛い。

 スズちゃんが死んだことも、ショックだったけど。

 でも今は。

 それを悲しむ悠の姿が──悲しみをごまかそうと気丈にいようとする彼の姿が、私の胸には痛かった。


 中曽根 悠:

「前から、獣医には老衰だって言われてたんだ。いつ息を引き取っても、おかしくないって」


 中曽根 悠:

「はは……でもまさか、修学旅行中に亡くなるなんてさ」


 戸田 るり:

「……」


 悠。

 悠。

 そんな顔、しないで。

 そんな顔、しなくていいんだよ。


 震える頬を、無理やり上げようとする彼。

 落ちそうになる顔を必死に上げて、こちらに明るい顔を向けようとする。


 そんな彼の姿に、私の胸はさらにぎゅっとなる。

 思わず、長椅子に置かれていた彼の手を握りしめた。


 中曽根 悠:

「!」


 悠は、びっくりしたようにこちらを見る。

 私はそんな彼に対して、自分も震えそうになる声を絞り出して伝えた。


 戸田 るり:

「悠、笑わなくていいよ」


 中曽根 悠:

「……!」


 戸田 るり:

「私の前で無理に表情、作らなくていい」


 ううん、そうじゃない。

 作らなくていい、じゃなくて……。


 戸田 るり:

「……作らないで」


 中曽根 悠:

「……」


 重ねた手の下にある彼の手が、かすかに揺れた。


 悠は、しばらく私をじっと見て。

 そして、何か言葉を発しようとして失敗したかのように、口から抜け出すような空気がもれた。


 中曽根 悠:

「……っ」


 中曽根 悠:

「……俺……本当は、修学旅行も休んじゃおうかって、思ってたんだ」


 中曽根 悠:

「こんな状況のスズと離れたくないって……思って……」


 震える声で、悠はそう言って。

 涙を滲ませながら、顔をうつむけ、言葉を紡いだ。


 中曽根 悠:

「でも、親も行けって言うし……それに俺だって結局、最後は行きたいって思っちまったし……っ」


 中曽根 悠:

「るりとの京都だって、本当に楽しみにしてたんだよ」


 それはあふれ出すように、流れて、私に届く。

 涙が、彼自身の太ももを濡らした。

 滲んだ水滴がズボンの生地に溶けていき、濃い色をつける。


 中曽根 悠:

「でも、そんなことを考えてる自分が、すげぇ薄情な気がして……だからスズも、俺がいない時に死んじゃったような気がして……俺……」


 戸田 るり:

「そ、そんなこと……!」


 グッと息を飲む。

 切なさが、急に胸をしめつけて苦しめる。


 悠がこんな風に泣くところを、初めて見た。それが私を戸惑わせる。

 その戸惑いのままに、腕を伸ばす。

 伸ばした腕は、自分より大きいはずなのに小さく見える彼の体を、横から抱いて、ぎゅっとしがみついた。


 戸田 るり:

「そんなことないよ悠! ……絶対ない!」


 中曽根 悠:

「…………」


 戸田 るり:

「悠のせいなんかじゃ……ないんだよ……」


 悠の体は、動かなかった。

 ただ、私に抱きつかれたまま涙を落として、外を見ている。


 そんな中。


 トクントクンと。


 近くなった彼の心臓音が、伝わってくる。

 それがやけに私をホッとさせて、切なくさせた。




 ◇ 続く ◇

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