Ep.44 ふれる(5)「君のこと」
背後から聞こえた、悠の声。
ロビーのソファー席に現れた彼に対して、私はとっさに振り返ることができなかった。
だって今、私は泣いているから。
こんな顔、見せたくなかった。
中曽根 悠:
「……あの、今るりと、話させてもらっていいですか」
悠は私の背後から先生に声をかけている。
近くに彼の気配を感じて、心臓が早くなった。
篠田 かなえ:
「戸田さんがいいなら」
先生はそう言って、私に微笑んだ。
私は小さくうなずいて、ハンカチをほっぺに当てたまま立ち上がる。
すると悠の姿が私にも見えて、目が合う。
悠が一瞬、辛そうな顔をしたのはやはり、私が泣いていたからに違いなかった。
中曽根 悠:
「……るり、ごめん」
中曽根 悠:
「俺、ちゃんと話すから」
悠はそう言って、先生の前にもかかわらず、私の手を握ってくれた。
少しだけ混乱していた私は、ハンカチを先生に返すこともできずに、ただ悠の手の温もりに安心して彼の後について行くだけだ。
篠田先生は優しく、そんな私たちを見送ってくれた。
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ふれる
(5)「君のこと」
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悠はしばらく、ホテルのどこで話をしようか迷っているように歩く。
そしてようやく、中庭の見える廊下の奥にある長椅子に腰をかけた。私も隣に腰を下ろす。
私は壁側に座って、悠は通路のT字が見える側へと座った。
持っていたペットボトルと財布は壁側に置いて、悠との間に少しだけの隙間を空ける。
2人の眼前にあるガラス越しの外では、ライトアップされた中庭が、キラキラと照明を光らせている。
こんな状況じゃなければロマンチックな、素敵な光景だった。
中曽根 悠:
「……もう、大丈夫?」
悠は泣いていた私を気にするように、優しく声をかけてくれた。
両手を膝に置いて、小さくうなずく。
その手の中には、篠田先生のハンカチ。ああ、返しそびれちゃった。
中曽根 悠:
「……」
戸田 るり:
「……」
中曽根 悠:
「……あの、ごめんな。約束破っちゃって」
その言葉に私は、頭を縦にも横にも振れない。
ただじっと、膝の上の手を見つめていた。
中曽根 悠:
「あと……嘘ついたことも」
中曽根 悠:
「……ごめん」
悠は何度も謝罪する。
でも私が聞きたいのは、そんなことじゃなかった。グッと膝の上の拳を握る。
戸田 るり:
「……何で、だったの?」
中曽根 悠:
「……」
戸田 るり:
「理由……教えてくれる……?」
口から出る声が震えそうで、心臓はドキドキしている。
ようやく涙が引っ込んだ目を、悠に向けた。その顔はちょっと、怒っているように見えたかもしれない。
でも悠は、もう伝える気でいたのだろう。
小さくうなずいて、そして視線を下に落とした。
中曽根 悠:
「……あのな」
中曽根 悠:
「……スズが昨日、死んだんだ」
戸田 るり:
「……え?」
予想していない言葉だった。
スズちゃん。
それは最近私も見た、悠の大切な家族の一員である、飼い猫の名前だったから。
中曽根 悠:
「昨日の夜、姉貴から連絡入って……」
中曽根 悠:
「それで俺、すげぇ動揺しちゃって……気分も落ち込んじまって」
ポツリ、ポツリと話す悠の声。
中曽根 悠:
「こんな気持ちじゃ、るりに申し訳ないなぁなんて思って……」
中曽根 悠:
「こんな俺より友達といた方が楽しいだろーって、思ったんだけどさ」
その声は少しずつ小さくなったり、大きくなったり。
中曽根 悠:
「でも逆に不安にさせちゃったよな……本当にごめん」
たまに震えたり。
中曽根 悠:
「……ごめんな」
不安定に揺れる声。
それは、いつも元気な悠があまり聞かせない、彼の弱い声だった。
戸田 るり:
「……っ」
戸田 るり:
「そう、だったの……」
私の声まで、震えそうになる。
何でだろう。胸が痛い。
スズちゃんが死んだことも、ショックだったけど。
でも今は。
それを悲しむ悠の姿が──悲しみをごまかそうと気丈にいようとする彼の姿が、私の胸には痛かった。
中曽根 悠:
「前から、獣医には老衰だって言われてたんだ。いつ息を引き取っても、おかしくないって」
中曽根 悠:
「はは……でもまさか、修学旅行中に亡くなるなんてさ」
戸田 るり:
「……」
悠。
悠。
そんな顔、しないで。
そんな顔、しなくていいんだよ。
震える頬を、無理やり上げようとする彼。
落ちそうになる顔を必死に上げて、こちらに明るい顔を向けようとする。
そんな彼の姿に、私の胸はさらにぎゅっとなる。
思わず、長椅子に置かれていた彼の手を握りしめた。
中曽根 悠:
「!」
悠は、びっくりしたようにこちらを見る。
私はそんな彼に対して、自分も震えそうになる声を絞り出して伝えた。
戸田 るり:
「悠、笑わなくていいよ」
中曽根 悠:
「……!」
戸田 るり:
「私の前で無理に表情、作らなくていい」
ううん、そうじゃない。
作らなくていい、じゃなくて……。
戸田 るり:
「……作らないで」
中曽根 悠:
「……」
重ねた手の下にある彼の手が、かすかに揺れた。
悠は、しばらく私をじっと見て。
そして、何か言葉を発しようとして失敗したかのように、口から抜け出すような空気がもれた。
中曽根 悠:
「……っ」
中曽根 悠:
「……俺……本当は、修学旅行も休んじゃおうかって、思ってたんだ」
中曽根 悠:
「こんな状況のスズと離れたくないって……思って……」
震える声で、悠はそう言って。
涙を滲ませながら、顔をうつむけ、言葉を紡いだ。
中曽根 悠:
「でも、親も行けって言うし……それに俺だって結局、最後は行きたいって思っちまったし……っ」
中曽根 悠:
「るりとの京都だって、本当に楽しみにしてたんだよ」
それはあふれ出すように、流れて、私に届く。
涙が、彼自身の太ももを濡らした。
滲んだ水滴がズボンの生地に溶けていき、濃い色をつける。
中曽根 悠:
「でも、そんなことを考えてる自分が、すげぇ薄情な気がして……だからスズも、俺がいない時に死んじゃったような気がして……俺……」
戸田 るり:
「そ、そんなこと……!」
グッと息を飲む。
切なさが、急に胸をしめつけて苦しめる。
悠がこんな風に泣くところを、初めて見た。それが私を戸惑わせる。
その戸惑いのままに、腕を伸ばす。
伸ばした腕は、自分より大きいはずなのに小さく見える彼の体を、横から抱いて、ぎゅっとしがみついた。
戸田 るり:
「そんなことないよ悠! ……絶対ない!」
中曽根 悠:
「…………」
戸田 るり:
「悠のせいなんかじゃ……ないんだよ……」
悠の体は、動かなかった。
ただ、私に抱きつかれたまま涙を落として、外を見ている。
そんな中。
トクントクンと。
近くなった彼の心臓音が、伝わってくる。
それがやけに私をホッとさせて、切なくさせた。
◇ 続く ◇




