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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第一章 ご乗車ください《1年生編》
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Ep.1 片恋消しゴム (2)「ケンカ」

 消しゴムのおまじない。

 ピンクのペンで片思いの相手のフルネームを書いて、ケースに戻す。

 誰にもその名前を見つけられずに、自分だけで使い切ったら両思いになれる。

 そんな幼くて、些細なおまじない。


 そして。

 そのおまじない消しゴムが今まさに、

 私の片思いの相手に使われようとしている。


 戸田 るり:

(ああ、神様……!)


 と私、戸田るりは神に祈るしかなかった。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 片恋消しゴム

(2)「ケンカ」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 中曽根 悠:

「フフーン♪」


 中曽根のやつは私の気も知らないで、鼻歌なんか小さく歌ってプリントの字を消している。

 まさかその消しゴムに、自分の名前が隠されているとは思いもしないだろう。


 戸田 るり:

(だ、大丈夫そうかな?)


 別に普通に使うだけなら、大丈夫だよね。

 私はゴクリと固唾を飲んで中曽根を見守っていた。

 が、しかし。


 戸田 るり:

「!?」


 中曽根が、消しゴムを両手の指で持ち始めた。

 よく見たら、使われ小さくなった消しゴムは、ケースから少ししか出ていない。


 も、もしや。

 ケースをずらして使おうとしている……!?


 中曽根の指先に、グッと力が入る。


 戸田 るり:

(──だ……っ)


 左指は消しゴム、右指はケースにかけられて。

 その動作はまさに、消しゴムを引き抜こうとしている動作……!


 戸田 るり:

(だ、ダメーーー!!)


 ガタンッ!


 中曽根 悠:

「!?」


 気がつけば私は、自分の椅子と机を大きくずらし、差し出した手で中曽根から消しゴムを奪っていた。

 私の電光石火の行動に、中曽根がびっくりしている。


 中曽根 悠:

「な、なんだよいきなり!?」


 戸田 るり:

「だ、ダメ! やっぱり貸せないっ」


 これが、変な行動に見られているってことも、まわりの席の子がこちらに振り返っていることにも気づかず、私はひたすらに小さな消しゴムを両手で握りしめた。

 胸の前で握ったそれを、ぎゅっとぎゅっとひたすら隠す。


 中曽根 悠:

「はぁ? なんで……」


 中曽根が不満そうに眉をしかめたその時、1限目の授業の先生が、教室に入ってきた。


 先生:

「はいはーい。 皆席にはよ着けー」


 のんきな声を出す先生に促され、立っていた数人の生徒が自分の席に戻っていく。

 タイミングを失ったのか、中曽根はそれ以上私を追求しなかった。

 ただ。


 中曽根 悠:

「……感じわりーの」


 戸田 るり:

「!」


 小さく漏らされたその言葉に。

 私の胸が、ひどく傷んだ。



 ・   ・   ・



 戸田 るり:

(何で、こんなことになっちゃったんだろう)


 帰宅して夕ご飯も食べ終えた、午後8時。

 私は自室のベッドの上で、ごろりと横になっていた。

 思い出すのはひたすらに、今朝の小さな大事件のことばかり。


 おまじない消しゴムで消え去った、中曽根とのたわいない会話の時間。

 あれ以降、中曽根とはギクシャクしてしまって、話ができていないでいる。


 戸田 るり:

(当たり前だよね。 あんな態度とっちゃったら……)


 何で、消しゴムを貸しちゃったんだろう。

 何で、もっとスマートにやれなかったんだろう。

 何で何でと、いまさら取り返しのつかない後悔を反芻《はんすう》しては胸が痛む。

 こんなに不器用な自分に、嫌気がさしてくる。


 戸田 るり:

(中曽根……私のこと嫌いになったかな)


 もしかしたら今日のことで、一気に嫌いになったかもしれない。

 だって、帰るまで一度も話してくれなかったし、目が合ってもすぐにそらされてしまった。

 今朝の行動が、今まで繰り返していた中曽根とのたわいもない会話を、終わらせてしまったかもしれない。


 一瞬、だ。

 好きになるのも。

 嫌いになるのも。


 それを、私はよく知っている。

 移ろいやすい私たちの気持ちは、一瞬で変わってしまうんだ。


 それを私は、あの日に知った。

 小学6年生の夏。

 一気に中曽根に恋した私の思い出───。



 ・  ・  ・



 そいつは、とても嫌な男子だった。

 下品で乱雑。下ネタが大好きで、クラスの女子に卑猥な言葉を投げかけては、その反応を面白がっていた。


 だから女子は、水泳の見学をことごとく嫌がった。

 生理だ生理だ、とそいつは囃《はや》し立て、女子が最悪泣いてしまっても笑っている。

 先生からの厳重注意もてんで効かず、水泳の授業になるたびに、女子の間では数人がどんよりとした表情を浮かべていた。


 数人の男子は、便乗して面白がって。

 数人の男子は、我関せずと遠目で見る。

 中曽根も、そんな遠目で見る一人だった。


 まだ生理が来ていない私に実害はないが、でも同じ女子として、そいつは許せなかった。

 しかしある日とうとう、私にも第二次成長期が訪れる。

 慣れない腹部の痛みを我慢し、プールサイドで見学する。

 そんな私に、その男子は水着姿のまま近づいてからかってきた。


 嫌な男子:

「わー、戸田も生理か生理ー!」


 るり(小6):

「……!」


 嫌な男子:

「プールに近寄んなよなー! 生理が移るから〜! 」


 るり(小6):

「…………っ」


 恥ずかしくて、悔しくて、恥ずかしくて。

 痛くて、ムカついて、恥ずかしくて。


 いつもなら、こんなやつの口喧嘩に負けるわけがないのに、わけのわからない感情が、私に何も言えなくさせていた。

 ただ、こいつに嫌な言葉を投げかけられている現実が、どうしようもない敗北感を私に味わわせる。


 るり(小6):

(なんで、こんなこと言われなくちゃいけないの?)


 るり(小6):

(私だって、好きでなったんじゃ……)


 その頃の私は、ひたすら恥ずかしかったんだ。

 変わっていく自分の体が、恥ずかしくって仕方ない。

 じわり、と涙が浮かんだ。


 嫌な男子:

「ぎゃぁ!?」


 バッシャーーン!!


 るり(小6):

「!?」


 それは、泣きそうになって下に俯いた時に起きた。

 あの嫌な男子が、誰かにプールに突き落とされたのだ。

 不意をつかれた男子は体勢を整えられず、水面に叩きつけられたのか痛そうな音を立てて水飛沫に沈む。

 突き落としたのは、中曽根だった。


 中曽根(小6):

「そこに突っ立ってると邪魔だろ、バーカ」


 中曽根は、眉間にしわを寄せてプール脇から男子を見下ろしていた。

 こちらを見向きもしない。


 嫌な男子:

「な、何すんだよ中曽根ーー!」


 男子は突然のことに、あっぷあっぷとプールの端まで慌てて寄ろうとする。

 どうやら一番深い場所に落とされたようだ。


 中曽根(小6):

「わりー、わりー。ほら」


 男子に手を差し伸べる中曽根。が。


 中曽根(小6):

「なんてな」


 嫌な男子:

「のわっ!?」


 ドボンッ!


 男子がつかんだ途端に手を離して、またプールへ落とす。


 嫌な男子:

「て、テメー! 中曽根ぇぇぇ! 」


 中曽根(小6):

「へへーん。 騙される方がバカなんですー 」


 相手をからかうように中曽根は走って行って、嫌な男子はその後を追いかけた。

 どうやらもう、私のことは眼中にないようである。

 でも、私は気づいた。


 るり(小6):

(……あ)


 一瞬、中曽根と目が合う。

 男子に追いかけられ、振り返るほんの一瞬。


 中曽根の目は私を心配そうに見て、そして……笑った。


 太陽みたいに、にっかりと。


 るり(小6):

(……もしかして、助けてくれた……?)


 真意なんてわからない。

 でも、中曽根があの男子をからかってくれたおかげで、私が嫌な言葉を浴びせられることはなくなった。


 それだけで、私は嬉しかった。

 それだけで、私は恋に落ちた。


 本当に些細な、そんな一瞬で。



 ・  ・  ・



 恋に落ちるのが一瞬なら、終わる時も一瞬なのかな。

 ペンケースにしまわれている、私の消しゴム。

 文字だけでなく、これからの私と中曽根の思い出も消そうとしているのかもしれないと、無性に悲しい気持ちになっていく。




 ◇ 続く ◇

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