Ep.39 あの頃、陰日向にて(4・終)「陰日向」
人間は2種類に分けられると言った恩田。
日向に近い者と──陰に近い者に。
恩田 幸人:
「俺はずっと、陰側にいたな。そしてお前は──ずっと日向側で笑ってた」
そう言い、俺をじっと見つめる恩田。
その視線を受けて俺は、何を言えばいいのかわからなくなった。
ただ、脳裏に──蘇る。
あの頃の俺たちが。
あの頃の日常が。
テスト前「勉強してねー」なんて嘘を言っては探り合ったり。
あの階段下は女子のスカート中をのぞける絶好スポットだぞ、なんてはしゃいだり。
黒板消しを落とす罠は本当に成功するのか、なんて実験して、自らチョーク粉まみれになったり。
まったくくだらない優しい日常の中に──俺はいたのだ。
坂本 平八:
(ああ──何だか)
切ないな。
そう思った。
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あの頃、陰日向にて
(4)「陰日向」
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坂本 平八:
「俺は、バカだったってことかな」
寂しさを帯びた心とはうらはらに、苦笑して自虐した。
しかしそれを、やんわりすくい取ったのも恩田だ。
恩田 幸人:
「変に捉えるなよ」
恩田 幸人:
「お前は、そのままでいい」
そうしてたわんだ瞳はただ、柔らかく。
これが本当に、あのナイフのような少年だったのか、と小さく驚く。
坂本 平八:
「……今日、さ」
そして俺は。
坂本 平八:
「小鳥遊と岡本と、会っててさ」
まだ、心の整理もしてないのに。
坂本 平八:
「何だか楽しいのに……寂しく思ったんだ」
わからぬまま、言葉を吐いた。
坂本 平八:
「昔とは変わったんだなぁって。……なんだろ。こういうの、ノスタルジーって言うんだろうか」
恩田 幸人:
「……」
突然、変なことを語り出したと思う。
しかし恩田は、存外に揶揄することもなく、当たり前のように俺の言葉を受け止めてくれた。
恩田 幸人:
「そうだな。でも、ノスタルジーに感じるのも当時が幸せだった証拠だろ」
やつはふいに、コーヒー豆をかたわらから取り出すと、ザッとすくい取る。
恩田 幸人:
「俺は、そんな哀愁にも浸れないさ。不良だの乱暴者だの親殺しだの、散々言われてたからな」
その言葉にドキリとする。
けれど恩田は気にした様子もなく、何やらガリガリとコーヒー豆を挽き始めた。
手動のコーヒーミルで、豆が粉砕される音だけがやかましく響く。
恩田 幸人:
「……変わらないさ」
そのやかましさの中、恩田は呟いた。
恩田 幸人:
「今がどれだけ変わっても、過去は変わらない」
恩田 幸人:
「いいことも、悪いこともな」
坂本 平八:
「…………」
まったくその通りだった。
過去は変わらないし、変えられるはずもない。
例え今が、どんなに過去から変わっていても──過去は、思い出は、そこにある。
変わらぬかたちで。
ただそこに。
坂本 平八:
「……そうだな」
振り返れば、昔の俺たちが笑っている。
それは誰にも、変えられやしない。
坂本 平八:
「……はは。お前は何だか、神父みたいだな」
恩田 幸人:
「は?」
坂本 平八:
「懺悔室の神父様みたいだ」
俺の内にあるものをすくい取ってくれた恩田はまるで、懺悔を聞く教会の神父みたいだ。
なんて思って、言ったんだけど。
恩田 幸人:
「よせよ。俺はしわがれたジジイにしかなんねーよ」
恩田はどこか呆れた顔をして、そう言った。
そしてカウンター越しに、こちらにコーヒーカップを差し出す。それは、さっきから恩田が抽出していた香りよいコーヒーだ。
恩田 幸人:
「ほら、2杯目はおまけしてやるよ」
坂本 平八:
「え、いいのか?」
カタン、と空になった1杯目のコーヒーカップの横にそれは置かれた。
淹れ立てのコーヒーのよい香りが、俺を包んでくれる。
恩田 幸人:
「貴重な豆を使ったんだ。心して飲めよ」
坂本 平八:
「そうなのか、どんな豆なんだ?」
恩田 幸人:
「コピ・ルアック。俺が好きな豆だよ」
俺は礼を述べて、2杯目のコーヒーに手をつけた。
聞いたこともないそのコーヒーは、たしかにうまかった。恩田の腕がいいからなのだろうか。
コーヒーを堪能する俺に、恩田は言葉を続けた。
恩田 幸人:
「この世の中、生きてりゃクソみたいなことは山ほどあるさ」
恩田 幸人:
「母親が溺れた息子を助けるために死んだり。その息子が親殺しだの言われたり」
坂本 平八:
「!」
恩田の親殺しの噂──その背景を見て、息を飲む。
そうか。
そうだったのか。
当時中学生だった恩田は、どんな気持ちでまわりの噂や中傷を受け止めていたのだろうか。胸が痛い。
しかし、目の前の恩田はただ──笑った。
ニヤリと、人を食うような顔で。
恩田 幸人:
「でもそんなクソも、飲み込んじまえばなくなる」
そして肩を揺らして、クックッとこちらを見た。
恩田 幸人:
「コピ・ルアックの豆の正体を、教えてやろうか?」
坂本 平八:
「へ?」
そうしてやつは、種明かしをする手品師のように言った。
恩田 幸人:
「コーヒー豆を食った動物のクソだよ」
坂本 平八:
「!?」
口に流し込んでいたコーヒーが、グッと喉でつかえるが、もう遅い。
俺はそれを飲み込んで、咳をして、少し涙目になり……笑ったのだった。
・ ・ ・
店の外に出ると、気持ちのいい夜風が流れていた。
今度こそ、駅に向かい歩き出す。
すると駅の出入口で偶然、茂と会った。
岡本 茂:
「あれ。へーちゃん、まだ帰ってなかったの?」
坂本 平八:
「茂!」
茂はどうやら、一人のようだった。
坂本 平八:
「ちょっと乗り過ごしてな。竜ちゃんは、どうしたんだ?」
何となく恩田とのことを隠したくて、そう切り返す。
一緒に駅への階段を上がりながら、茂は答えた。
岡本 茂:
「女のとこだよ。この駅の近くに住んでるんだってさ」
何とも竜ちゃんらしい理由だ。
苦笑した俺の横で、茂がポツリと言った。
岡本 茂:
「へーちゃん、飲み会の途中で嫌になってたろ」
坂本 平八:
「え?」
ドキッとして茂を見れば、やつも小さく苦笑していた。
岡本 茂:
「俺らが、恩田のことを言い出したあたり? へーちゃんは正義感強いから、聞いてて嫌になったんだろ」
坂本 平八:
「そ……そんなことは……」
まさか、見透かされていたとは。
そういえば、茂は昔から俺の気持ちを読むことが、やたら上手いやつだった。
そんな旧友の茂は少しばかり、恥ずかしそうに笑う。
岡本 茂:
「ま、俺も悪ノリしたな。負け犬は言い過ぎた」
坂本 平八:
「…………」
岡本 茂:
「竜ちゃんもさ、仕方ないんだよ。あいつ昔、好きな女の子を恩田に取られてっから」
坂本 平八:
「──へ?」
予想外の言葉に、変な声が出た。
茂はそんな俺を見て、少しだけいたずらめいて笑う。
岡本 茂:
「ほら、クラスのモテ女の堀川。あいつ、恩田が好きで竜ちゃんフッてんだよ」
坂本 平八:
「ええ! あの竜ちゃんを!?」
成績優秀・イケメン・運動神経抜群の竜ちゃんが、フラれていたとは驚いた。
たしかに恩田もイケメンではあったが、女子は怖がって敬遠していたのに。……いや、あの年頃だと、悪い男がよく見えるものなのか?
茂は「ま、俺も前の同窓会で知ったんだけどさ」なんて言う。
岡本 茂:
「竜ちゃんも悔しかったんだろ、不良に負けたんだから」
岡本 茂:
「ったく、あいつは昔からプライドは高いからなー。そこだけは変わんねーよ」
坂本 平八:
「……ははは」
そう言う茂の表情も、昔から変わっていなくて、何だか胸がいっぱいになる。
変わったようで、変わってない。
変わらないようで、変わっていく。
人間ってきっと、そういうものなんだ。
それはまるで、陰日向を行き来するような、あの頃の俺らのように。
あっちに行ったり、こっちに来たり。
ふらふら。
ゆらゆら。
陽炎のように揺れゆく影が、遠い過去と今で笑っていた。
◇ 終わり ◇
❀次エピソードへ続く




