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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.39 あの頃、陰日向にて(4・終)「陰日向」

 人間は2種類に分けられると言った恩田。

 日向に近い者と──陰に近い者に。


 恩田 幸人:

「俺はずっと、陰側にいたな。そしてお前は──ずっと日向側で笑ってた」


 そう言い、俺をじっと見つめる恩田。

 その視線を受けて俺は、何を言えばいいのかわからなくなった。


 ただ、脳裏に──蘇る。



 あの頃の俺たちが。

 あの頃の日常が。


 テスト前「勉強してねー」なんて嘘を言っては探り合ったり。

 あの階段下は女子のスカート中をのぞける絶好スポットだぞ、なんてはしゃいだり。

 黒板消しを落とす罠は本当に成功するのか、なんて実験して、自らチョーク粉まみれになったり。

 まったくくだらない優しい日常の中に──俺はいたのだ。



 坂本 平八:

(ああ──何だか)


 切ないな。


 そう思った。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 あの頃、陰日向にて

(4)「陰日向」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 坂本 平八:

「俺は、バカだったってことかな」


 寂しさを帯びた心とはうらはらに、苦笑して自虐した。

 しかしそれを、やんわりすくい取ったのも恩田だ。


 恩田 幸人:

「変に捉えるなよ」


 恩田 幸人:

「お前は、そのままでいい」


 そうしてたわんだ瞳はただ、柔らかく。

 これが本当に、あのナイフのような少年だったのか、と小さく驚く。


 坂本 平八:

「……今日、さ」


 そして俺は。


 坂本 平八:

「小鳥遊と岡本と、会っててさ」


 まだ、心の整理もしてないのに。


 坂本 平八:

「何だか楽しいのに……寂しく思ったんだ」


 わからぬまま、言葉を吐いた。


 坂本 平八:

「昔とは変わったんだなぁって。……なんだろ。こういうの、ノスタルジーって言うんだろうか」


 恩田 幸人:

「……」


 突然、変なことを語り出したと思う。

 しかし恩田は、存外に揶揄することもなく、当たり前のように俺の言葉を受け止めてくれた。


 恩田 幸人:

「そうだな。でも、ノスタルジーに感じるのも当時が幸せだった証拠だろ」


 やつはふいに、コーヒー豆をかたわらから取り出すと、ザッとすくい取る。


 恩田 幸人:

「俺は、そんな哀愁にも浸れないさ。不良だの乱暴者だの親殺しだの、散々言われてたからな」


 その言葉にドキリとする。

 けれど恩田は気にした様子もなく、何やらガリガリとコーヒー豆を挽き始めた。

 手動のコーヒーミルで、豆が粉砕される音だけがやかましく響く。


 恩田 幸人:

「……変わらないさ」


 そのやかましさの中、恩田は呟いた。


 恩田 幸人:

「今がどれだけ変わっても、過去は変わらない」


 恩田 幸人:

「いいことも、悪いこともな」


 坂本 平八:

「…………」


 まったくその通りだった。


 過去は変わらないし、変えられるはずもない。

 例え今が、どんなに過去から変わっていても──過去は、思い出は、そこにある。


 変わらぬかたちで。

 ただそこに。


 坂本 平八:

「……そうだな」


 振り返れば、昔の俺たちが笑っている。

 それは誰にも、変えられやしない。


 坂本 平八:

「……はは。お前は何だか、神父みたいだな」


 恩田 幸人:

「は?」


 坂本 平八:

「懺悔室の神父様みたいだ」


 俺の内にあるものをすくい取ってくれた恩田はまるで、懺悔を聞く教会の神父みたいだ。

 なんて思って、言ったんだけど。


 恩田 幸人:

「よせよ。俺はしわがれたジジイにしかなんねーよ」


 恩田はどこか呆れた顔をして、そう言った。

 そしてカウンター越しに、こちらにコーヒーカップを差し出す。それは、さっきから恩田が抽出していた香りよいコーヒーだ。


 恩田 幸人:

「ほら、2杯目はおまけしてやるよ」


 坂本 平八:

「え、いいのか?」


 カタン、と空になった1杯目のコーヒーカップの横にそれは置かれた。

 淹れ立てのコーヒーのよい香りが、俺を包んでくれる。


 恩田 幸人:

「貴重な豆を使ったんだ。心して飲めよ」


 坂本 平八:

「そうなのか、どんな豆なんだ?」


 恩田 幸人:

「コピ・ルアック。俺が好きな豆だよ」


 俺は礼を述べて、2杯目のコーヒーに手をつけた。

 聞いたこともないそのコーヒーは、たしかにうまかった。恩田の腕がいいからなのだろうか。

 コーヒーを堪能する俺に、恩田は言葉を続けた。


 恩田 幸人:

「この世の中、生きてりゃクソみたいなことは山ほどあるさ」


 恩田 幸人:

「母親が溺れた息子を助けるために死んだり。その息子が親殺しだの言われたり」


 坂本 平八:

「!」


 恩田の親殺しの噂──その背景を見て、息を飲む。


 そうか。

 そうだったのか。


 当時中学生だった恩田は、どんな気持ちでまわりの噂や中傷を受け止めていたのだろうか。胸が痛い。


 しかし、目の前の恩田はただ──笑った。

 ニヤリと、人を食うような顔で。


 恩田 幸人:

「でもそんなクソも、飲み込んじまえばなくなる」


 そして肩を揺らして、クックッとこちらを見た。


 恩田 幸人:

「コピ・ルアックの豆の正体を、教えてやろうか?」


 坂本 平八:

「へ?」


 そうしてやつは、種明かしをする手品師のように言った。


 恩田 幸人:

「コーヒー豆を食った動物のクソだよ」


 坂本 平八:

「!?」


 口に流し込んでいたコーヒーが、グッと喉でつかえるが、もう遅い。

 俺はそれを飲み込んで、咳をして、少し涙目になり……笑ったのだった。



 ・   ・   ・



 店の外に出ると、気持ちのいい夜風が流れていた。

 今度こそ、駅に向かい歩き出す。

 すると駅の出入口で偶然、茂と会った。


 岡本 茂:

「あれ。へーちゃん、まだ帰ってなかったの?」


 坂本 平八:

「茂!」


 茂はどうやら、一人のようだった。


 坂本 平八:

「ちょっと乗り過ごしてな。竜ちゃんは、どうしたんだ?」


 何となく恩田とのことを隠したくて、そう切り返す。

 一緒に駅への階段を上がりながら、茂は答えた。


 岡本 茂:

「女のとこだよ。この駅の近くに住んでるんだってさ」


 何とも竜ちゃんらしい理由だ。

 苦笑した俺の横で、茂がポツリと言った。


 岡本 茂:

「へーちゃん、飲み会の途中で嫌になってたろ」


 坂本 平八:

「え?」


 ドキッとして茂を見れば、やつも小さく苦笑していた。


 岡本 茂:

「俺らが、恩田のことを言い出したあたり? へーちゃんは正義感強いから、聞いてて嫌になったんだろ」


 坂本 平八:

「そ……そんなことは……」


 まさか、見透かされていたとは。

 そういえば、茂は昔から俺の気持ちを読むことが、やたら上手いやつだった。

 そんな旧友の茂は少しばかり、恥ずかしそうに笑う。


 岡本 茂:

「ま、俺も悪ノリしたな。負け犬は言い過ぎた」


 坂本 平八:

「…………」


 岡本 茂:

「竜ちゃんもさ、仕方ないんだよ。あいつ昔、好きな女の子を恩田に取られてっから」


 坂本 平八:

「──へ?」


 予想外の言葉に、変な声が出た。

 茂はそんな俺を見て、少しだけいたずらめいて笑う。


 岡本 茂:

「ほら、クラスのモテ女の堀川。あいつ、恩田が好きで竜ちゃんフッてんだよ」


 坂本 平八:

「ええ! あの竜ちゃんを!?」


 成績優秀・イケメン・運動神経抜群の竜ちゃんが、フラれていたとは驚いた。

 たしかに恩田もイケメンではあったが、女子は怖がって敬遠していたのに。……いや、あの年頃だと、悪い男がよく見えるものなのか?


 茂は「ま、俺も前の同窓会で知ったんだけどさ」なんて言う。


 岡本 茂:

「竜ちゃんも悔しかったんだろ、不良に負けたんだから」


 岡本 茂:

「ったく、あいつは昔からプライドは高いからなー。そこだけは変わんねーよ」


 坂本 平八:

「……ははは」


 そう言う茂の表情も、昔から変わっていなくて、何だか胸がいっぱいになる。


 変わったようで、変わってない。

 変わらないようで、変わっていく。

 人間ってきっと、そういうものなんだ。


 それはまるで、陰日向を行き来するような、あの頃の俺らのように。


 あっちに行ったり、こっちに来たり。

 ふらふら。

 ゆらゆら。

 陽炎のように揺れゆく影が、遠い過去と今で笑っていた。




 ◇ 終わり ◇

❀次エピソードへ続く

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