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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.39 あの頃、陰日向にて(3)「昔話」

 中学3年生の時にクラスメイトだった、恩田幸人。

 同窓会にも来ていなかったそいつだが、ある喫茶店で再会した。


 大人になった恩田が喫茶店の店員として、カウンター向こうに立っている。


 恩田 幸人:

「ほら、できたぞ」


 店員のくせに、口調だけは昔のままだ。

 いや、もしかしたら同級生だから、少しくだけているのだろうか。


 しかし、無骨な手から差し出されたコーヒーが、あまりにもいい香りがしたから、俺は何だか心がホッとして、口元を緩められたんだ。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 あの頃、陰日向にて

(3)「昔話」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 坂本 平八:

「いい香りだ。いただきます」


 そう言って一口すすると、酸味が軽くまろやかな香味が口内に広がった。

 とても美味しいコーヒーだ。


 坂本 平八:

「うまいな」


 恩田 幸人:

「そいつはよかった」


 恩田はそれだけ言うと、もう自分の役目は終えたとばかりに、カウンターの下に顔を向けて何やら手を動かし始める。

 何かの下準備でも、しているのだろうか。

 フルーツナイフを扱っているようだった。


 普通、昔の同級生に会ったのならば、あれこれと話すもんじゃないのかな。

 しかし恩田はドライなのか、俺に興味がないのか、仕事を再開する。

 他に客もいないのに……変わらないな。


 昔から独特の世界観で、生きているようなやつだった。

 マイペースに、しかしそこに入り込もうとするやつには、容赦なく攻撃してくるような危険性もはらんでいた。


 けれどなぜかな。

 今は、そんなギスギスしたオーラは感じない。

 だからだろう。

 俺は案外気軽に、声をかけることができた。


 坂本 平八:

「ここは恩田の店なのか?」


 恩田は手を動かしたまま、答えてくれた。


 恩田 幸人:

「まさか。店主は別の人だ」


 トントンと、小さくまな板を叩く音とともに聞こえた恩田の声が静かに届く。


 恩田 幸人:

「俺はバイトだよ。夜だけ任されてるんだ」


 坂本 平八:

「へえ、すごいじゃないか。ここは何時までやってるんだ?」


 恩田 幸人:

「10時まで」


 坂本 平八:

「え、それならもう、閉店間際だったのか。……悪いな、変な時間に入っちまって」


 恩田 幸人:

「気にするな。夜は客も少ないから、多少の儲けも有難い」


 坂本 平八:

「はは、そうか」


 とても穏やかな会話だった。

 まさか大人になってから、あの恩田とこんな風に話ができるなんて、と少しばかり驚いた。

 と同時に、嬉しくも思う。

 だからつい、口が滑らかになった。


 坂本 平八:

「恩田もずいぶん、丸くなったな」


 坂本 平八:

「覚えてるか? 俺、お前に「殺されてーのか」って、凄まれたことあったんだぜ」


 すると恩田は、下に向けていた視線をこちらに向けて、少しだけ驚いたような顔をした。


 恩田 幸人:

「……そうだったか?」


 言った本人は、覚えていなかったらしい。

 まぁ言葉というものは、いつだって受け取る側でしか、生きられないものなのだろう。


 坂本 平八:

「そうだよ。たまたまケンカ現場を見た俺に凄んでさ。あんとき俺、すごいビビったんだからな」


 恩田 幸人:

「それは……悪かった」


 少しも悪びれてないように、恩田は小さく笑う。

 切っていたのはキウイらしい。それを瓶に詰めて、蜂蜜漬けを作り始めた。


 あの頃は暴力ばかりふるっていた手で、フルーツをキレイに切っているのが、不思議に思える。

 そしてこのうまいコーヒーも、あの手から生み出されたのかと思いながら、またすする。

 温かなコーヒーが、優しく胃に染みこんでいく。


 坂本 平八:

「……」


 坂本 平八:

「……今日さ、同中のやつらと飲んでたんだよ。小鳥遊と岡本、覚えてるか?」


 恩田は「お前とつるんでたやつらか?」と聞いてきた。

 中学の頃のことは、あまり覚えてないのかな、と苦笑する。


 坂本 平八:

「そ。今日、小鳥遊からお前の話題が出てきたからさ。偶然だけど、びっくりしたよ」


 恩田 幸人:

「小鳥遊……ああ」


 そこで恩田は、クッと小さく喉の奥で笑う。一瞬、過去の恩田がそこに見えた。


 恩田 幸人:

「あいつか。どうせあいつ、俺のことボロクソに言ってたんだろ」


 坂本 平八:

「そ、そんなこと……」


 思わず、ぎゅっとカウンター上で拳を握って反論しようとした。

 しかし、脳裏に竜ちゃんの冷たい声が蘇る。



「今頃、真人間になろうなんて、甘すぎ。だから、面接も落ちるんだよ」



 坂本 平八:

「…………」


 否定しない俺に、答えを見つけたのだろう。

 恩田は淡々と作業を続ける。


 恩田 幸人:

「あいつは、昔から俺のことが嫌いみたいだったからな。気にしてねーよ」


 坂本 平八:

「……そうなのか?」


 恩田 幸人:

「……お前も、相変わらずみたいだな」


 バチンと瓶のフタを閉めると、恩田は手を洗いながら言葉を続けた。


 恩田 幸人:

「知ってるか? 人間は2種類に分けられるんだ」


 恩田 幸人:

「日向に近いやつと──陰に近いやつ」


 蛇口を締めて、恩田は初めて俺の目をじっと見た。

 射ぬかれるようなその視線に、俺の背筋が反られる。ぐっと息を飲んだ。


 恩田 幸人:

「大抵のやつは、間を行き来するんだ。でも俺は、ずっと陰側にいたな」


 恩田 幸人:

「そしてお前は──ずっと日向側で笑ってた」


 そう言って、目を細めた恩田。

 何かを見つけるかのように、探るかのように、こちらを射抜く。


 日向と──陰。

 陰日向。


 そんな言葉があったなと、圧倒されつつもぼんやりと考えていた。




 ◇ 続く ◇

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