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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.39 あの頃、陰日向にて(2)「過去と今」

 楽しい時間は、早く過ぎてゆく。


 店内には聞きなれない洋楽が流れており、客の賑やかな会話が響いていた。

 そんな中、俺たちも昔話を楽しんでいたが、内容は徐々に現状のことに変化していく。


 仕事のこと。

 家族のこと。

 恋人のこと。

 趣味のこと。


 それぞれが小さな変化を報告し合っている時に、それは竜ちゃんの口から聞かされた。


 小鳥遊 竜一:

「そういえばさ、恩田って覚えてる?」


 坂本 平八:

「へ?」


 最初は本当に、その名前にピンときていなかった。しかし。


 小鳥遊 竜一:

「ほら、不良の恩田。すごいケンカっ早いやつ、いたろ」


 坂本 平八:

「あ……ああ」


 恩田──そうだ。


 久しぶりにその名を聞いて、脳裏に当時のことが思い出される。


 中学3年生の頃、恩田幸人《おんだ ゆきひと》というクラスメイトがいた。

 3年生で初めて同じクラスになったのに、俺はそいつの存在を知っていた。いや、同級生なら、みんなが知っている存在だった。


 簡単な言葉を用いるならば「不良」「乱暴者」という存在のそいつ。

 整った顔立ちをしているのに、ギラついた目つきをしているそいつは、学校生活からいつも一歩……いや、二歩も十歩も、離れた場所にいた。


 忘れるものか。

 俺はそいつに、殺意を向けられたことがあったのだから。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 あの頃、陰日向にて

(2)「過去と今」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 小鳥遊 竜一:

「あいつさ、俺んとこの会社に面接に来てたらしいんだよね」


 岡本 茂:

「え、まじ?」


 茂もその話題に食いついた。

 アルコールが回ってきているのか、竜ちゃんは目元を赤くして笑う。


 小鳥遊 竜一:

「ああ。総務に仲良い子がいるんだけどさ、出身中学と学年が同じだから知ってる? て名前聞かされてさあ。ビックリしたよ」


 その仲良い総務の子は女の子なんだろうなと、ぼんやり思う。

 しかし、それよりも気になったのは恩田のことだ。


 坂本 平八:

「恩田、元気そうだった?」


 小鳥遊 竜一:

「いや、俺は会ってもないから、わからないな」


 まあそりゃそうか、と俺は少しだけ落胆する。

 そんな俺に、竜ちゃんは首をかしげて言った。


 小鳥遊 竜一:

「お前ら仲良かったっけ?」


 坂本 平八:

「いや、そんなことないけど」


 というか、恩田はクラスの誰とも仲良くはなかった。

 授業はいつもサボっているか寝ているかだったし、しょっちゅうケンカ傷を作っていた恩田は、みんなから敬遠されていた。

 しかもやつは。


 岡本 茂:

「だよなぁ。親殺しの恩田だもんな」


 坂本 平八:

「……」


 そう、恩田はそんな異名も持つ、怖い存在だった。

 本当のことかはわからないが、同小のやつらがまことしやかに言っていたのは「恩田、母親を殺したんだって」ということ。たしかにやつは、シングルファザー世帯だった。


 小鳥遊 竜一:

「まぁ真偽は知らねーけどさ、怖いやつだったよな」


 岡本 茂:

「ああ、俺2年も同じクラスだったけど、すげぇ怖かったもん」


 竜ちゃんも茂も、恩田のことを思い出したのか眉間にシワを寄せる。

 俺はどういった表情を自分が今作っているのかわからなくて、グラスの飲み物を煽った。


 小鳥遊 竜一:

「──今さら、遅いよな」


 やけにひんやりとした竜ちゃんの声が、耳に届く。


 小鳥遊 竜一:

「今頃、真人間になろうなんて甘すぎ。だから面接も落ちるんだよ」


 岡本 茂:

「まあ、負け犬人生だよなぁ」


 坂本 平八:

「…………」


 笑ってそう話す竜ちゃんと茂を前に、俺は何と言ったらいいのかわからなくなった。

 やけに喉奥だけが、ひりつき乾いていく。

 ごくんとノンアルコールドリンクを飲み込んで、やっぱりちょっとは、酒にしてもよかったのかもしれないなと思った。



 ・   ・   ・



 時刻は、夜10時近くとなっていた。

 そろそろ家に帰ると言った俺に、竜ちゃんと茂は不満そうに笑う。


 岡本 茂:

「次は最後まで付き合えよー」


 坂本 平八:

「ああ、次は俺が店を予約するよ。じゃあな」


 五千円札1枚をテーブルに置いて、店を出た。

 6月初夏の夜風が吹いて、ふぅと息を小さく吐き出す。

 いつもは車で仕事場へ行っていたが、今日はこの集まりがあったため電車を利用していた。

 店が建ち並ぶ大通りから駅へ、足を向けゆっくり歩き出す。


 頭の中ではぐるぐると、先ほどまで一緒に飲んでいた同級生の顔が浮かんでいた。


 竜ちゃん、昔は他人のこと、そんなに辛辣に言わなかったのにな。

 茂だって人のこと、負け犬なんて言うようなやつじゃなかったのに……。

 俺の記憶にあるのはいつだって、つんつるてんのパジャマを着た俺にケラケラ爆笑していた、あいつらの姿だった。


 ツキンと頭が痛い。


 坂本 平八:

(……なんか)


 坂本 平八:

(このまま帰りたくない気分だな)


 それでも足は、駅の方へと進んでいく。

 すると、駅近くにある1本の路地奥に、小さな灯りを見つけた。

 まるでひっそりと隠れるように、細い路地の奥にランプの灯りと木製看板をぶら下げている。


『COFFEE 芳』


 どうやら、コーヒーショップのようだった。

 こんな時間にも開いているなんて珍しいな。


 坂本 平八:

(コーヒーか……飲んでこうかな)


 コーヒーでも飲んで、気分を落ち着かせたかった。

 まるで導かれるように俺は路地に入り、重い木製扉を押し開く。


 カランカラン、とカウベルのような涼しい音が頭上で鳴る。


 店員:

「いらっしゃいませ」


 店内は狭く、店員は若い男1人だった。

 カウンターの中に立っていた店員が、白シャツを腕まくりしこちらを見る。


 店員:

「お好きな席へどうぞ」


 坂本 平八:

「ああ……」


 小さく店内を見渡し、結局、俺はカウンターに座った。

 この店に染みついたかのような、ほのかなコーヒーの香りが心地いい。

 ことん、とカウンター越しに水の入ったグラスを置かれる。メニューも渡されたので受け取った。


 坂本 平八:

「ありがとう」


 坂本 平八:

「……あれ?」


 その時、初めて店員の顔をきちんと見た俺は目を丸くする。


 この顔、どこかで……。


 坂本 平八:

「……あ! 恩田!?」


 店員:

「!」


 店員も驚いて、俺を見た。


 店員:

「……誰?」


 そして目を細めて俺を見たそいつには、やはり昔の面影があった。否定しないということは、本人なのだろう。


 坂本 平八:

「俺だよ、坂本平八。中3で同じクラスだった……」


 言いつつ覚えられているだろうか、と不安になる。


 だけど。


 恩田 幸人:

「……あ」


 恩田 幸人:

「お前か」


 一瞬たわんだ瞳に、今度はこちらが「誰だ?」と言いそうになる。


 穏やかに笑う目元。

 それは中学時代の恩田とは、違う雰囲気だった。


 坂本 平八:

「まさか、こんなところで会うとはな」


 恩田 幸人:

「……ああ。驚いた」


 落ち着いた声で笑う恩田。


 ……本当に、恩田なのだろうか。


 自分から聞いておいて、不思議に思う。

 だって、俺の記憶する恩田はもっと怖いやつだった。

 いつもケンカをしていて、ギラギラしていて──ナイフみたいなやつだった。

 昔一度、こいつのケンカ現場を目撃したことがあった。


 中学2年生の秋。

 放課後のゴミ捨てのため、ゴミ箱を抱えて校舎裏の集積場へ出向いた俺。

 そこで見たのは、足元で上級生2人を転がして足蹴にする恩田の姿だった。

 こちらに向けた背中。

 肩越しにギラリと睨むそれは、まさに野性の獣のようで。


 恩田 幸人(中2):

「……何、見てんだ」


 恩田 幸人(中2):

「お前も、殺されてーのか」


 それは紛れもなく、本気で言われたものだった。

 どう回避したのかなんて覚えてもないが、中3で同じクラスになったときには肝を冷やしたもんだ。


 でも、目の前にいるこの男は。


 恩田 幸人:

「とびっきりのうまいコーヒーを煎れてやるよ」


 過去のギラつきはどこにもなく、ただ凪のように静かな微笑みをこぼしていた。




 ◇ 続く ◇

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