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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.38 子どもの時間(5・終)「恋は下心」

 せっかくおかしな空気がなくなっていたのに、悠のせいで、また変な雰囲気になっている。


 自分と私のジュースを、間違えて飲んだ悠。

 ストローのささった2つのグラスを前に、小さな沈黙が落ちる。


 中曽根 悠:

「……ご、ごめん」


 戸田 るり:

「ううん……」


 思いがけない間接キス。

 こういう場合、照れる方が恥ずかしい。


 いいんだよ、仕方ないね-、なんて軽く言えたらいいのに。

 それなのに意識していた私は、うまく言葉を返せない。

 いつもは冗談ばかりの悠も、うまく誤魔化してくれない。


 今日は変だ。おかしい。


 雨降りの気圧変化のせいかもしれない、なんて関連性のない仮説を、意味もなく頭で組み立てた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 子どもの時間

(5)「恋は下心」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 戸田 るり:

「…………」


 中曽根 悠:

「…………」


 沈黙が流れる。

 テレビから、ヤーブラカののん気な声だけ響いている。

 ふと、悠が右手を動かした。


 戸田 るり:

「!」


 その動きを見て、つい悠から離れて身構える。

 しかし悠のその手はただ、彼の頭をポリポリとかいただけだった。


 中曽根 悠:

「な、なんだよ、その反応」


 戸田 るり:

「え、いや、別に?」


 私自身も、何でそんな反応をしたのかわからずに笑って誤魔化した。

 でも悠はそんな私を見て、少し余裕を得たかのように意地悪そうに笑う。


 中曽根 悠:

「なーに緊張してんだよ」


 戸田 るり:

「し、してないよっ」


 嘘です、してます。


 でも素直にそれを伝えることは、とても恥ずかしい。

 しかも悠、私とは逆に、さっきより落ち着いた顔してるし。


 中曽根 悠:

「ふーん?」


 嬉しそうにニヤニヤと笑ったうえ。


 中曽根 悠:

「前は、るりからキスしようとしたのにな?」


 なんてことまで言う。


 戸田 るり:

「!」


 ひ、酷い!

 バレンタイン後日のことを、今さら掘り返すなんて!


 でも。


 中曽根 悠:

「…………」


 中曽根 悠:

「……わりぃ」


 言った本人も照れたのか、そっぽを向いた。

 ──あ、悠の耳が赤い。


 照れてしまうのが私だけじゃなくてホッとする。

 でも、またこちらにちらりと向いた悠の目が、いつもと違うように見えて再び心臓がはねた。

 まち針で刺されたみたいに、悠の視線から逸らせない。

 悠は無言のまま、あらためて体をこちらに向けた。


 ソファの背もたれに片手をかけて、ゆっくり上半身をこちらに寄せる。

 その目は何かを探るように、窺うように、私を見る。


──あれ、これって、もしかして。


 心臓が、ますますはねる。

 緊張で、呼吸すら忘れる。

 これはもしかしなくても……キスをしようとしているのでは。


 戸田 るり:

「……っ」


 恥ずかしくて怖くて、目を閉じた。

 でもそれが、彼にはキスを受け入れるように見えたのか、肩に手を置かれた。


──い、いいよね。

 だってもう、前にしようって約束はしてたんだし。

 今日は変な食べ物も、食べてないし。

 私も、もう15才だし。

 悠のこと──大好きだし。


 誰にも聞こえないはずの言い訳を必死に心で並べて、覚悟を決めた。


 が、そのとき。


 ブブブブッ!


 と、間抜けにスマホのバイブがテーブル上で鳴り響いた。


 戸田 るり:

「!」


 中曽根 悠:

「!」


 びっくりして目を開けると、悠も驚いた顔をして私から体を離した。


 テーブルに置いた自分のスマホを見ると、お母さんからメッセージが届いている。


『今家に着いたよ。お礼をきちんと伝えてから、帰ってきなさいね』なんて、表示されていた。


 戸田 るり:

「あ、お母さん、帰ってきたみたい」


 中曽根 悠:

「そ、そうか……」


 まるで、見られていたかのようなタイミングに、さっきとは違う意味でドキドキする。


 うう、何だか急に後ろめたいっ。


 戸田 るり:

「……」


 中曽根 悠:

「……」


 戸田 るり:

「か、帰るね」


 中曽根 悠:

「お……おう」


 そんな私たちを前に、テレビ画面ではヤーブラカが、おいしそうに木の実を口いっぱいに詰め込んでいたのだ。



 ・   ・   ・



 またしてもファーストキスは見送られ、私は家へ帰ることになる。

 玄関で靴を履く私を、悠が見守っていた。


 中曽根 悠:

「気ぃつけてな」


 戸田 るり:

「うん。雨宿りさせてくれてありがとう」


 家まで送ろうか、という悠の申し出は断った。

 家は近いし、雨の中歩かせるのは申し訳ない。

 というのは建前で、さっきの出来事でお母さんと鉢合わせしそうな見送りは、してほしくないのだ。


 別に悪いことなんてしてないのに、どうしてこんなに、後ろめたく思っちゃうんだろう。


 戸田 るり:

「じゃあね」


 振り返って悠に背を向け、玄関のドアノブに手をかける。

 すると、影が急に、目の前に落ちてきた。

 それは、悠が近くなったからだと理解したのは、玄関の扉に悠の骨張った手が置かれたからだった。


 何だろう、と振り返ったと同時に、後頭部を扉にゴツンとぶつかる。

 悠が私のおでこにキスをして、その勢いで押されたからだ。


 戸田 るり:

「!!」


 悠はすぐに顔を離し、でも片手で私を扉に閉じこめたまま、屈託なく「へへー」と笑う。


 中曽根 悠:

「じゃあな!」


 戸田 るり:

「……ゆ……悠~!」


 こ、こんなの反則だ!


 悔しいけれど、おでこを手で抑えた私は、ゆでダコみたいに真っ赤だったに違いない。



 ・   ・   ・



 家に着くと、鍵が開いていたのでようやく家に入ることができた。


 戸田 るり:

「ただいまぁ」


 お母さん:

「おかえりー」


 リビングの扉の向こうから、小さくお母さんの声が聞こえる。

 でも、私は何だかお母さんの顔がみられなくて、そのまま階段をあがってしまった。


 お母さん:

「あら、るり?」


 と、階段下でお母さんが覗く気配もしたけれど、私は部屋に入ってしまう。

 部屋の扉を閉めると、お行儀悪くもカバンをそこらに放り、制服のままベッドへダイブした。


 戸田 るり:

「……は~~~」


 戸田 るり:

「……び、びっくりした……」


 まさか、おでこにチューをされるとは。

 額が熱くて恥ずかしくて、何度もそこを撫でてしまう。

 これだけでこんなにドキドキするのなら、ファーストキスはもう死んでしまうかもしれない。


 なんてバカなことを考える。

 前は自分からしようとしたのに、何を言うか。


 戸田 るり:

「ふぅ……」


 ベッドにうつ伏せに沈んだまま、自分の部屋をぐるりと見た。


 まだ絵本の並ぶ本棚に、捨てられないぬいぐるみやマスコット。小学生の時に使っていたキャラクターの手提げバックも、思い出が詰まっているようで捨てられなくて、そのまま壁にぶらさがっている。


 戸田 るり:

(うーん……子どもっぽい部屋)


 テスト期間が終わったら、お部屋の模様替えしようかな。

 そしたら悠を、招待してみちゃったり。


 いえいえ、下心はありません。


 私は1人、赤くなった。




 ◇ 終わり ◇

❀次エピソードへ続く

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