Ep.4 アゲイン (3)「ちっぽけな悩みでも」
幼い恋心を傷つけた罪悪感を抑えつけて、私は冷静を装った。
昼休みが終わると、戸田さんは起きて明るく言った。
戸田 るり:
「少しラクになりました。ありがとうございます」
篠田 かなえ:
「……お大事に」
戸田さんが扉を閉めると、保健室に再び静寂がおとずれる。
窓の外では、五限目の体育のため移動する生徒たちがたくさんいた。
何がそんなに楽しいのか、笑いながらふざけ合って走っている。
その賑やかな声は遠くから響き、この保健室にまで届いた。
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
アゲイン
(3)「ちっぽけな悩みでも」
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
篠田 かなえ:
(今日は、早く帰ろう)
授業もすべて終わっているだろう放課後。
私はやたら凝っている肩をほぐしながら、そんなことを考えていた。
養護教諭というのは、じつは事務業務が多い。
保健室利用者の日報、データ入力、保健だよりの作成や保健授業の資料の手伝いなど。
篠田 かなえ:
(まあ、それでも、教員ほどではないけど)
最近の教師には、本当に頭がさがる。
特に中学生の教師なんて、部活顧問や受験相談などで残業続きだ。
加えて思春期真っ盛りの子どもたち相手というのは、専門の私でも大変だと思えるのだから。
篠田 かなえ:
(あの人も、忙しそうだったな)
篠田 かなえ:
(……それなのに、よく二股なんてできたこと)
また、嫌なことを思い出してしまった。
眉間に一気にしわが寄る。
ふと保健室の窓から外を見れば、そこには部活に励んでいる生徒たちがいた。
野球部員のノック音が響き、陸上部はグラウンドの隅で、ストレッチに精を出している。
サッカー部は、器用にポンポンと、足や頭を使ってボールを2人1組でパスしあっている。
篠田 かなえ:
「……あら?」
サッカー部の子が1人、教師に付き添われて外からこちらへ向かってきていることに、気がついた。
鼻をタオルで抑えているので、どうやら鼻血のようだとピンときた。
篠田 かなえ:
(付き添っているのは、坂本先生か)
サッカー部の顧問の彼は、大きな声を出しながら外玄関から保健室に入る。
坂本先生:
「だから、お前は煩悩しかないのか! 」
大谷 圭介:
「らっでー! 男らもん、仕方ないらろー (だってー! 男だもん、仕方ないだろー) 」
一気に騒がしくなった。
篠田 かなえ:
「どうしたんですか?」
2人を迎え入れると、坂本先生は体に合った大きな声で答えた。
坂本先生:
「篠田先生、こいつが女子のスカートに気を取られて、ボールを顔にぶつけたんです。で、鼻血が出て……」
その横で背の高い少年は、
大谷 圭介:
「風のイタズラに負けたんすよー」
と、つけ加えた。
坂本先生:
「負けたのはお前だけだぞ」
大谷 圭介:
「それがおかしいんだよなー。皆もきっちり見てたはずだぜ? あの強風になびいた一瞬を! 」
坂本先生:
「ガン見したのは、お前だけだ! 練習中に……ったく 」
大谷 圭介:
「ナハハハハ」
篠田 かなえ:
「……ふふ」
思わず、クスッと笑ってしまった。
このやりとりは信頼し合っているからできるのだろうと、わかったからだ。
私は少年を椅子に座らせると、新しいティッシュを渡した。
篠田 かなえ:
「これで抑えて。中には入れなくていいから。ああ、上は向かないでね」
少年の体操着に「1−2 大谷」と書かれていることに気づく。てっきり3年生かと思った。
大谷くんの鼻血は、すぐにおさまった。彼は驚いたことに、すぐ部活に戻るという。
そんなに酷い怪我ではなかったが、念のため安静にしてねと声をかけると、
大谷 圭介:
「大丈夫っす!」
と笑って、彼は去った。
坂本先生:
「ありがとうございます、篠田先生」
風のように去った大谷くんに置いてけぼりをくらった坂本先生は、やれやれと見送ると、私にそう言った。
篠田 かなえ:
「いえ、これが仕事ですから」
篠田 かなえ:
「……それにしても、仲がいいのですね」
坂本先生:
「え?」
思わずこぼれ出た言葉に、ハッとする。
篠田 かなえ:
「………ぁ」
篠田 かなえ:
「いえその、さっきの子と本当に打ち解けられているなー、と」
しまった。
教師たちには深入りしない、世間話も控えようというのが、ポリシーだったのに。
それでも、一度出したセリフを引っ込められるはずもなく、言葉を続けると坂本先生が目を細めた。
坂本先生:
「あいつらといると、楽しいんですよ」
それは、とても優しげな笑顔だった。
篠田 かなえ:
「楽しい……?」
坂本先生:
「ええ。 なんかこうね、もう1度青春やらせてもらってるって感じです 」
どこか照れくさそうに笑う坂本先生。
そんな彼を、私は見上げた。
坂本先生:
「俺の青春は、もうとうに過ぎてますけど。 あいつらといると、思い出せるんですよ 」
坂本先生:
「俺もこんなふうだったなーとか、 こんなことで悩んでたなーとか 」
坂本先生:
「今はちっぽけな悩みだったな、とも思えるんですけど」
坂本先生:
「ちっぽけじゃないんですよね、全然」
篠田 かなえ:
「……っ」
その言葉に、胸が苦しくなる。
そう、この年頃の少年少女には、全然ちっぽけじゃないんだ。
友達のことも。
部活のことも。
勉強のことも。
家族のことも。
恋愛のことも。
篠田 かなえ:
(私……)
篠田 かなえ:
(戸田さんを、本当に傷つけてしまった)
知っているのに。
恋愛で傷つくことがどんなに辛いことか、同じ女性として知っているのに。
勝手に羨ましく思って。妬んで。
変な意地悪をしてしまった。
私は……いつからこうなってしまったの?
坂本先生:
「でも、ちっぽけじゃないからこそ、真剣に悩んでて。 そんな姿に俺もまた、励まされてるんです 」
篠田 かなえ:
「励まされている……?」
坂本先生:
「はい。 お前も頑張れよって、真剣に悩めよって、言われてるみたいで 」
篠田 かなえ:
「…………」
この人は。
本当に生徒たちのことを、ちゃんと見ているんだ。
私みたいに、上っ面で業務をしているわけじゃない。
本当に。真剣に。
篠田 かなえ:
(……私、恥ずかしいわね)
思わず苦笑がこぼれた。
坂本先生:
「……っとすみません! 何だか勝手に語っちゃって 」
突然、坂本先生がハッと話題を切った。
篠田 かなえ:
「いえ、私から話しかけたんですもの」
坂本先生:
「そ、そうでしたかね」
坂本先生:
「……でも、嬉しかったですよ」
篠田 かなえ:
「え?」
坂本先生:
「篠田先生に話しかけてもらえて。 ほら先生、俺ら教師とあんまり話さないでしょう? 」
篠田 かなえ:
「……っ!」
それはおそらく、教師同士と比べてというニュアンスだとはすぐに気づいたが、あえて距離を置いていた私にとっては後ろめたくなる言葉だった。
しかし坂本先生は、そんな私の反応に気づいていないのか、爽やかに笑う。
坂本先生:
「だから、嬉しかったですよ。またお話しましょう」
篠田 かなえ:
「……はい」
嫌味のない笑顔に、ホッと心が救われる。
先ほどの戸田さんとのやりとりで沈んだ私の心は、思いがけないかたちで優しく満たされた。
◇ 続く ◇




