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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.38 子どもの時間(2)「マグカップ」

 悠の家まで、徒歩5分もかからない。

 住宅街の中にある、双子のような2軒並んだ2階建てのお家。その左側が悠のお家、中曽根家だ。

 ちなみにお隣は、新婚のご夫婦が最近越してきたらしい。


 着くと私は傘を閉じて、インターホンを鳴らした。

 すぐに悠は扉を開け、出迎えてくれる。

 すでに着替えてロングTシャツとジーパンに身を包んでいた。


 戸田 るり:

「ごめんね、迷惑かけちゃって」


 中曽根 悠:

「んなことないよ。まぁ、上がれって」


 傘の水分をしっかり払い、玄関の傘立てに入れさせてもらう。

 悠のお家は、小学2年生のときに宿題の自由研究をするため、みんなと集まったとき以来だ。

 あのときは悠の部屋で、わいわいがやがやしたな。


 戸田 るり:

「お邪魔しまーす」


 懐かしさと少しだけの緊張を持って、久しぶりに中曽根家へと入った。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 子どもの時間

(2)「マグカップ」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 悠がリビングルームに入ったので、その後について私も入る。


 戸田 るり:

「うわぁ、けっこう変わったねぇ」


 中曽根 悠:

「そりゃそうだろ」


 昔来たときと、家具の配置が少し変わっていた。

 扉を開けると右側にキッチンとダイニングテーブル、左側にソファとテレビボードがある。悠はキッチンへ入っていく。


 きょろきょろしている私に悠は「ソファにでも座ってなよ」と声をかける。

 私はスカートが雨で濡れてないかを確認して、ソファに腰掛けた。


 リビングの隅に、ドーム型のクッションがある。

 猫用のその中にはやはり、中曽根家の愛猫、スズちゃんが鎮座していた。

 昔からいる灰色短毛のその子は、この家の主のように、どっしりと中のクッションに丸まっている。


 戸田 るり:

「スズちゃん、久しぶりだ。何だか疲れてる?」


 目を細めて、尻尾だけを揺らめかす。

 少しだけ眠そうな顔だ。


 中曽根 悠:

「もういい歳だからな。最近は寝っぱなしだよ」


 悠が答えたと同時に、スズちゃんは顔を伏せて丸まった。

 たしかにこうして見ると、おばあちゃんみたいな風貌でもある。

 私はスズちゃんから視線をはずすと、またリビングを見渡した。


 戸田 るり:

「えっと、お家の人は?」


 中曽根 悠:

「まだ仕事だからいないよ。姉貴も大学からバイト先に行ってるし」


 対面式のキッチンから悠は答える。

 どうやら飲み物を用意してくれているようだ。

 うう、やっぱり2人きりなのか。


 まだ四時半。

 何となくそうだろうとは思っていたけど、ちょっぴり緊張。

 気分を変えようと、カバンを漁った。中から英語のノートと教科書を取り出す。


 中曽根 悠:

「あ、勉強すんの?」


 トレイにマグカップ2つとお菓子の器をのせて、悠が近づく。

 レモンティーのいい香りが、鼻をくすぐった。


 戸田 るり:

「うん。悠も一緒にやろ」


 中曽根 悠:

「るりは真面目だなぁ」


 戸田 るり:

「だって悠、テス勉頑張るって書いてたじゃん」


 中曽根 悠:

「やだけど、も書いてたろ」


 笑って悠は、トレイをローテーブルに置く。

 湯気を立てて並べられる白いマグカップが2つ。コーヒーが飲めない私のために用意してくれた、ホットのレモンティーだ。


 戸田 るり:

「ありがとう」


 戸田 るり:

「……悠、あのマグカップ使ってる?」


 思わずそう聞いた。

 じつは先月の私の誕生日に、おそろいのマグカップをもらったのだ。もちろんおそろいは私からのリクエストで、デザインだけ悠のセンスにお任せした。


 悠がくれた、チェック柄のシンプルだけど彼らしいそれを、私はお家で愛用中。

 ちなみに私がピンク色で、悠は水色だ。


 中曽根 悠:

「ああ、あれならペン立てで使ってるよ」


 戸田 るり:

「あ、そうなんだ」


 まさかそう使われているとは思わなかったので驚く。

 なーんだ、飲むときに使ってないんだ。


 中曽根 悠:

「俺がいきなりあんなん使ったら、ぜってー姉貴が詮索してくるからな」


 戸田 るり:

「ええー、そんな理由?」


 ついふくれっ面になってしまう。

 家族にはもうバレているはずなのに、そんなのを嫌がるなんて。

 男の子はやっぱり、そうなのかな。

 でもお付き合いをずっと家族に隠していた手前、私も強く怒ることはできない。

 何となく恥ずかしいもんね、家族に話すのは。


 戸田 るり:

(悠のマグカップは、ペン立てかぁ)


 ということは、それは今、彼の部屋だろう。

 思い立ったまま口にした。


 戸田 るり:

「ねえ、悠の部屋に行きたいな」


 中曽根 悠:

「え?」


 戸田 るり:

「マグカップ見たいし。ね!」


 脳裏に、小2の頃に見た悠の部屋が思い出される。

 悠が好きだった、特撮ヒーローの人形やおもちゃがたくさん並べられた棚。たしか壁には、世界地図や算数のかけ算表なんてのも飾ってあった気がする。


 あの頃と今では、このリビングのように様子もきっと変わっているんだろう。

 ちょっとした好奇心から、私はそれを提案した。

 でも。


 中曽根 悠:

「……ダメ」


 却下されてしまった。


 戸田 るり:

「えー、いいじゃない。汚くても気にしないよ?」


 だって悠だもん。

 昔ランドセルや服が散らかっていたように、今も制服が散らかっているのかもしれない。

 しかし悠は、頑なに首を横に振る。


 中曽根 悠:

「ダメだ。勉強するんだろ」


 さっきは「やだけど」なんて言ってたくせに。私を部屋に入れたがってないのが、あからさまだ。

 それが少しだけ、悔しくて寂しい。


 戸田 るり:

「もー、悠のけち」


 すると悠はムッとして、私のおでこを手のひらでぺちんと叩いた。


 中曽根 悠:

「簡単に男の部屋に、入ろうとするんじゃねえ。襲うぞ」


 戸田 るり:

「!?」


 ──お、お、おお……おそ!?


 まさか悠の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなくて、息が止まる。

 悠は立ち上がって背を向けたから、どんな顔をしたのかすぐにわからなかった。


 戸田 るり:

「ど、どこ行くの?」


 中曽根 悠:

「部屋だよ。ペン立てと教材持ってくる」


 振り向いたときには、もう悠はいつもの悠だった。

 さっきの言葉は、聞き間違いだったのだろうか。……うん、きっとそうに違いない。


 悠がリビングから出て行く。

 残された私は、今さらながらに心臓がドキドキとなって、小さく息を整えた。


 そんな私を横目に、クッションで丸まっていたスズちゃんが、くぁと興味なさげにあくびをした。




 ◇ 続く ◇

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