Ep.37 春のさくら(2)「橋の下で」
なぜ、こうなったのか。
春風が強く吹く河川敷。
しゃがんだ羽鳥の、セーラー服の襟がなびいている。
その向こうには、あの子猫がいる段ボール箱。小さいながらも、一生懸命張るそいつの声が、橋の下で響いていた。
羽鳥 梢:
「うわぁ、可愛い」
羽鳥の背後から俺も、膝に手をついて段ボール箱をのぞく。
そこには、今朝と同じように白い子猫がいて、俺たちに向かって懸命に鳴き声をあげていた。
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春のさくら
(2)「橋の下で」
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放課後、羽鳥と河川敷に来ていた。
引き取り手を探すには、まず自分が猫を確認しなくてはと、羽鳥ははりきって嫌がる俺を付き合わせた。
その手に持つビニール袋には、猫に詳しい中曽根から聞いた、子猫のための物が入っている。
羽鳥 梢:
「さっそく、ミルクあげてみようか」
そう言って羽鳥が、袋からスポイトと子猫用ミルクを取り出す。
子猫に人間と同じミルクは腹を下すからだめだと、中曽根から指摘された俺たち。帰りに、わざわざホームセンターに寄って買ったのだ。
中曽根にも来てほしかったが、やつは部活動で忙しく来ていない。
仕方なく、羽鳥と2人で子猫を見にきたわけだが。
羽鳥 梢:
「うわ、小さすぎて怖い。堂本くん、あげてよ」
堂本 信広:
「お前、協力してるのかしてねーのか、わかんねーな」
ミルクを吸ったスポイトを、俺に押しつける羽鳥。
子猫をじっと見るが、触るのは怖いらしい。
羽鳥 梢:
「だって、こんなに小さいの触ったことないもん」
堂本 信広:
「俺もだよ。てか、動物は苦手なんだよ」
羽鳥 梢:
「えー、うっそだー」
そんな会話をしながら、あぐらをかいた俺は地面に尻をつけ、タオルでくるんだ子猫を膝の上に乗せた。背中は高架下の壁にもたれさせる。
スポイトを口元に持っていくと、子猫はすぐに反応した。
羽鳥 梢:
「あ、吸った吸った」
今度は羽鳥が、俺を見下ろした。膝に手をついて腰を曲げ、身をかがめる。
俺はそんな羽鳥に一瞬気がいったが、子猫が一生懸命スポイトの先を吸い込むので、そちらにまた視線を向けた。
少しずつスポイトを指で押して、ちょっとずつミルクを子猫の口に入れてやる。
堂本 信広:
「がっついてんな」
羽鳥 梢:
「お腹空いてたんだね。……あ、垂れてる垂れてる」
羽鳥は用意していた自分のハンカチで、子猫の口から垂れるミルクを拭いてやっていた。
子猫はチュクチュクと懸命にミルクを吸っている。見たことはないが、人間の赤ん坊みたいだ。
羽鳥 梢:
「……赤ちゃんみたい」
同じことを思ったのか、羽鳥は笑ってそう言う。
ちらりとそちらに視線を向け、とある箇所をじっと見て俺はつぶやいた。
堂本 信広:
「……お前さ」
羽鳥 梢:
「ん?」
堂本 信広:
「もっと、色気あるブラつけたら?」
羽鳥 梢:
「え!? ──わあ!」
これまた色気のない悲鳴をあげて、羽鳥は慌てる。胸元を抱き、背中をのけ反らせた。
男の顔の近くでかがみ込むなんて、バカなやつ。
弛んだ制服の胸元からは、キャミソールとカラフルな星模様のブラが見えていた。
無防備すぎか。
羽鳥 梢:
「み、見るなバカ!」
堂本 信広:
「お前が見せたんだろ、バーカ」
別に見ようと思って、見たんじゃねーし。ま、ラッキーだったけど。
やつは、真っ赤に震えて怒鳴った。
羽鳥 梢:
「こ……このスケベっ」
委員長らしくない、語彙力の低さである。
堂本 信広:
「怒鳴るなよな。猫がビビるだろ」
羽鳥 梢:
「うっ……」
俺がフンと鼻を鳴らすと、羽鳥はまた猫を見るためかがんだ。次はきちんと、しゃがんで胸元をガードしている。
羽鳥 梢:
「……ちゃんと、飲んでるね」
スポイトの中身は、ほぼ空になりつつある。
またミルクを補充するためにスポイトを遠ざけると、子猫は不服そうに泣き叫んで、前足をピンとはった。
羽鳥がまたスポイトにミルクを入れる。
そしておずおずと、手を差し伸べた。
羽鳥 梢:
「次、私が飲ませてみてもいい?」
堂本 信広:
「ん」
俺は子猫を、タオルごと羽鳥に渡した。
羽鳥は戸惑いつつも、どこか慣れた様子で子猫を腕に抱く。スポイトを子猫の口元に寄せ、ミルクを与えた。
羽鳥 梢:
「へへ、飲んでる」
どこか安心したように笑って、子猫を見つめる。
子猫は「まだ足りないぞ」とでも言いたげに、無心にミルクを飲んでいる。
俺はあぐらをかいた足に膝をついて、頬杖をつきつつそんな様子を見つめた。
姫泣川の河川敷。
この橋の下で去年、俺は羽鳥と雨宿りをしたことがあった。
したくてしたんじゃない。突然の大雨で、ここに避難したらこいつもいたのだ。
そこで俺は、羽鳥を「嫌いだ」と吐き捨てた。
本心だった。
いつもニコニコ笑って教室の中心にいたこいつが、当時の俺には、とんでもなく目障りに感じていたから。
でも今は、そんなことを感じない。
こいつが笑顔を浮かべていてもイライラしないし、普通に話せる。
あれは、何だったのだろうか。
俺にもよくわからない。
その答えを見つけ出せるわけもないのに、羽鳥の顔をじっと見た。
羽鳥は子猫を微笑んで見つめていたが、やがて俺の視線に気づいて、ムッとする。
羽鳥 梢:
「何よ。そんなに睨まないでよ」
堂本 信広:
「あ? 睨んでねーよ」
目つきが悪いだけだよ、悪かったな。
心でツバを吐くと、羽鳥はまた子猫を見つめて小さく笑う。
羽鳥 梢:
「この子の肉球、キレイなピンク色だね」
肉球なんか、注目したこともなかった。
羽鳥に言われあらためて子猫の肉球を見ると、たしかにキレイなピンク色のそれが、小さな前足にくっついている。
羽鳥 梢:
「桜色だ」
堂本 信広:
「…………」
堂本 信広:
「お前は何でも、キレイだって言うな」
羽鳥 梢:
「え、そう?」
きょとんとしたこいつは、きっともう忘れているんだろう。
俺の金髪を、琥珀みたいでキレイと言ったことを。
今では黒に戻した自分の髪を、小さくかく。そしてまた、子猫を見た。それにつられて、羽鳥も子猫に目線を戻す。
小さなそいつは、そんな俺たちの視線を無視して、ただただ与えられたミルクを、幸せそうに飲んでいた。
・ ・ ・
羽鳥 梢:
「じゃあ、明日からみんなに聞いてみるね」
堂本 信広:
「ん」
河川敷で、羽鳥はビニール袋と子猫が入っている段ボール箱を抱えてそう言った。
俺はカバンを肩にかけ直し、そんな羽鳥と並ぶ。
子猫は、羽鳥の家の軒下にとりあえず置かせてもらうことになった。
羽鳥のところは父親が猫アレルギーらしいが、外なら大丈夫だろうと引き受けてくれる。
季節が春先でよかったと、彼女は笑った。
堂本 信広:
「……悪かったな」
結局、猫を押しつけるかたちになってしまった。
片親の母親にこれ以上の負担をかけたくなくて、羽鳥の「私が預かろうか?」という申し出に、甘えている。
羽鳥 梢:
「ううん。私もここに置いていくの、怖いし」
羽鳥は空を見上げた。
そこには空中を迂回する鳥が見える。カラスではないが、その存在は不穏に感じる。
──こいつ、今日までよく、生き延びれたな。
そう思って子猫の入った段ボール箱を見た。
羽鳥 梢:
「じゃあまた明日から、引き取り手探し頑張ろうね」
堂本 信広:
「ん? ああ」
羽鳥は「バイバイ」と言って、背中を向けた。
俺と羽鳥の帰り道は、ちょうど橋のところで分かれる。
俺はまっすぐ河川敷横の道を歩き、羽鳥は橋を渡って向こうの大きな道路を目指した。
遠ざかる羽鳥の背中を見送り、俺も帰路へ歩を進める。
さあ、帰ったら昼寝でもすっかと、やけに疲れた肩をほぐした。
◇ 続く ◇




