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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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Ep.37 春のさくら(2)「橋の下で」

 なぜ、こうなったのか。

 春風が強く吹く河川敷。

 しゃがんだ羽鳥の、セーラー服の襟がなびいている。


 その向こうには、あの子猫がいる段ボール箱。小さいながらも、一生懸命張るそいつの声が、橋の下で響いていた。


 羽鳥 梢:

「うわぁ、可愛い」


 羽鳥の背後から俺も、膝に手をついて段ボール箱をのぞく。

 そこには、今朝と同じように白い子猫がいて、俺たちに向かって懸命に鳴き声をあげていた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 春のさくら

(2)「橋の下で」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 放課後、羽鳥と河川敷に来ていた。

 引き取り手を探すには、まず自分が猫を確認しなくてはと、羽鳥ははりきって嫌がる俺を付き合わせた。

 その手に持つビニール袋には、猫に詳しい中曽根から聞いた、子猫のための物が入っている。


 羽鳥 梢:

「さっそく、ミルクあげてみようか」


 そう言って羽鳥が、袋からスポイトと子猫用ミルクを取り出す。

 子猫に人間と同じミルクは腹を下すからだめだと、中曽根から指摘された俺たち。帰りに、わざわざホームセンターに寄って買ったのだ。


 中曽根にも来てほしかったが、やつは部活動で忙しく来ていない。

 仕方なく、羽鳥と2人で子猫を見にきたわけだが。


 羽鳥 梢:

「うわ、小さすぎて怖い。堂本くん、あげてよ」


 堂本 信広:

「お前、協力してるのかしてねーのか、わかんねーな」


 ミルクを吸ったスポイトを、俺に押しつける羽鳥。

 子猫をじっと見るが、触るのは怖いらしい。


 羽鳥 梢:

「だって、こんなに小さいの触ったことないもん」


 堂本 信広:

「俺もだよ。てか、動物は苦手なんだよ」


 羽鳥 梢:

「えー、うっそだー」


 そんな会話をしながら、あぐらをかいた俺は地面に尻をつけ、タオルでくるんだ子猫を膝の上に乗せた。背中は高架下の壁にもたれさせる。

 スポイトを口元に持っていくと、子猫はすぐに反応した。


 羽鳥 梢:

「あ、吸った吸った」


 今度は羽鳥が、俺を見下ろした。膝に手をついて腰を曲げ、身をかがめる。

 俺はそんな羽鳥に一瞬気がいったが、子猫が一生懸命スポイトの先を吸い込むので、そちらにまた視線を向けた。

 少しずつスポイトを指で押して、ちょっとずつミルクを子猫の口に入れてやる。


 堂本 信広:

「がっついてんな」


 羽鳥 梢:

「お腹空いてたんだね。……あ、垂れてる垂れてる」


 羽鳥は用意していた自分のハンカチで、子猫の口から垂れるミルクを拭いてやっていた。

 子猫はチュクチュクと懸命にミルクを吸っている。見たことはないが、人間の赤ん坊みたいだ。


 羽鳥 梢:

「……赤ちゃんみたい」


 同じことを思ったのか、羽鳥は笑ってそう言う。

 ちらりとそちらに視線を向け、とある箇所をじっと見て俺はつぶやいた。


 堂本 信広:

「……お前さ」


 羽鳥 梢:

「ん?」


 堂本 信広:

「もっと、色気あるブラつけたら?」


 羽鳥 梢:

「え!? ──わあ!」


 これまた色気のない悲鳴をあげて、羽鳥は慌てる。胸元を抱き、背中をのけ反らせた。

 男の顔の近くでかがみ込むなんて、バカなやつ。

 弛んだ制服の胸元からは、キャミソールとカラフルな星模様のブラが見えていた。

 無防備すぎか。


 羽鳥 梢:

「み、見るなバカ!」


 堂本 信広:

「お前が見せたんだろ、バーカ」


 別に見ようと思って、見たんじゃねーし。ま、ラッキーだったけど。

 やつは、真っ赤に震えて怒鳴った。


 羽鳥 梢:

「こ……このスケベっ」


 委員長らしくない、語彙力の低さである。


 堂本 信広:

「怒鳴るなよな。猫がビビるだろ」


 羽鳥 梢:

「うっ……」


 俺がフンと鼻を鳴らすと、羽鳥はまた猫を見るためかがんだ。次はきちんと、しゃがんで胸元をガードしている。


 羽鳥 梢:

「……ちゃんと、飲んでるね」


 スポイトの中身は、ほぼ空になりつつある。

 またミルクを補充するためにスポイトを遠ざけると、子猫は不服そうに泣き叫んで、前足をピンとはった。

 羽鳥がまたスポイトにミルクを入れる。

 そしておずおずと、手を差し伸べた。


 羽鳥 梢:

「次、私が飲ませてみてもいい?」


 堂本 信広:

「ん」


 俺は子猫を、タオルごと羽鳥に渡した。

 羽鳥は戸惑いつつも、どこか慣れた様子で子猫を腕に抱く。スポイトを子猫の口元に寄せ、ミルクを与えた。


 羽鳥 梢:

「へへ、飲んでる」


 どこか安心したように笑って、子猫を見つめる。

 子猫は「まだ足りないぞ」とでも言いたげに、無心にミルクを飲んでいる。

 俺はあぐらをかいた足に膝をついて、頬杖をつきつつそんな様子を見つめた。


 姫泣川の河川敷。

 この橋の下で去年、俺は羽鳥と雨宿りをしたことがあった。

 したくてしたんじゃない。突然の大雨で、ここに避難したらこいつもいたのだ。


 そこで俺は、羽鳥を「嫌いだ」と吐き捨てた。

 本心だった。

 いつもニコニコ笑って教室の中心にいたこいつが、当時の俺には、とんでもなく目障りに感じていたから。


 でも今は、そんなことを感じない。

 こいつが笑顔を浮かべていてもイライラしないし、普通に話せる。

 あれは、何だったのだろうか。

 俺にもよくわからない。


 その答えを見つけ出せるわけもないのに、羽鳥の顔をじっと見た。

 羽鳥は子猫を微笑んで見つめていたが、やがて俺の視線に気づいて、ムッとする。


 羽鳥 梢:

「何よ。そんなに睨まないでよ」


 堂本 信広:

「あ? 睨んでねーよ」


 目つきが悪いだけだよ、悪かったな。

 心でツバを吐くと、羽鳥はまた子猫を見つめて小さく笑う。


 羽鳥 梢:

「この子の肉球、キレイなピンク色だね」


 肉球なんか、注目したこともなかった。

 羽鳥に言われあらためて子猫の肉球を見ると、たしかにキレイなピンク色のそれが、小さな前足にくっついている。


 羽鳥 梢:

「桜色だ」


 堂本 信広:

「…………」


 堂本 信広:

「お前は何でも、キレイだって言うな」


 羽鳥 梢:

「え、そう?」


 きょとんとしたこいつは、きっともう忘れているんだろう。

 俺の金髪を、琥珀みたいでキレイと言ったことを。

 今では黒に戻した自分の髪を、小さくかく。そしてまた、子猫を見た。それにつられて、羽鳥も子猫に目線を戻す。


 小さなそいつは、そんな俺たちの視線を無視して、ただただ与えられたミルクを、幸せそうに飲んでいた。



 ・   ・   ・



 羽鳥 梢:

「じゃあ、明日からみんなに聞いてみるね」


 堂本 信広:

「ん」


 河川敷で、羽鳥はビニール袋と子猫が入っている段ボール箱を抱えてそう言った。

 俺はカバンを肩にかけ直し、そんな羽鳥と並ぶ。


 子猫は、羽鳥の家の軒下にとりあえず置かせてもらうことになった。

 羽鳥のところは父親が猫アレルギーらしいが、外なら大丈夫だろうと引き受けてくれる。

 季節が春先でよかったと、彼女は笑った。


 堂本 信広:

「……悪かったな」


 結局、猫を押しつけるかたちになってしまった。

 片親の母親にこれ以上の負担をかけたくなくて、羽鳥の「私が預かろうか?」という申し出に、甘えている。


 羽鳥 梢:

「ううん。私もここに置いていくの、怖いし」


 羽鳥は空を見上げた。

 そこには空中を迂回する鳥が見える。カラスではないが、その存在は不穏に感じる。


──こいつ、今日までよく、生き延びれたな。


 そう思って子猫の入った段ボール箱を見た。


 羽鳥 梢:

「じゃあまた明日から、引き取り手探し頑張ろうね」


 堂本 信広:

「ん? ああ」


 羽鳥は「バイバイ」と言って、背中を向けた。

 俺と羽鳥の帰り道は、ちょうど橋のところで分かれる。

 俺はまっすぐ河川敷横の道を歩き、羽鳥は橋を渡って向こうの大きな道路を目指した。


 遠ざかる羽鳥の背中を見送り、俺も帰路へ歩を進める。


 さあ、帰ったら昼寝でもすっかと、やけに疲れた肩をほぐした。




 ◇ 続く ◇

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