Ep.35 君と最後のキスを(5)「中3、バレンタイン」
保健室での出会いをきっかけに、るりちゃんに声をかけるようになった。
受験でそれどころではないのだが、仕方ない。気になってしまうのだから。
中曽根くんもついでにからかってみたけれど、まぁ余裕がないね。面白い。
第一、エースの座もるりちゃんも手に入れてるくせに、心が狭いんだよ。
五十嵐 蒼太:
「るりちゃん、バレンタインは俺にもちょうだいね」
寒い廊下の中、帰ろうとする彼女にまた声をかけたのだけれど。
戸田 るり:
「それはできません」
さらりとかわされてしまった。
案の定、身持ちが堅いね、るりちゃん。
そんなところは好印象である。
るりちゃんとしゃべってみて、わかったことがある。
彼女は、真面目で照れ屋で一途だ。
男と逃避行した俺の母さんとは、正反対だった。
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
君と最後のキスを
(5)「中3、バレンタイン」
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
結局、るりちゃんからのバレンタインチョコはもらえぬまま、2月14日は終わろうとする。
しかし、天からの恵みか、悪魔の囁きか。
また仮眠をしようと保健室へ出向いたら、1人眠るるりちゃんを見つけてしまった。
布団もかぶらずに制服姿のまま、眠り姫のようにスヤスヤ寝ている。
五十嵐 蒼太:
(おやおや)
うーん、無防備。
しかも先生も誰もいないなんて、神様に試されているような気分だ。
試しに、彼女が眠るベッドに腰掛けてみる。
スプリングが小さくきしみ、ベッドも沈んだが、るりちゃんは起きなかった。
五十嵐 蒼太:
「………」
頭を撫でてみる。
起きない。
頬に触れてみる。
起きない。
ベッド近くの窓の外では、寒い中ご苦労なことに部活動に励んでいるみんながいる。
中曽根くんも、その中にいるはずだった。
それを横目に指をずらす。
五十嵐 蒼太:
(もう、キスはしたのかね)
えい、と指2本で、唇を押してみた。
柔らかい感触が指先に伝わる。
さすがにこれは、俺も少しだけ照れた。
五十嵐 蒼太:
(うわ、俺って変態かも)
と思ったときだった。
るりちゃんが目を覚ました。
あ、やべっ。
起き上がった彼女は、口を手で覆い驚いている。どうやらキスをされたと、勘違いしているらしい。
からかいたくなって、俺は誤解をさせたままにしてみた。
そこでるりちゃんは、泣きそうな顔をしたもんだから、掴まえて誤解を解こうとしたのに振り切られてしまう。
戸田 るり:
「離してください!」
思いきり睨まれてしまった。
あちゃー。やっちゃったかな。
1人保健室に残された俺は、ベッドに座ったまま頭をポリポリかく。
五十嵐 蒼太:
(そんなに嫌がらなくても……)
案外ショックだ。
せっかく話せるようになったのに、これではもう、話しかけても無駄かもしれない。
五十嵐 蒼太:
「………ちぇ」
何やってんだか。
・ ・ ・
俺の役どころはさしずめ、お姫様を狙う悪役だったのだろう。
その夜、王子様である中曽根くんが、悪者退治のために公園へとやってきた。
俺と対峙する中曽根くんは、敵意を隠すこともせず、まっすぐに睨んでくる。
そんな彼を見ていると、俺自身もムカつきが湧いてきた。
何だよ。お前は十分、幸せじゃないか。
サッカー部で、坂もっちゃんに期待されて。
るりちゃんとも付き合って。
──まったく、目障りな存在だ。
五十嵐 蒼太:
「超リア充だよね──ぶっ潰したくなる」
気持ちをそのまま、やつにぶつけた。
中曽根くんは、少しだけショックを受けたような顔をして、こんなことを聞いてきた。
中曽根 悠:
「お前……るりのこと、好きじゃないのかよ」
五十嵐 蒼太:
「るりちゃん?」
好きだよ、犬や猫くらいには。
そんな感覚だった。
五十嵐 蒼太:
「…………」
だった──はずだった。
いや。
でも案外。
五十嵐 蒼太:
「るりちゃんは好きだよ」
るりちゃんの、俺を拒絶する表情が浮かんで。
それに軽くショックを受けたことを思い出して。
俺は案外、彼女のことが好きなのかもしれない。
ちょっと、そう思った。
そんな俺に対して中曽根くんは、何とサッカーの勝負を挑んできた。
自分に有利なもので勝負してくるあたりが、ちょっと卑怯じゃね? と思ったけれど、卑怯なことをしてでもるりちゃんを守りたいと思ったのかもしれない。
それに、俺もこいつとサッカーをしてみたいと思ったんだ。
だから俺は、ニヤリと笑ってその勝負を受けた。
そうしてプレイした、中曽根くんとの1オン1。
小池くんとのプレイでも感じた「他人とのサッカー」への興奮と喜びが、再び俺を包んでいた。
膝はまだ少し、痛むけれど。
そんなの気にしないくらい、楽しい時間だった。
ちょっと、悔しいけどね。
中曽根 悠:
「もう、るりに手ぇ出すなよ!」
勝負にも勝って、キスしていないことも教えてあげたのに、中曽根くんは去ろうとする俺にまだそんなことを言う。
しつこい男は嫌われるよ。
五十嵐 蒼太:
「もうすぐ卒業だよ、俺。出したくても、もう出せねーよ」
自分で言ったこのセリフに、少し胸が痛んだ。
そうだ。
卒業したらもう、るりちゃんを見られなくなるんだ。
彼女は知らない。
俺が2年生の頃から、ずっと彼女の存在を知っていたこと。
たまに見える姿を目で追っていたことを。
最初はただ、サッカー部の中曽根くんの彼女だからということで、気にしただけだった。
でも──ああ、もしかしたら。
俺はずっと、彼女と話をしてみたかったのかもしれないな。
保健室で、あの横顔を見たときから。
一途にグラウンドを眺める彼女を、見たときから。
俺はいつも、気づくのが遅い。
サッカーが好きなことにも。
るりちゃんが結構、好きだったことにも。
五十嵐 蒼太:
「……やっぱり中曽根くん、ムカつくなぁ」
エースの座も、彼氏の座も。
そこに居座る彼が、憎たらしく思える。
俺も柴田と変わらないな。
でもさ。
俺はちゃんと、わかっているよ。
自分が動いてないから、そうなっているんだってことは。
サッカー部も、辞めなくてよかったんだ。
リハビリを頑張って、復帰してもよかったんだ。
るりちゃんにもっと早く、声をかけていればよかったんだ。
キスを誤解されたときに、ふざけなければよかったんだ。
でも、諦めることに慣れていた俺は、それをしなかった。
ダメなものはダメなんだと、思い込むようになったのはいつからか。
──ああ、そうか。
母さん:
「……蒼太。 バイバイ」
遠い過去に消えた、母さんの影。
それに俺はずっと囚われている。
去っていくもの。
ダメになったもの。
すでに他人のもの。
それらはすべて、諦めるべき存在であると──思い込まされた重い鎖。
五十嵐 蒼太:
「…………」
五十嵐 蒼太:
(断ち切んなきゃ、ね)
だってもう、義務教育も終わっちゃうし。
意味もない理由を引っ張ってきて、ため息をつく。
冷たい空気を吸い込んで深呼吸をすれば、白い息が吐き出される。
大人になるための空気はいつだって、五臓六腑にしみるんだ。
◇ 続く ◇




