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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第一章 ご乗車ください《1年生編》
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Ep.4 アゲイン (1)「保健室の先生」

 白衣なんて着なくてもいいのだけれど、羽織ると心地いい。

 パリッとした、のりが効いているものなら更にいい。


 夕暮れ時。

 人気の少ない廊下を、私は白衣をひるがえし歩いていた。

 帰路につこうとする生徒たち。

 まだ残業と戦う先生たち。


 そんな群衆とはかけ離れている私、篠田《しのだ》かなえは、この中学校の保健室の先生──いわゆる養護教諭──である。

「保健だより」と書かれたプリントの束を、持って歩く。



「───好きです!」


 篠田 かなえ:

(ん?)


 誰かが、開けっ放しにしたのだろう。

 少し開いた窓の外から、何やら声が聞こえた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 アゲイン

(1)「保健室の先生」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 つい立ち止まって窓の外を見やると、そこは校舎裏の人気のない場所だった。


 うちの生徒だろう男女2人が、夕焼けに照らされながら向かい合っている。

 女の子が声を出す。


 女の子:

「私ずっと、中曽根くんのこと好きだったの。付き合ってください」


 篠田 かなえ:

(……おやおや。これはこれは)


 ここは一階の廊下。

 あまり人が通らない道だから、油断していたのだろうか。

 窓が開いていたこともあって、静かなこちらに女の子の声が届いてしまった。


 これが、下世話な出歯亀行為だということは重々承知している。

 でも、聞いてしまったのだから仕方がない。

 気になってしまうじゃないか。


 篠田 かなえ:

(あれは、1組のマドンナと……2組のサッカー少年か)


 まだすべての生徒の名前と顔が、一致しているわけじゃない。

 でも2人とも、何となく見覚えのある子だった。


 中学生になったばかりの2人は、私から見れば幼い子どもだ。

 なのに、こんな雰囲気たっぷりの放課後で告白とは。

 最近の子どもは、まったくマセている。


 中曽根 悠:

「……」


 中曽根 悠:

「ごめん。付き合えない」


 女の子:

「!」


 篠田 かなえ:

「………」


 女の子の決死の告白は、あっけなく玉砕した。

 男の子はどこか後ろめたそうに、目を背ける。

 彼に振られた女の子は、唇を噛み締めながら言葉を続けた。


 女の子:

「他に好きな子がいるの?」


 その問いは、男の子の小さなうなずきで肯定された。

 偽らない彼の態度にも、真剣に答えてあげようという不器用さを感じる。


 女の子:

「それって……戸田るりちゃん?」


 中曽根 悠:

「え!」


 途端に男の子の顔が、真っ赤になった。


 中曽根 悠:

「………ああ」


 女の子:

「……そっか」


 昔から仲良かったもんね、と続けた女の子の台詞から、彼女も長年の片思いをしていたのだろうと推測された。


 同じ小学校だったのだろうか。

 中学校という以前よりも大きなコミュニティに放り込まれ、不安定になった片思いの環境に、彼女は何か変化を起こしたかったのかもしれない。

 それが、こんな結末になることもきっと、覚悟して。


 篠田 かなえ:

「………」


 目を細める。

 それは、夕焼けが眩しかったからに違いないと、身を返してそこから離れた。



 ・   ・   ・



 とある昼休み時間。

 保健室で書類を片していると、1人の女生徒が扉を開けた。


 戸田 るり:

「先生、ちょっと横にさせてもらっていいですか?」


 篠田 かなえ:

「あら、どうしたの」


 その子の顔を見て、ハタと思い出す。

 ああ、この子が戸田るりちゃんだ。


 保健委員に所属していて、何回か怪我人や病人に付き添ってくれたことがあった。

 話しやすい、明るい女の子。

 そうか。この子があのサッカー少年の好きな子か。


 そんなことを私が考えているとも知りはしない戸田さんは、言いづらそうに小さな声で呟いた。


 戸田 るり:

「その……ちょっとお腹が痛くて。 いつもはそうでもないですけど…… 」


 篠田 かなえ:

「ああ、お月様が来たのね」


 戸田 るり:

「……はい」


 彼女はまるで、罪人のようにしゅんとうなだれる。


 生理痛を理由に、保健室で休む女の子は結構多い。

 けれど年頃のせいか、その理由で休むことを罪悪に感じる女の子は多く、来る子たちはいつもどこかそわそわしている。

 別に女性なら当たり前のことでも、つい最近まで子どもだった身からしたら、戸惑う部分も多いのだろう。

 もちろん個人差もあるので、まったく痛みがない子もいれば、毎月ここにお世話になる子もいる。


 戸田 るり:

「先月は、痛くなかったのにな」


 篠田 かなえ:

「そういう子も多いわよ」


 戸田さんみたいに、月によって痛みが違う子もたくさんいる。

 保健室を利用するときは、体温をはかる決まりがあるので、彼女に体温計を渡した。


 篠田 かなえ:

「音が鳴ったら教えてね」


 戸田 るり:

「はい」


 戸田さんは入り口近くのパイプ椅子に座り、体温を測り出した。

 私はベッドを準備しようと、奥に入る。

 今日は平和な日で、あまり保健室利用者もなく、今は彼女1人しかいない。


 と、その時。


 中曽根 悠:

「先生〜、絆創膏ちょうだい〜!」


 ガラリと、荒々しく保健室に男子生徒が1人入ってきた。


 篠田 かなえ:

(あら、この声は……)


 戸田 るり:

「! な、中曽根!」


 中曽根 悠:

「あれ、戸田じゃん」


 いつぞやの、モテモテサッカー少年だ。

 彼は、好きな相手が保健室にいたことにビックリしつつも、心配そうに声をかけた。


 中曽根 悠:

「お前、具合悪かったのか? 大丈夫か?」


 戸田 るり:

「だ、大丈夫」


 この場合、体調の詮索をされるのは彼女にとって荷が重いだろう。

 私はベッドメイキングもそこそこに、奥から姿を現した。


 篠田 かなえ:

「どうしたの」


 中曽根 悠:

「あ、先生。 ちょっとさっき、怪我してさ 」


 そう言って少年は、右肘の擦り傷をどこか誇らしげに見せる。


 篠田 かなえ:

「どうしたの、それ」


 中曽根 悠:

「休み時間にサッカーしてたら、派手に転んだ」


 篠田 かなえ:

「あらあら。ちゃんと流水で流した?」


 中曽根 悠:

「うん。すっげーしみた!」


 戸田 るり:

「……サッカーバカ」


 中曽根 悠:

「なんだよ、戸田ー! 怪我人には優しくしろよなっ」


 戸田 るり:

「ほめたのよ。 サッカー大好きねって 」


 中曽根 悠:

「そうかぁ?」


 篠田 かなえ:

「………」


 おやおやと、私は2人のやり取りを見つめた。

 どうやらこの2人は、両想いらしい。

 見ていればなんとなくわかる。

 初々しい2人のやり取りは、ぎこちなさはあるものの、幸せそうな空気に満ちている。

 振られたあの女の子には残念だけれど、とてもお似合いのように私には見えた。


 篠田 かなえ:

(……本当に、見ていて微笑ましいわね)



 篠田 かなえ:

(……嫌になるぐらい)


 どうせ、その好きな気持ちもいつか無くなるのよ。


 恋愛なんて所詮、脳が見せる特有の幻覚なの。


 あなたたち2人が今感じている「好き」も、いつか消えて無くなる。


 やたら冷静な頭で、私はそんなことを考えていた。




 ◇ 続く ◇

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