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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第二章 安全運転にて走行中《2年生編》
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Ep.34 君と初めてのキスを(8)「大切なのは」

 五十嵐先輩に、キスされたことを悠に伝えた私。

 それは、正しいことだったんだろうか。

 自分が隠しきれなかった苦しみを、彼に押し付けただけなんじゃないだろうか。

 悠は私は悪くないと、何度も言ってくれていたけれど。


 戸田 るり:

(悠……辛そうだった)


 悠に見送られて、家に入った私。

 部屋で着替えながら、深いため息を吐き出した。


 呆れられなかっただろうか。

 嫌われなかっただろうか。

 そんなことばかり、考えた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 君と初めてのキスを

(8)「大切なのは」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 その日の夕飯は、どことなく味気なく感じた。もそもそと小さく食《は》む。

 夕ご飯を食べ終えた私は、リビングでとくに観たくもないバラエティ番組をぼーっと観ていた。

 内容は、頭に入っていなかった。

 食器洗いを終えたお母さんが、そんな私に食後のプリンを持ってきてくれる。


 お母さん:

「はい、どうぞ」


 戸田 るり:

「ありがとう」


 お父さんはお風呂に入っている。

 お母さんは私の横に座り、小さく笑った。


 お母さん:

「どうしたの? せっかくのバレンタインに、悠くんとケンカでもしちゃった?」


 戸田 るり:

「!」


 さすがはお母さんだ。

 私が落ち込んでいることを、とうに見抜いている。

 でもまさか、お母さんに今日のことを相談なんてできるはずもない。


 戸田 るり:

「そういうわけじゃ……ないけど」


 そう答えるのが、精一杯だ。


 お母さん:

「…………」


 お母さん:

「ねぇるり、いいもの見せてあげよっか」


 戸田 るり:

「え?」


 お母さんは私の返事を待たないで、リビングから出て行ってしまう。

 しばらくして戻ってきたお母さんは、1冊の冊子を手にしていた。

 それは、私の小さな頃のアルバム。

 私の隣に座ると、一緒に見られるように中央に置いてめくってくれる。


 お母さん:

「幼稚園の頃のよ」


 戸田 るり:

「うわぁ、懐かしい」


 めくれば、小さい頃の自分がたくさんいた。

 幼馴染みの梢ちゃんや、悠も見つけて胸がきゅっとなる。

 こんなに幼い頃から、私たちは一緒だったんだ。


 でも、このアルバムなら今までにも何回か見たことはある。

 何でこれが、いいものなんだろう。

 不思議に思った私の横で、お母さんが含み笑いをした。


 お母さん:

「じつはこのアルバムには、秘密があるのです」


 戸田 るり:

「え?」


 そう言うと、お母さんはあるページの台紙の透明フィルムをめくった。

 幼稚園の集合写真の、大きな写真が貼ってあるページだ。

 その大きな写真もはがしてしまう。

 するとそこから、普通サイズの写真が現れた。

 写真の下に、写真が隠されていたのだ。


 お母さん:

「これ、今まで隠してたけど、もういいわよね」


 戸田 るり:

「あ……!」


 その写真を見て驚いた。

 そこに写っていたのは、さらに幼い私と悠。

 背景は私の家のリビングだ。悠が遊びに来たときに、写したのだろう。

 でも驚いたのは、悠が写っていたからじゃない。

 その幼い悠が、同じく幼い私に、なんとキスをしていたからだ。


 向き合って座る私に抱きつくかのように、顔を寄せて、唇同士のキスをしている。

 悠は目を閉じて、私はきょとんとしたようにそんな彼を見ていた。


 戸田 るり:

「!」


 えええー!?

 何これー!?


 心臓が激しく鳴り始める。

 慌てた私の隣で、お母さんが楽しそうに笑った。


 お母さん:

「2歳の頃かな。悠くんが、お母さんと遊びに来てね」


 お母さん:

「一緒に遊んでたら悠くんが突然、ね」


 戸田 るり:

「ええー……」


 2歳の頃なんて、覚えてないよ。

 ていうか、悠も絶対、覚えてない。


 お母さん:

「るりも嫌がってなかったから、お母さんつい撮影しちゃった」


 戸田 るり:

「む、娘のファーストキスが奪われてるのに!?」


 お母さん:

「いいじゃないの。結局、彼氏になってるんだから」


 お母さんは無責任な発言をする。

 もし私が悠と付き合っていなかったら、これはきっと知らぬうちに捨てられていたのかもしれない。

 喜んでいいのかもわからずに、ただ顔を赤くする。

 お母さんは、内緒話のように言った。


 お母さん:

「それにファーストキスなんて、重要じゃないのよ」


 戸田 るり:

「え?」


 お母さんは小さく笑う。


 お母さん:

「るりだって、もしかしたらこの先、悠くん以外と付き合うかもしれないでしょ」


 戸田 るり:

「ヤなこと言わないでよ……」


 今の私には縁起でもない話だ。


 お母さん:

「もしもの話よ」


 お母さん:

「でもね、運命の人なんていつ出会えるかわからないんだから『初めて』はそんなに重要じゃないわけ」


 戸田 るり:

「はぁ」


 たぶんお母さんは、私たちが別れる可能性も考えて、こんな話をしているのだろう。

 まだ中学生だからって、失礼しちゃう。

 でも、語られる言葉に、私はなぜか耳を傾けてしまう。


 お母さん:

「最後のキスの方が、お母さんは大切だと思うな」


 戸田 るり:

「最後の……?」


 初めてじゃなくて、最後が大切だというお母さん。

 柔らかく笑う。


 お母さん:

「そう。人生の最後のキスは誰としたいのか、誰であってほしいのか」


 戸田 るり:

「………」


 お母さん:

「……なんて、るりにはちょっと早かったかな?」


 戸田 るり:

「……もう。お母さん!」


 照れくさくて、お母さんにクッションを押し当ててしまう。

 でも、お母さんの言葉が沈んでいた私の気持ちを包んでくれた。


 初めてのキスや順番に、意味なんてそんなにないのかもしれない。

 初めてが悠であっても。悠でなくても。

 私が今キスをしたいと思うのは悠だけだし、その気持ちは変わらない。


 スッと何かが腑に落ちて、すっきりした気分になった。

 とその時、お風呂からお父さんが出てくる音が聞こえた。


 お母さん:

「あ、いけない。お父さん、これを見せるとうるさいのよね。数年前にこれ見つけてね。それ以来悠くん、目の敵」


 戸田 るり:

「だ、だからか……」


 やたら悠を嫌っていたお父さん。

 その理由は、これだったのである。

 しかし、隠す前にお父さんがリビングに入ってきた。

 湯気を立たせて「いい湯だったぁ」とつぶやきながらこちらに近寄り、写真を見てしまう。


 お父さん:

「こ、こんなのまだ持ってたのか!」


 お母さん:

「だって可愛いじゃない。今はお付き合いしてるんだし」


 お父さん:

「ダメだダメだ! こんな……るりが可哀想だ!!」


 戸田 るり:

「お父さん……」


 お父さんに対して思わず笑ってしまう。でも。


 お父さん:

「るりのファーストキスはお父さんだぞ! 赤ちゃんの頃に、ぶちゅっとな……」


 戸田 るり:

「……お父さん、キライ」


 お父さん:

(ガーーーン!)


 もう、お父さんも悠も五十嵐先輩も、私が知らない間にキスをするのはやめてほしい。


 でももう、いいや。


 これからのキスは、私が選ぶんだ。

 大切なのは、これから誰としたいのか。

 最後は誰であってほしいのか。


 そうなんでしょ? お母さん。


 戸田 るり:

「お母さんは、お父さんと最後のキスをしたいから、結婚したの?」


 小さくコソッとそう聞いたけど。


 お母さん:

「のはずだったんだけど。今は自信ないかな」


 なんて、お母さんは苦笑いして「るり~」と泣くお父さんを、見ていたのだった。




 ◇ 続く ◇

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