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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第二章 安全運転にて走行中《2年生編》
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Ep.34 君と初めてのキスを(5)「沈黙」

 保健室に戻ることもできずに、暗い校内を歩く。

 とりあえず、2階の渡り廊下から校庭を見下ろした。

 風に吹かれて寒かったけれど、今の私にはちょうどいい。


 戸田 るり:

(どうしよう……悠)


 何も知らない悠が、グラウンドで走り回っているのが見えた。

 すっかり暗くなっていたグラウンドに、明るいライトが照らされていて、白い息を吐きながら部活をしている。


 それをしばらく見つめる私。

 ふと、安心できる声が聞こえた。


 篠田 かなえ:

「こんなところにいたのね、戸田さん」


 戸田 るり:

「! 篠田先生」


 先生は、その手に私が悠にあげるはずのチョコレートの袋を持っていた。


 篠田 かなえ:

「これ、忘れてたわよ」


 戸田 るり:

「あ、ありがとうございます……」


 チョコレートが無事に戻ってきて、ホッとする。

 そんな私を見て、篠田先生は柔らかく微笑んだ。


 篠田 かなえ:

「もうすぐ、サッカー部も終わるみたいね」


 戸田 るり:

「はい……」


 ピー、とグラウンドでホイッスルが鳴り響く。

 坂本先生を中心にサッカー部員が集まるのを、私と篠田先生は、白い息を吐きながら見ていた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 君と初めてのキスを

(5)「沈黙」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 いつものように、悠と下駄箱のところで待ち合わせた。


 慌てるように駆けつけた悠は、大きな紙袋を持っている。どうやら今日、渡されたたくさんのチョコレートがそこに入っているらしい。

 クラスが私と離れているから、悠狙いの子も渡しやすかったのかもしれない。去年よりも多かった。


 中曽根 悠:

「ごめん、遅くなった!」


 戸田 るり:

「ううん、大丈夫」


 きっと普段の私なら、そこで紙袋に目がいってムッとしていた。

 でも今は、紙袋どころか悠の顔さえ、直視できない。

 悠は、うつむく私が怒っているかと思ったのか、紙袋を私から見えないように反対側に回して横に並ぶ。


 中曽根 悠:

「じゃあ、帰ろう」


 戸田 るり:

「ん」


──どうしよう。

 どうしたらいいんだろう。


 私はうつむいたまま、悠の隣を歩きだした。



 ・   ・   ・



 また、あの公園に来ていた。

 ベンチに座ってから、私は悠にチョコレートが入った袋を渡した。

 それを彼は、とても喜んで受け取ってくれる。


 中曽根 悠:

「ありがとう!」


 戸田 るり:

「……うん」


 今朝、頑張って作ったトリュフチョコ。

 友チョコはチョコレートマフィンだけど、悠だけは特別なチョコにしたかった。


 ああ、でも。

 手を込んで作るために、早起きしたんだ。

 早起きしたから、眠くなっちゃって。

 保健室で寝ていたから、五十嵐先輩にキスなんてされてしまったんだ。


 ぐるぐると、嫌な考えが頭の中で巡る。

 あんな事実、なくしてしまいたい。


 中曽根 悠:

「……るり?」


 悠が、私の顔を覗き込んでいた。

 うつむいていた私はハッとして顔をあげ、少し心配そうな顔をしている彼と目を合わす。


 中曽根 悠:

「どうした?」


 戸田 るり:

「え、何が」


 中曽根 悠:

「なんか変だぞ」


 戸田 るり:

「そ……そうかな」


 私はまた、うつむいてしまう。

 ちゃんと普段通りにしなくちゃと思っても、どう振る舞えばいいのかわからない。


 中曽根 悠:

「……もしかして、緊張してる?」


 戸田 るり:

「え?」


 中曽根 悠:

「まさかまた『やっぱダメー』て言うんじゃ……」


 戸田 るり:

「! そ、そんなこと……っ」


 慌てて顔をまた上げる。

 悠が、今日のキスの約束のことを言っているのだと気づいて、動悸が激しくなった。


 戸田 るり:

「……そんなことないよ……」


 私だって心待ちにしていた、今日の約束。


 悠と目が合う。

 真っ直ぐに見つめてくる視線はいつもと違って、少し熱っぽく見えた。


 中曽根 悠:

「……」


 戸田 るり:

「……」


 悠の片手が動いた。

 私のほっぺに添えられて、顔がゆっくり近づいてくる。

 そうだ、このまま内緒にして、約束通りにしちゃえばいいんだ。

 キュッと唇を結ぶ。


──でも。

 思い出してしまった、五十嵐先輩の顔。


 私は顔をまた下に向けて、悠の肩をやんわり押した。


 戸田 るり:

「……ごめんっ」


 中曽根 悠:

「……るり?」


 私の異変を感じたのか、悠は戸惑いながらも心配そうな声を出す。

 涙が出そうになる。


──やっぱり、ダメだよ。

 こんな……後ろめたい気持ちのまま、悠と初めてのキスをするなんて。


 戸田 るり:

「……今日……」


 胸が苦しい。

 その苦しみを吐き出すように、小さく言葉を続けた。


 戸田 るり:

「五十嵐先輩に……キスされちゃったの……」


 中曽根 悠:

「……っ!?」


 怖くて、悠の顔が見られなかった。

 うつむいたまま、膝の上に置いた自分の手を、意味もなく見つめる。


 隠してしまう背徳感と、伝えてしまう罪悪感。

 どっちを選んだって、きっと私は苦しかった。


 戸田 るり:

「保健室で寝てたら……されて…て……」


 声が震えそうになる。

 でも、ここで泣くのは卑怯だと思って、ぐっと息を飲んだ。


 戸田 るり:

「……ごめん……なさい」


 中曽根 悠:

「…………」


 下を向いていたから、悠の反応はわからなかった。

 悠は黙ってしまい、重い沈黙が訪れる。

 そんな私たちの間に、冷たい北風が吹きつけた。




 ◇ 続く ◇

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