Ep.34 君と初めてのキスを(5)「沈黙」
保健室に戻ることもできずに、暗い校内を歩く。
とりあえず、2階の渡り廊下から校庭を見下ろした。
風に吹かれて寒かったけれど、今の私にはちょうどいい。
戸田 るり:
(どうしよう……悠)
何も知らない悠が、グラウンドで走り回っているのが見えた。
すっかり暗くなっていたグラウンドに、明るいライトが照らされていて、白い息を吐きながら部活をしている。
それをしばらく見つめる私。
ふと、安心できる声が聞こえた。
篠田 かなえ:
「こんなところにいたのね、戸田さん」
戸田 るり:
「! 篠田先生」
先生は、その手に私が悠にあげるはずのチョコレートの袋を持っていた。
篠田 かなえ:
「これ、忘れてたわよ」
戸田 るり:
「あ、ありがとうございます……」
チョコレートが無事に戻ってきて、ホッとする。
そんな私を見て、篠田先生は柔らかく微笑んだ。
篠田 かなえ:
「もうすぐ、サッカー部も終わるみたいね」
戸田 るり:
「はい……」
ピー、とグラウンドでホイッスルが鳴り響く。
坂本先生を中心にサッカー部員が集まるのを、私と篠田先生は、白い息を吐きながら見ていた。
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君と初めてのキスを
(5)「沈黙」
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いつものように、悠と下駄箱のところで待ち合わせた。
慌てるように駆けつけた悠は、大きな紙袋を持っている。どうやら今日、渡されたたくさんのチョコレートがそこに入っているらしい。
クラスが私と離れているから、悠狙いの子も渡しやすかったのかもしれない。去年よりも多かった。
中曽根 悠:
「ごめん、遅くなった!」
戸田 るり:
「ううん、大丈夫」
きっと普段の私なら、そこで紙袋に目がいってムッとしていた。
でも今は、紙袋どころか悠の顔さえ、直視できない。
悠は、うつむく私が怒っているかと思ったのか、紙袋を私から見えないように反対側に回して横に並ぶ。
中曽根 悠:
「じゃあ、帰ろう」
戸田 るり:
「ん」
──どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
私はうつむいたまま、悠の隣を歩きだした。
・ ・ ・
また、あの公園に来ていた。
ベンチに座ってから、私は悠にチョコレートが入った袋を渡した。
それを彼は、とても喜んで受け取ってくれる。
中曽根 悠:
「ありがとう!」
戸田 るり:
「……うん」
今朝、頑張って作ったトリュフチョコ。
友チョコはチョコレートマフィンだけど、悠だけは特別なチョコにしたかった。
ああ、でも。
手を込んで作るために、早起きしたんだ。
早起きしたから、眠くなっちゃって。
保健室で寝ていたから、五十嵐先輩にキスなんてされてしまったんだ。
ぐるぐると、嫌な考えが頭の中で巡る。
あんな事実、なくしてしまいたい。
中曽根 悠:
「……るり?」
悠が、私の顔を覗き込んでいた。
うつむいていた私はハッとして顔をあげ、少し心配そうな顔をしている彼と目を合わす。
中曽根 悠:
「どうした?」
戸田 るり:
「え、何が」
中曽根 悠:
「なんか変だぞ」
戸田 るり:
「そ……そうかな」
私はまた、うつむいてしまう。
ちゃんと普段通りにしなくちゃと思っても、どう振る舞えばいいのかわからない。
中曽根 悠:
「……もしかして、緊張してる?」
戸田 るり:
「え?」
中曽根 悠:
「まさかまた『やっぱダメー』て言うんじゃ……」
戸田 るり:
「! そ、そんなこと……っ」
慌てて顔をまた上げる。
悠が、今日のキスの約束のことを言っているのだと気づいて、動悸が激しくなった。
戸田 るり:
「……そんなことないよ……」
私だって心待ちにしていた、今日の約束。
悠と目が合う。
真っ直ぐに見つめてくる視線はいつもと違って、少し熱っぽく見えた。
中曽根 悠:
「……」
戸田 るり:
「……」
悠の片手が動いた。
私のほっぺに添えられて、顔がゆっくり近づいてくる。
そうだ、このまま内緒にして、約束通りにしちゃえばいいんだ。
キュッと唇を結ぶ。
──でも。
思い出してしまった、五十嵐先輩の顔。
私は顔をまた下に向けて、悠の肩をやんわり押した。
戸田 るり:
「……ごめんっ」
中曽根 悠:
「……るり?」
私の異変を感じたのか、悠は戸惑いながらも心配そうな声を出す。
涙が出そうになる。
──やっぱり、ダメだよ。
こんな……後ろめたい気持ちのまま、悠と初めてのキスをするなんて。
戸田 るり:
「……今日……」
胸が苦しい。
その苦しみを吐き出すように、小さく言葉を続けた。
戸田 るり:
「五十嵐先輩に……キスされちゃったの……」
中曽根 悠:
「……っ!?」
怖くて、悠の顔が見られなかった。
うつむいたまま、膝の上に置いた自分の手を、意味もなく見つめる。
隠してしまう背徳感と、伝えてしまう罪悪感。
どっちを選んだって、きっと私は苦しかった。
戸田 るり:
「保健室で寝てたら……されて…て……」
声が震えそうになる。
でも、ここで泣くのは卑怯だと思って、ぐっと息を飲んだ。
戸田 るり:
「……ごめん……なさい」
中曽根 悠:
「…………」
下を向いていたから、悠の反応はわからなかった。
悠は黙ってしまい、重い沈黙が訪れる。
そんな私たちの間に、冷たい北風が吹きつけた。
◇ 続く ◇




