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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第二章 安全運転にて走行中《2年生編》
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Ep.34 君と初めてのキスを(3)「五十嵐先輩」

 悠は昔から、忘れん坊だ。

 今日は数学の教科書を忘れたという。

 私が使う時間のが後だったので、朝一緒に登校したときに貸してあげた。

 休み時間に返しにきてくれた彼と、廊下でおしゃべりをする。


 中曽根 悠:

「やー、助かった助かった」


 戸田 るり:

「もう、また変な落書きしてないでしょうね」


 チェックするためにパラリとめくる。

 案の定、教科書のすみっこにうまくないパラパラ漫画ができあがっていた。


 戸田 るり:

「あー、やっぱり!」


 中曽根 悠:

「今回は大作だぜ」


 おバカな悠は得意気に言う。

 じつは私も、貸した物に悠の落書きが残されるのを、ちょっぴり楽しみにしている。


 なんていうのは、悠には内緒だけどね。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 君と初めてのキスを

(3)「五十嵐先輩」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 しばらく、悠ととりとめない会話を楽しんでいたときだった。


 五十嵐 蒼太:

「るりちゃん」


 最近聞いた声が、私を呼んだ。


 戸田 るり:

「あれ、五十嵐先輩」


 声がした方を向くと、あの保健室に来た五十嵐先輩が、片手を上げて私たちに近づいていた。

 五十嵐先輩はまた、あの人懐っこい笑顔を浮かべて私に話しかける。


 五十嵐 蒼太:

「生徒手帳なくしてさ。保健室に、忘れ物とかなかった?」


 戸田 るり:

「え、生徒手帳ですか?」


 あの日は結局、悠の帰りを待つことにして、遅くまで保健室にいた。

 五十嵐先輩が使ったベッドも、私が片付けたけど……。


 戸田 るり:

「忘れ物はなかったですよ」


 五十嵐 蒼太:

「そっか」


 五十嵐先輩はアゴをさすりながら、困ったような顔をする。生徒手帳をなくしちゃうって、結構大変だよね。


 私の隣にいた悠は、そんな私と五十嵐先輩の会話を黙って聞いていた。

 そんな彼に、五十嵐先輩はふと視線を移して小さく笑う。


 五十嵐 蒼太:

「そんなに睨むなよ」


 苦笑して、そんなことを悠に言った。


 中曽根 悠:

「え?」


 突然話しかけられた悠は、きょとんとしている。


 中曽根 悠:

「別に、睨んでませんけど」


 やや背が高い五十嵐先輩に対して、悠は少し唇を尖らせる。

 すると五十嵐先輩が、とんでもないことを言った。


 五十嵐 蒼太:

「るりちゃん可愛いもんな。心配なんだ」


 戸田 るり:

「!?」


 中曽根 悠:

「はぁ!?」


 私も悠も、思わず変な顔になる。

 え、えーと、五十嵐先輩なりのジョークだよね?


 焦りそうになった私は、薄く笑うしかできない。

 お世辞で可愛いと言われたときの、返しの正解は何なのか。誰か教えてほしい。

 困った私の横で、五十嵐先輩はさらに言葉を続ける。


 五十嵐 蒼太:

「男に話しかけられたくらいで睨むなんて、器が小さいぞー」


 明らかにからかい口調だ。

 悠が、ムッとしたことがわかった。


 戸田 るり:

「えっと、五十嵐先輩。職員室の落とし物ボックスは見てみましたか?」


 慌てて、話の内容をすり替える。


 五十嵐 蒼太:

「いや、まだ」


 戸田 るり:

「なら、そこにあるかもしれませんよ」


 背後の悠が気になりながらも、五十嵐先輩に向き合ってそう言うと、彼はニッコリと笑った。


 五十嵐 蒼太:

「そうだね。行ってみるよ」


 そして何と──私の頭を撫でてきた。


 五十嵐 蒼太:

「アドバイスありがとう、るりちゃん」


 戸田 るり:

「!?」


 中曽根 悠:

「!!」


 な、何で頭を触るの!?


 びっくりした私と悠から離れて、歩き出した五十嵐先輩。

 しばらくして、ピタリと足を止めた。


 五十嵐 蒼太:

「あ」


 五十嵐 蒼太:

「あったわ、生徒手帳」


 振り返り、ズボンのポケットからチラリと手帳を見せる。

 笑った顔をすぐに前に向けて、背中を遠ざけ去っていった。


 それを見届けた私の後ろで、悠の低い声が響く。


 中曽根 悠:

「何なんだよ、あいつ」


 明らかに不機嫌な顔をしていた。


 戸田 るり:

「えっと……五十嵐先輩。先週、保健室にきたときに対応したの」


 戸田 るり:

「元サッカー部だって言ってたけど、悠は知り合いじゃないの?」


 中曽根 悠:

「知らねーよ、あんなやつ」


 悠は何でか、私をじとりと見る。

 そんな、私を睨まれても!


 戸田 るり:

「……ヤキモチ?」


 ちょっと困った私は、苦笑してそう言うしかない。

「んなわけねーだろ」と返してくるかと思って、言ったんだけど。


 中曽根 悠:

「そーだよっ」


 戸田 るり:

「!」


 ブスッとしたままの表情で、悠はそんなことを言う。

 まさかの返しに、私はつい黙ってしまった。


 戸田 るり:

(うわぁ、悠がヤキモチだって)


 信じられなかった。

 だって、ヤキモチを妬くのはいつだって、私の方だったから。

 私はいつも、女の子にキャーキャー言われている悠にハラハラしたり、ライバルの子たちに闘志を燃やしていた。

 それなのに今は、悠がヤキモチを妬いてる。


 正直──嬉しい。


 戸田 るり:

「……ふふ」


 つい、小さく笑ってしまう。


 中曽根 悠:

「喜んでんじゃねえよ」


 悠はちょっとだけ赤くなって、私の頭をガシガシかいた。

 さっき五十嵐先輩に撫でられたことをなくすように、思いきりかいてくるから、こちらとしては参ってしまう。


 戸田 るり:

「か、髪がっ」


 中曽根 悠:

「お、静電気起きた」


 ボサボサになった髪の毛が、悠の学ラン袖からはみ出てた薄手のセーターに貼りつく。

 ああもう! と私は小さく怒ったのだった。



 ・   ・   ・



 それから、五十嵐先輩が私に声をかけてくることが多くなった。


 廊下ですれ違うときは、必ず声をかけられる。

 3年生と同じ校舎だから、会うことが多いのは仕方がないとしても、毎回引き止められるのは困ってしまう。

 桑原先輩といい、3年生って強引な人が多いのかな。


 五十嵐 蒼太:

「るりちゃん、移動ー?」


 音楽室へ茉莉ちゃんと向かう途中、また五十嵐先輩と会ってしまった。


 戸田 るり:

「はい」


 無視することもできず、短めに答える。


 五十嵐 蒼太:

「あ、音楽?」


 五十嵐先輩は、私が持ってる教科書を見る。


 五十嵐 蒼太:

「卒業式の時、2年生歌ってくれるよね。るりちゃんの歌、楽しみにしてるよ」


 戸田 るり:

「私の声なんか聞こえませんよ」


 憎めない五十嵐先輩の言葉に、苦笑してしまう。

 正直、気さくな彼は話しやすい。

 でも、いつ悠と遭遇するかわからない廊下で五十嵐先輩と話すのは、よくない気がした。


 ヤキモチを妬いてもらうのは嬉しいけど、妬くことが辛いのは、私も知っているから。悠によけいな心配をかけたくない。


 戸田 るり:

「じゃあ、音楽室に行くので」


 五十嵐 蒼太:

「ん、じゃーねー」


 五十嵐先輩はあっさりそう言うと、手を振った。

 そのやり取りを見た茉莉ちゃんが、隣で小さくつぶやく。


 早乙女 茉莉:

「るりちゃん、五十嵐先輩と仲良かったんだね」


 戸田 るり:

「仲良いわけじゃないけど……茉莉ちゃん、五十嵐先輩を知ってるの?」


 早乙女 茉莉:

「うん。同じ小学校の先輩だよ」


 どうやら五十嵐先輩は、茉莉ちゃんと同じ北小だったようだ。


 早乙女 茉莉:

「スポーツ万能で、有名だったよ。中学ではサッカー部に入ったって聞いたけど、すぐに辞めたみたいだね」


 戸田 るり:

「そうなんだ」


 すぐってことは、1年生の時に辞めたのかな。

 だから悠、知らなかったのかも。


 遠ざかる五十嵐先輩は、廊下で出会った友達と談笑し始めている。

 まあ、彼ももうすぐ卒業してしまうし、今後は変に絡まれることもなくなるよね。


 そう考えて、私はまた茉莉ちゃんと音楽室へ向かって歩き出した。




 ◇ 続く ◇

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