Ep.30 みかん
1話完結
11月の、とある土曜日。
俺、堂本信広は、夕方1人で姫泣川横の道路を歩いていた。
目当てのスニーカーをゲットして、今は気分がいい。
堂本 信広:
(帰ったら風呂掃除すっか)
最近、俺の仕事になった風呂掃除。
母子家庭だから仕方ないが、まさかこの俺が家事を手伝うなんてな。
そんなことを考えながら、左手の川の向こうに落ちゆく夕日を見つめる。
どこかで見たことがあるような橙色を輝かせながら、まん丸い夕日が街を照らしていた。
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みかん
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コロコロコロ。
と、それは転がっていた。
堂本 信広:
(ん?)
堂本 信広:
(……みかん?)
みかんだ。
みかんが地面に転がっている。
しかも1つじゃない。
2つ、3つ……視線を前になぞっていくと、男が1人歩いていた。
右手にビニール袋をぶらさげ、どこかで引っ掛けたのか穴が空いている。
そこからコロコロと、小さなみかんがこぼれていた。
堂本 信広:
「……おい。おい、そこのあんた!」
見かねて、つい声をかけてしまう。
振り返ったそいつはなんと、知っている人物だった。
大谷 圭介:
「ん?」
大谷 圭介:
「え、金田?」
堂本 信広:
「お前かよ」
同級生の大谷だった。
去年同じクラスだったこいつは図体がでかく、私服だと高校生くらいに見える。
中身はてんで、ガキなんだけどな。
堂本 信広:
「何で気づかねーんだよ」
拾い上げたみかんを渡した。
ようやく大谷は、自分が豪快にみかんを落としていたことに気がつく。
大谷 圭介:
「どうりで軽いと思ったぜ! わりーな、金田!」
大谷 圭介:
「……じゃなくて、えーと?」
そこで言葉を濁す大谷。
俺んちの事情は、クラスが違うこいつも耳にはしているんだろう。
ふん、変なとこで気ぃ遣うんじゃねーよ。
堂本 信広:
「堂本だよ」
堂本 信広:
「てか、こんな大量のみかん、どうすんの?」
また金から銅だねー、なんて薄ら寒い会話をされないためにそう聞いた。
みかんを袋に入れ直した大谷は「へへっ」と小さく笑う。
大谷 圭介:
「母ちゃんが好きなんだよ」
「ふーん?」と興味なさげに答えたのに、大谷はさらにニカッと笑って嬉しそうに言った。
大谷 圭介:
「妊娠すると、食が偏るって本当なんだなー! 最近、母ちゃんやたらみかん食っててさぁ」
堂本 信広:
「は?」
大谷 圭介:
「俺、もうすぐ弟が生まれるんだよ! まじ楽しみー」
これはまた随分、年が離れた兄弟だ。
きょとんとした俺に、大谷は幸せそうな笑みを向ける。
その時、どこからかスマホの着信音が聞こえた。
それは俺からではなかった。
堂本 信広:
「おい大谷、電話鳴ってんぞ」
大谷 圭介:
「へ? あ、俺か!」
慌てて大谷は、あちこちのポケットをまさぐる。こいつは本当に落ち着きがねぇな。
慣れていなさそうにスマホを操作すると、大谷はやっと電話に出た。
大谷 圭介:
「どしたの、父ちゃん」
大谷 圭介:
「──え! まじ!?」
大谷 圭介:
「うん! すぐ行く! 」
大谷 圭介:
「うん! うん! わかった! じゃあ、向かうから!」
わたわた、という擬音がぴったりきそうな動作でスマホをしまうと、大谷は焦って俺に声をかけた。
大谷 圭介:
「どうしよう金田! 生まれるって!!」
堂本 信広:
「は?」
だから、金田じゃねーっつーの。
しかし慌てふためく大谷は、そんなことに気づいちゃいない。
生まれるってたぶん……弟が、だよな。
どうしようと言われても、俺には何もできない。
ただ大谷に「落ち着け」と言うしかない。
大谷はコクコクとうなずくと、深呼吸をしてからよし、と呟いた。
大谷 圭介:
「ありがと! じゃあ俺、病院に向かうよ!」
堂本 信広:
「おう」
さっさと行けよ、という言葉はかろうじて飲み込んで、夕日をバックにした大谷を見つめた。
すると。
大谷 圭介:
「あ、……堂本!」
堂本 信広:
「ん?」
振り返った大谷が、何かを俺に向かって放り投げる。
それを条件反射で、つい両手で受け止めた。
みかんだった。
大谷 圭介:
「お礼にそれやるよ! じゃーな!」
堂本 信広:
「……はぁ」
何のお礼かはわからなかったが、走り去る大谷を見送った。
夕日に溶け込む背中が眩しくて、目を細める。
みかん1つが、俺の手の中で転がった。
どこかで見たような橙色のそれを、つい、じっと見つめた。
・ ・ ・
最近たまに行くようになったビルに、俺は向かう。
玄関ロビーの扉を開けたとたん、向こうから出てきた人物とぶつかった。
おっさん:
「おっと、すまない!」
でかい図体のおっさんは、慌てて俺に謝る。
と同時に、俺の胸元から柑橘類の香りが広がった。
堂本 信広:
「あ」
持っていたみかんが潰れていた。
変な形に歪んだそれは、破れた皮から実と汁をはみださせている。
それをおっさんも見て、うわぁ、なんて叫んだ。
おっさん:
「すまない! 急いでたもんで……っ」
おっさんは、ポケットからぐしゃぐしゃのハンカチを取り出すと、俺の服を慌てて拭いた。
みかんの香りも、ハンカチに染みこんでいく。
堂本 信広:
「ああ、大丈夫っす」
今日は、よく慌てる男を見る日だ、なんてのん気にも思う。
おっさん:
「み、みかん、弁償するから!」
堂本 信広:
「別にいいし」
大げさすぎだろ、と呆れそうになる。
するとおっさんは、そんな俺の態度に何かを思い出したかのように目を細めた。
おっさん:
「はは、そうか」
堂本 信広:
「?」
微笑んだその目は、ちょっとだけさっきの大谷とかぶる。
おっさんはもう一度「本当にごめんね」と謝り、慌てて外へ出た。
夕焼けに飛び込んで、姿はすぐに見えなくなる。
変なおっさんだ。
俺は潰れたみかんを手にして、ビルの屋上へと向かった。
・ ・ ・
役に立っていない、壊れた南京錠を外した。
ある人物に教えてもらった秘密の屋上だ。
扉を開ければ、オレンジ色が俺を出迎える。
季節のせいか、少しだけ肌寒い。
堂本 信広:
「……」
無言のまま、フェンスに近寄る。
金網越しに見える街は、広いようで狭くも見えた。
俺が生まれ育った街。
そして今。
生まれようとしている命が、たしかにそこにある。
「弟が生まれるんだよ! まじ楽しみー」
屈託なくそう言った大谷の顔が思い浮かぶ。
あいつなら、いい兄貴になるんだろう、なんてぼんやりと思う。
しかも、ベタベタ溺愛しそうだ。
堂本 信広:
(俺んとことは、まったく違うな)
ドライな俺の兄、克弘の顔も浮かんで苦笑がもれる。
まあ、そんなもんかもしれない。
兄弟姉妹のかたちなんか、それぞれで。
それさえも全部受け止めて、この街は存在しているんだ。
夕焼けが眩しくて、目を細める。
そんな俺のまわりには、みかんの香りが漂っている。
街並みに溶け込んでいる、オレンジ色。
それは本当に、みかんみたいな見事な橙色だな、なんて、やけに穏やかな気分で見つめた。
◇ 終わり ◇
❀次エピソードへ続く




