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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第二章 安全運転にて走行中《2年生編》
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Ep.30 みかん

1話完結

 11月の、とある土曜日。

 俺、堂本信広は、夕方1人で姫泣川横の道路を歩いていた。

 目当てのスニーカーをゲットして、今は気分がいい。


 堂本 信広:

(帰ったら風呂掃除すっか)


 最近、俺の仕事になった風呂掃除。

 母子家庭だから仕方ないが、まさかこの俺が家事を手伝うなんてな。


 そんなことを考えながら、左手の川の向こうに落ちゆく夕日を見つめる。

 どこかで見たことがあるような橙色を輝かせながら、まん丸い夕日が街を照らしていた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 みかん


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 コロコロコロ。


 と、それは転がっていた。


 堂本 信広:

(ん?)


 堂本 信広:

(……みかん?)


 みかんだ。

 みかんが地面に転がっている。


 しかも1つじゃない。

 2つ、3つ……視線を前になぞっていくと、男が1人歩いていた。

 右手にビニール袋をぶらさげ、どこかで引っ掛けたのか穴が空いている。

 そこからコロコロと、小さなみかんがこぼれていた。


 堂本 信広:

「……おい。おい、そこのあんた!」


 見かねて、つい声をかけてしまう。

 振り返ったそいつはなんと、知っている人物だった。


 大谷 圭介:

「ん?」


 大谷 圭介:

「え、金田?」


 堂本 信広:

「お前かよ」


 同級生の大谷だった。

 去年同じクラスだったこいつは図体がでかく、私服だと高校生くらいに見える。

 中身はてんで、ガキなんだけどな。


 堂本 信広:

「何で気づかねーんだよ」


 拾い上げたみかんを渡した。

 ようやく大谷は、自分が豪快にみかんを落としていたことに気がつく。


 大谷 圭介:

「どうりで軽いと思ったぜ! わりーな、金田!」


 大谷 圭介:

「……じゃなくて、えーと?」


 そこで言葉を濁す大谷。

 俺んちの事情は、クラスが違うこいつも耳にはしているんだろう。

 ふん、変なとこで気ぃ遣うんじゃねーよ。


 堂本 信広:

「堂本だよ」


 堂本 信広:

「てか、こんな大量のみかん、どうすんの?」


 また金から銅だねー、なんて薄ら寒い会話をされないためにそう聞いた。

 みかんを袋に入れ直した大谷は「へへっ」と小さく笑う。


 大谷 圭介:

「母ちゃんが好きなんだよ」


「ふーん?」と興味なさげに答えたのに、大谷はさらにニカッと笑って嬉しそうに言った。


 大谷 圭介:

「妊娠すると、食が偏るって本当なんだなー! 最近、母ちゃんやたらみかん食っててさぁ」


 堂本 信広:

「は?」


 大谷 圭介:

「俺、もうすぐ弟が生まれるんだよ! まじ楽しみー」


 これはまた随分、年が離れた兄弟だ。

 きょとんとした俺に、大谷は幸せそうな笑みを向ける。

 その時、どこからかスマホの着信音が聞こえた。

 それは俺からではなかった。


 堂本 信広:

「おい大谷、電話鳴ってんぞ」


 大谷 圭介:

「へ? あ、俺か!」


 慌てて大谷は、あちこちのポケットをまさぐる。こいつは本当に落ち着きがねぇな。


 慣れていなさそうにスマホを操作すると、大谷はやっと電話に出た。


 大谷 圭介:

「どしたの、父ちゃん」


 大谷 圭介:

「──え! まじ!?」


 大谷 圭介:

「うん! すぐ行く! 」


 大谷 圭介:

「うん! うん! わかった! じゃあ、向かうから!」


 わたわた、という擬音がぴったりきそうな動作でスマホをしまうと、大谷は焦って俺に声をかけた。


 大谷 圭介:

「どうしよう金田! 生まれるって!!」


 堂本 信広:

「は?」


 だから、金田じゃねーっつーの。


 しかし慌てふためく大谷は、そんなことに気づいちゃいない。

 生まれるってたぶん……弟が、だよな。

 どうしようと言われても、俺には何もできない。

 ただ大谷に「落ち着け」と言うしかない。

 大谷はコクコクとうなずくと、深呼吸をしてからよし、と呟いた。


 大谷 圭介:

「ありがと! じゃあ俺、病院に向かうよ!」


 堂本 信広:

「おう」


 さっさと行けよ、という言葉はかろうじて飲み込んで、夕日をバックにした大谷を見つめた。


 すると。


 大谷 圭介:

「あ、……堂本!」


 堂本 信広:

「ん?」


 振り返った大谷が、何かを俺に向かって放り投げる。

 それを条件反射で、つい両手で受け止めた。

 みかんだった。


 大谷 圭介:

「お礼にそれやるよ! じゃーな!」


 堂本 信広:

「……はぁ」


 何のお礼かはわからなかったが、走り去る大谷を見送った。

 夕日に溶け込む背中が眩しくて、目を細める。


 みかん1つが、俺の手の中で転がった。

 どこかで見たような橙色のそれを、つい、じっと見つめた。



 ・   ・   ・



 最近たまに行くようになったビルに、俺は向かう。

 玄関ロビーの扉を開けたとたん、向こうから出てきた人物とぶつかった。


 おっさん:

「おっと、すまない!」


 でかい図体のおっさんは、慌てて俺に謝る。

 と同時に、俺の胸元から柑橘類の香りが広がった。


 堂本 信広:

「あ」


 持っていたみかんが潰れていた。

 変な形に歪んだそれは、破れた皮から実と汁をはみださせている。

 それをおっさんも見て、うわぁ、なんて叫んだ。


 おっさん:

「すまない! 急いでたもんで……っ」


 おっさんは、ポケットからぐしゃぐしゃのハンカチを取り出すと、俺の服を慌てて拭いた。

 みかんの香りも、ハンカチに染みこんでいく。


 堂本 信広:

「ああ、大丈夫っす」


 今日は、よく慌てる男を見る日だ、なんてのん気にも思う。


 おっさん:

「み、みかん、弁償するから!」


 堂本 信広:

「別にいいし」


 大げさすぎだろ、と呆れそうになる。

 するとおっさんは、そんな俺の態度に何かを思い出したかのように目を細めた。


 おっさん:

「はは、そうか」


 堂本 信広:

「?」


 微笑んだその目は、ちょっとだけさっきの大谷とかぶる。

 おっさんはもう一度「本当にごめんね」と謝り、慌てて外へ出た。

 夕焼けに飛び込んで、姿はすぐに見えなくなる。

 変なおっさんだ。

 俺は潰れたみかんを手にして、ビルの屋上へと向かった。



 ・   ・   ・



 役に立っていない、壊れた南京錠を外した。

 ある人物に教えてもらった秘密の屋上だ。

 扉を開ければ、オレンジ色が俺を出迎える。

 季節のせいか、少しだけ肌寒い。


 堂本 信広:

「……」


 無言のまま、フェンスに近寄る。

 金網越しに見える街は、広いようで狭くも見えた。


 俺が生まれ育った街。

 そして今。

 生まれようとしている命が、たしかにそこにある。



「弟が生まれるんだよ! まじ楽しみー」



 屈託なくそう言った大谷の顔が思い浮かぶ。

 あいつなら、いい兄貴になるんだろう、なんてぼんやりと思う。

 しかも、ベタベタ溺愛しそうだ。


 堂本 信広:

(俺んとことは、まったく違うな)


 ドライな俺の兄、克弘の顔も浮かんで苦笑がもれる。

 まあ、そんなもんかもしれない。

 兄弟姉妹のかたちなんか、それぞれで。

 それさえも全部受け止めて、この街は存在しているんだ。


 夕焼けが眩しくて、目を細める。

 そんな俺のまわりには、みかんの香りが漂っている。

 街並みに溶け込んでいる、オレンジ色。

 それは本当に、みかんみたいな見事な橙色だな、なんて、やけに穏やかな気分で見つめた。




 ◇ 終わり ◇

❀次エピソードへ続く

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